釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

山鳩 (キジバト)

2014-02-21 19:16:33 | 自然
今朝は-2度で、最高気温も2度までしか上がらなかった。朝、出勤後に職場の裏山を見ると、今日も1羽のゴイサギが休んでいた。しかし、その後、午前中にはいなくなってしまった。代わりに、薮椿の枝に山鳩が止まっていた。昼休みにはまた甲子川へ出かけ、白鳥たちに餌をやった。6羽の親子が他の白鳥たちを寄せ付けないように、他の白鳥を追いかけて、羽根に噛み付く行動が激しくなって来ている。今日は逃げる成鳥の1羽が悲鳴を上げて逃げていた。生死のかかった食料の獲得では必死にならざるを得ないのかも知れない。 ハトは平和のシンボルでもあるが、日本には13種のハトが棲息すると言われる。世界では290種のハトがいる。普段目にするハトは以前伝書鳩として家庭でよく飼われていたハトだ。これはドバトとも言われているが、正式名はカワラバトで、1500年前に渡来したものと言われる。人にあまり警戒心を持たないため、家で飼われることが多かった。本来は名前の通り、川など岸辺に巣を作るハトだ。カワラバトについで見かけることがあるのが、キジバトで、通称は山鳩と言われる。古来から日本の山の中で棲息して来たハトで、食用とされて来たために、人に対しては非常に警戒心が強い。山中に棲息していたキジバトだが、1960年代に都市部での狩猟が禁じられるようになったため、次第に山裾から市街地へもやって来るようになった。愛知県の岡崎市に住んでいた頃、ネットの情報で、隣の安城市の公園にアオバトが来ていることを知り、初めてアオバトを見ることが出来た。アオバトとは言うが、黄緑の色をしたハトだ。実際に見たハトとしてはこの3種類だ。職場の裏には小高い山があり、そこには鹿や熊、様々の野鳥がやって来る。そこではカワラバトよりもやはりキジバトを見かけることの方が多い。7世紀の時代を詠んだ万葉集ではヒヨドリやオナガ、スズメなどとともに特定した名では登場しない。しかし、8世紀に書かれた古事記ではキジバトが登場している。木梨軽皇子が同母妹の軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)を恋したため、廃太子され伊予国へ流される。この時に詠んだ、「天飛(あまだ)む 軽(かる)の嬢子(おとめ) いた泣かば 人知りぬべし 波佐(はさ)の山の 鳩の 下泣(したな)きに泣く 」波佐の山の鳩のように忍び泣くの意で、山の鳩が出ている。現代でも西条八十が作詞した舟木一夫の『絶唱』で「愛おしい 山鳩は 山こえて どこの空 名さえはかない 淡雪の娘よ なぜ死んだ ああ 小雪」と山鳩が歌われている。山鳩はその声にどこか物悲しさを感じさせるところがある。多くは聴く人の心によるのだろうが。古語ではカワラバトは「いへばと(鴿)」と呼ばれ、キジバトの「やまばと(鳩)」とは区別されていたようだ。キジバトの名は色合いが雉の雌に似ているところから呼ばれるようになったと言う。北海道ではキジバトは夏鳥であり、アイヌの人たちはクスイエプと呼んでいるが、トイタチカプ(畑を耕す鳥)とも呼ばれると言う。この鳥が鳴き始めると春なので畑を作ってもいい、とされた。本州のいくつかの地方でもキジバト、山鳩は食用とされる伝統があったようだ。鳩胸と言う言葉あるように、キジバトの胸肉は高級料理としても供された。現在も法的にはカワラバトは狩猟禁止となっているが、キジバトはその対象ではない。カワラバトは伝書鳩として飼われている場合があると言うことで、狩猟対象からは外されていると言う。日本に古来から棲息し続けて来た山鳩がかっては貴重な食用の対象であった。その頃は実際に名の通り、山の中でしか見られなかった。長い日本列島の歴史の中で変わることない種として生き延びて来た鳩だ。
キジバト(山鳩)