釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

岩手の歴史を思う

2008-10-18 08:57:46 | 歴史
遠野には貞任高原やカッパ淵のそばに掘り割りのある安倍館などが、釜石にも唐丹に貞任砦や貞任館があった。前九年の役で源頼義、義家父子に敗れた安倍頼時、安倍貞任父子の史跡である。東北は史上三度は西国に侵略されている。阿弖流為(アテルイ)が坂上田村麻呂に敗れ、安倍父子が源頼義父子に敗れ、藤原氏が源頼朝に敗れている。いずれも陸奥でほとんどが岩手が舞台である。敗れた安倍貞任の弟の安倍宗任は流罪となったが驚いたことに最初の流罪の地が私の父の生家のそばであった。愛媛県今治市富田である。その後九州へ流され、その子孫が山口県へ移り、安倍晋太郎・安倍晋三父子に繋がるという。一方、安倍貞任の子は津軽へ移り、安東氏として大水軍を率いていったようだ。東日流外三郡誌によれば安倍・安東氏の家訓に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とあり、これが後にこの家訓を継いだ江戸時代の三春藩主秋田家より福沢諭吉に伝わり、「学問のすすめ」に述べられたようだ。ちなみに最後の三春藩主の息子は慶応義塾に入ったそうだ。東北には金や鉄が出たことが侵略の原因だったのではないだろうか。


杜鵑草(ほととぎす)

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