釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

蝦夷とはどういう人たちだったのか

2008-09-02 12:15:42 | 歴史
雨が続いたため甲子川が増水している。庭の彼岸花も引き続き開花してきている。中尊寺のある平泉には達谷窟(たっこくのいわや)というのがある。801年に創建されたものだそうだ。崖の途中の洞窟を利用して毘沙門堂が建てられているのだがこれがまさに清水寺の舞台そのままに建てられている。清水寺を建てた坂上田村麻呂がこの洞窟あたりにいた蝦夷(えみし、えびす、えぞ)を征伐した記念に建てたそうだ。東北にアイヌ地名が多いことからこの蝦夷はアイヌの人たちだと思っていたが東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)の存在を知り、蝦夷を即アイヌの人たちとするのは早計かと考えるようになった。東日流外三郡誌の偽書キャンペーンがあるが偽書とする某学者の学者からぬ振る舞いを見ると偽書キャンペーンなど無視することにした。むしろその書の内容に多いに好奇心をそそられる。東北だけでなく日本の歴史の埋もれた部分に光が当てられる可能性もある。東北の歴史は蝦夷の歴史部分でまだ明らかにされていない。


甲子川土手に咲くコスモス