今年の釜石の冬は雪の降る回数が去年より多い。とは言っても遠野とは違って雪が一日中積もったままということはない。夕方までに市街地はまず溶けてしまう。同じ釜石でも海岸に近くなればなるほど雪が見られなくなる。内陸の雪の多さを思うと本当に釜石でよかったと思うし、そもそも地図上で見る岩手県の位置からして沿岸部だけが雪がほとんど積もらないなど想像もできなかった。雪の降る内陸のことを考えていると昔の街道のことが知りたくなった。そこで調べてみると江戸時代に整備されたようだ。江戸の日本橋から福島県の白河までが奥州道中として1646年に完成され江戸幕府道中奉行の直轄下にあったそうだ。白河から仙台までを仙台道、仙台から蝦夷筥館(えぞはこだて)までが松前道として主に諸藩が管理した。釜石へは盛岡から遠野を通って旧の仙人峠を通るルートだったようだ。江戸時代は遠野に遠野南部藩があり、釜石の北の大槌には代官所があったので釜石は行政的にはあまり重要な役所はなかったようだ。そのため江戸時代はむしろ遠野から堺木(さかいぎ)峠を通り和山を抜けて大槌へ出るルートと、笛吹峠を通って鵜住居へ出るルートが一番多く利用されたようだ。これらは遠野街道と呼ばれた。笛吹峠ルートの沿岸側の途中にある橋野地区へ初めて行った時に釜石とは雰囲気が違っていてむしろ遠野に似ていると感じたのもやはりこの道が多く往来されたことと関係があったのだと納得させられた。馬に荷を負わせて雪の積もった笛吹峠やもっと険しかっただろう仙人峠を越える辛さは大変なものだったろう。現代では考えるだけでめげてしまう。
みぞれの降る夜に
みぞれの降る夜に