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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

沿岸部寺社めぐりで感じたこと

2009-01-28 08:15:39 | 寺社
北は大槌から南は陸前高田まで、内陸は住田、遠野まで釜石を除いて一部の寺社を訪ねたがやはり気仙大工の存在が大きいと感じた。三層の垂木や山門の造りが地方の末寺であっても立派である。各所に施された彫刻も繊細で見事なものが多く、屋根の傾斜も非常に美しく軒の出にも微妙な反りが入れられている。もともと気仙大工の発祥には京都の職人の影響があるようで岩手沿岸部に限らず全国に出稼ぎとして出ていたため尚厳しい修練を積んだ大工が生まれたという。歴史的な背景がある所ほど寺社の構えが立派なのはある意味で当然なのかも知れない。寺院の植木を見るとこれまでにも記したように他所でも見られはするがこの近辺の寺院の百日紅は異常に多い。しかも古木が。1つの寺院に2~3本の古木が見られることもある。同じ中国に産する梅が逆にこの地方には少ない。京都あたりの寺院はむしろ必ずと言っていいほど梅の古木が見られ、周囲の苔の緑によく映えている。そのことが頭にあるせいでやや寂しい気がする。一方で枝垂れ桜を多く見かけるがこれは東北全体の傾向と関係しているように思われる。東北ではソメイヨシノも勿論見られるがどちらかと言うとソメイヨシノのは新しく計画的に植えられた感じが強い。民家でも枝垂れ桜がごく自然に植えられていて、ソメイヨシノがむしろ見られない。少し山間の農家の庭先などを見ると枝垂れ桜の立派な木が植えられていたりするとびっくりすることがある。寺院もどちらかというと枝垂れ桜の比率の方が高いようだ。


陸前高田本稱寺 山門中心に白壁が左右に広がり塀の途中で百日紅が伸びている

陸前高田の寺社めぐり

2009-01-26 06:41:10 | 寺社
昨日は風が冷たかったが天気が良かったので陸前高田へ出かけた。やはり寺社めぐりが目的だ。少し道を間違ったが先ずは普門寺を訪ねた。ここはさすがに風格がある。山門付近を老婆が箒を持って掃いていた。誰もいない広い境内で絵になる姿だった。もう80近い方だった。本堂も京都と遜色のない立派なもので住田、大船渡の寺社同様気仙大工の手になる伽藍は素晴らしい造りだ。本堂前には県の天然記念物の百日紅があり、幹の太さがかなりの古木であることを示している。鐘楼と鼓楼にも風格が出ていた。鼓楼のそばに梅の古木と桜がある。本堂左手奥に池があり池の中に相当古そうな石造りの観音像が立っている。池の奥に三重塔と大きな仏像がある。ここも春にはもう一度是非訪れたい。道の駅高田松原で食事後そばの古川沼でスズガモ、ヒドリガモ、ホシハジロが入っているのをしばらく観察していた。留鳥のオオバンも沢山いた。本稱寺に向かったがここでも少し道を行き過ぎてしまった。本稱寺は山門の両横に白壁が伸びていてその内側に鼓楼と鐘楼が見える景観は独特で素晴らしいのだが中がやや荒れていて山門裏に自転車が放置されていたり折角の境内が興ざめしてしまった。本堂前の枝垂れ桜のそばに棕櫚の木が植えられているのも残念だった。次に浄土寺へ行ったがここでも石門から山門までの杉の巨木がことごとく切り倒されていて無性に腹が立った。隣には境内に幼稚園のようなものがありその運動場周囲に枝垂れ桜がある。ここも本来ならば寺社の景観となる場所であったと思う。山門の上が鐘楼になった珍しい山門があり、本堂も威厳があり本堂前には枝垂れ桜の大きな木があり横の五葉松も立派なので一層残念であった。最後に式内社の格式を持つ氷上神社を訪ねた。創建は不詳だが古代からの氷上山の信仰と結びついた相当の古社と思われる。社殿の造りも立派である。縄文からの繋がりが想像される神社だった。


普門寺本堂 左に県の天然記念物の百日紅の枝が伸びている


普門寺本堂の伽藍 牡丹と思われる花をくわえた見事な獅子像 

寺院の百日紅(さるすべり)

2009-01-24 08:30:51 | 寺社
以前の寺院めぐりで東北の寺院には百日紅が多いと感じたが勿論他所でも寺院に百日紅が見られるが比率的に東北が多く感じられる。京都でも金閣寺、清水寺、大覚寺、銀閣寺、永観堂、東寺などでも見られる。もともと百日紅は中国南部が原産のようで中国でも韓国でも良く似た伝説があるようで昔ある漁村で毎年首が3つある大蛇が現れ若い娘を捧げていたが、ある年勇者が現れ大蛇の1つの首を切り捨てて一人の娘を助けたが娘に後の2つの首を獲るために100日待っていてくれるように言ったそうだ。帰って来たとき白旗の船であれば勝利を、赤旗の船であれば敗北して死んでいるだろうと言って去って行った。100日目に海上に船が現れたがその船には赤旗が翻っていた。娘は絶望して自害した。しかし船が着くと勇者が乗っており、白旗が大蛇の血で赤く染まっていた。以来娘の墓に100日間赤い花が咲くようになり百日紅(ひゃくじつこう)と呼ばれるようになったと言う。この他中国では紫微(宮廷)によく植えられたことから紫薇と呼ばれたり、日本では幹がつるつるしているので、木登りの上手な猿でさえ登れないというところから猿滑りと呼んでいる。地方によっては百日紅には亡くなった人の魂が宿ると言われているそうだ。これもお寺に百日紅が見られることと関係しているのかも知れないが、陸前高田の普門寺の由緒にあるように仏教を中国で学んだ僧が日本へ持ち帰って寺に植えたことがもっともな由来らしく思われる。当然そうした寺の末寺へも伝わったはずで、この辺が寺院に百日紅が多い理由なのだろう。陸前高田の普門寺の百日紅は樹齢約 300年で岩手県指定の天然記念物だそうだ。


大船渡長安寺山門前の百日紅

遠野の寺社めぐり

2009-01-20 06:30:45 | 寺社
今朝は昨夜の雨が途中で雪に変り、うっすらと地面を白く覆っている。そばの山の頂きに下弦の月が浮かぶ。先日遠野の寺社めぐりに出かけたがさすが遠野は内陸側だけあって幹線からはずれると結構雪が積もっていて脇道の路面は滑り易く北海道の冬道を思い出させられた。最初は亡くなった作家宇野千代が愛したと言う寳壽院(真言宗)を訪ねた。周囲は10センチ以上の雪が積もっていたが万世の里と隣り合っていて万世の里の茅葺き屋根の門や同じく中の茅葺き屋根の荘厳で大きな別荘風の建物が目を引き、庭や門に植えられた桜や紅葉の木の配置も良く、春と秋が待ちどうしい気持ちになる。寳壽院も含め無人で寳壽院は門も閉まっていた。ここはさすがに宇野千代が愛したというだけのことはある場所だ。次に青笹の喜清院(曹洞宗)を訪ねたが場所が分かりずらかった。ここには遠野市指定の枝垂れ桜の古木がある。入り口の石門のそばにも枝垂れ桜があるが圧巻は本堂前の枝垂れ桜だ。大船渡の長安寺の枝垂れ桜よりは小さいがここの枝垂は本堂と重ねてすばらしい絵になる。盛岡の米内浄水場の何本もの枝垂れ桜も確かにきれいだが絵にはなりにくい所がある。春には必ず再訪したい。街の中心部へ向かう途中雪の積もった畑地で馬が運動のために引き出されていてしばらく見ていた。道産子のようにずんぐりとした馬だがいかにも筋肉質で戦国武士を乗せた馬もこうした馬だろうと思った。中心部に集まる萬福寺(真宗大谷派)、善明寺(浄土宗)、瑞應院(臨済宗妙心寺派)、対泉院(曹洞宗)の順に訪ねた。萬福寺は現在敷地が狭く本堂と庫裏のみ。善明寺は山門と立派な本堂があり、山門をくぐると左手に古い石を重ねた五輪塔がある。桜や紅葉も配されている。黒瓦の本堂の屋根が日射しで銀色に反射しているのが印象的だった。鐘楼と思われる建物は古く鐘が吊るされていなかった。瑞應院は山門と本堂、鐘楼を備え、鐘楼の色彩が豊かで変わっていた。大きくはないが木々もそこそこに配されている。対泉院は山門と本堂、八角の屋根を持つ仁王堂があり、この仁王堂は朱塗りの鉄製の柱で支えられている。本堂のそばには枝垂れ桜が配されやはりその時期には絵になりそうだ。この春は盛岡まで出かけなくとも遠野や住田、大船渡で見事な枝垂れ桜が見られることがわかり楽しみだ。


雪の中でひっそりと佇む万世の里の茅葺きの建物


運動のために引き出された5才の馬 遠くに雪を冠る早池峰山が見える

大槌の寺院

2009-01-18 09:22:43 | 寺社
昨日は釜石で冬の味覚まつりがあったがまずまずの天気だったので大槌の寺院めぐりを優先した。寺社は各地方の歴史と文化の遺産なので非常に興味を惹かれる。その上寺社によっては花木の古木が見られるので尚さらだ。特に東北は枝垂れ桜が多く、まるで京都の寺社めぐりをしているような錯覚さえ覚える。京都との相違は苔にあるようだ。京都の寺社は苔が多く、苔の緑が花や紅葉に彩りを添えてまさに見せる庭園になっている。東北では特に地方の寺社は苔が少ない上に剪定も京都ほどしっかりとされていない分ある意味で自然体になっている。大槌へはまだ数回しか行っていなかったが狭い地域だからとあまり下調べもしないで出かけた。街中の大念寺(浄土宗)から江岸寺(曹洞宗)へ向かった後、蓮乗寺(日蓮宗)へ行くつもりが通り過ぎてしまったことに気付き、しかたなくそのまま10Km以上離れた川井村方向の金沢地区にある大勝院(臨済宗妙心寺派)へ行くことにした。大勝院から引き返して来た時に蓮乗寺を見つけて立ち寄り、最後に吉祥寺に向かった。しかしこの吉祥寺は3度も人に聞いてやっとたどり着いた。そのかいがあって吉祥寺が一番心を惹いた。寺の前の雑木林にも数種類の野鳥がおり、ベニマシコをはじめて目にした。石の階段の横にはツツジや椿があり、かなりの年数の銀杏の巨木がある。山門をくぐると左手に百日紅の巨木、右手の鐘楼のそばには枝垂れ桜があり、その下には竹の筒から水が流れ落ちる手水(ちょうず)が置かれている。正面には立派な本堂がある。1615年の開基という。三代目の豪商前川善兵衛が現在地に移したそうだ。春、夏,秋と季節を楽しめる寺だ。


吉祥寺(大槌町) 右端の椿の影に鐘楼が見える この位置の手前まで杉並木が続く

住田町の古刹

2009-01-15 06:46:33 | 寺社
雪道がやや不安だったが五葉山に接して釜石に隣接する住田町へ出かけた。仙人峠道路の滝観洞ICから降りて住田町の中心街へ向かう。何年か前に熊が出没して人が襲われたという上有住地区を抜けながら熊が出没したと言うことに何となく納得した。最初に訪れたのは世田米地区の浄福寺という真宗大谷派のお寺で入り口の石の柱門を抜けると目の前に1536年創建時に植えられたという銀杏の巨木の列が並びその向こうに鐘楼らしきものが見える。参道両側に銀杏の実が一面に落ちている。石垣が組まれた前は小さな堀になっており以前記した同宗の愛知県安城市の本證寺と似ている。階段を登り大きな山門をくぐって石垣の上に出ると左手に鐘楼と鼓楼が一つになった建物がある。正面に大きな本堂があり、左手の本堂前に梅の古木ががある。鐘楼・鼓楼のそばにはまた大きな百日紅がある。本堂左手へ入った所には椿や杉の巨木があった。次に少し離れた738年開基で天台宗から改宗した曹洞宗の満蔵寺を訪ねた。石門から始まって本堂まで一直線に並ぶという。総門の右手に見事な枝振りの枝垂れ桜の古木があり、前には仁王の石像が両側に立っている。総門をくぐると正面にこれまた見事な重層の山門(三番目の門ということで三門ともいうそうだ)がそびえる。山門の奥に本堂が控えているが右手に池がありその池の岸から池の対岸へ向かって幹が池を這うようにのびた百年以上の柳の木があり、さらに奥にまたまた百日紅の巨木がある。本堂へ上がる前に温厚なご住職が姿を見せられ貴重なお話を伺い、小一時間立ち話をさせていただいた。山門は昔篤志家が私財を投じて建立し財が尽きたため未完成なのだそうだ。山門の仁王像は1本の松の木から2体が作られたと言う。岩手ではじめてお寺に立派な百日紅があるのに出会ったので伺ってみると百日も長く咲く花ということではないかとのことだった。旧仙台藩に属した住田町にこれほどの寺院があったことに驚いた。花の季節の楽しみがまた増えた。


満蔵寺総門から重層の山門を眺む

大船渡市の長安寺

2009-01-09 06:54:35 | 寺社
先日大船渡市にある長安寺と言うお寺へ行ってみた。各地の寺や神社に興味が引かれるのは何も宗教心からではなく地方に残された歴史的な証だと思うからなのだ。長安寺は平安末期と言うからちょうど奥州藤原氏滅亡直前の1150年前後に創立されたそうで、大船渡・陸前高田・住田を合わせて気仙であった時代で当初は最澄の開いた天台宗だった。1391年に親鸞の開いた浄土真宗に改宗し、現在は真宗大谷派(東本願寺)だと言う。大きな山門があり、東北随一の高さだそうだ。建立当初に御法度であったケヤキの木で作られていたのが伊達藩主により工事の中止を命ぜられたため未完成なのだと言う。この山門の前の両側に池があり左にはこれまでに見た中で最も大きな百日紅の木がある。右の池には鯉が泳ぐ。重層の山門をくぐると左に鐘楼、右に鼓楼がある。鐘楼の奥にこれも古木の趣のある立派な梅の木が、鼓楼の近くにはやはり大きな百日紅と荘厳と言っていい銀杏の巨木がある。正面の本堂も大きく、この本堂の左手奥に枝垂れ桜が何本かあるが、一番奥のやや高台になったところにある枝垂れ桜は樹齢300年以上の古木という立派な木である。東北には枝垂れ桜が非常に多い。以前いた愛知県の岡崎市は徳川家康の生まれた地で市内には多くの大きなお寺があったがそれらに匹敵するお寺であり、境内の木々は京都の寺のものと比べても決して見劣りするものではない、すばらしい古木である。春や夏の花が今から楽しみだ。


重層の立派な山門

釜石の初詣の日

2009-01-03 08:55:26 | 寺社
正月2日目は雲の流れる青空だった。釜石の古社尾崎神社へ初詣に出かけた。本神社の祭神は日本武尊、綿津見神(わたつみのかみ)、閉伊三郎源頼基となっている。日本武尊、綿津見神は海上安全の神として祀られたもののようだ。閉伊三郎源頼基は源頼朝の従兄弟に当たり、鎮西八郎と呼ばれた弓の名手源為朝の三男で頼朝により岩手県の太平洋側の閉伊の領土を与えられ、亡くなった時に尾崎神社に葬られたと言う。神社の起源は定かでなく鎌倉以前に遡ると言う。急な坂を登ると拝殿があり、さすがに途切れなく人が訪れる。屋根には葵の紋が刻まれている。御神籤を引くと中吉だった。そばの小粒の椿に結んでおいた。その後遠野に向かい、白鳥に会いに行った。猿ケ石川の溜まりには一羽もいないので附馬牛(つきもうし)方面へ向かい猿ケ石川の上流で休んでいる30羽ほどの白鳥を見つけた。しばらく白鳥たちの様子を見て、久しぶりに白金豚のトンカツを食べて、街中で所用を済ませた後釜石へ戻った。家に着いて少しすると巨匠からのお呼びがあり、匠の方のお宅へまた出かけた。行ってみるとなんとヤマドリのごちそうが待っていた。キジと同じ位の大きさで良く似た感じだが色が異なっている。初めての味だったが油がのっているのにくどくなく、むしろあっさりしていて口の中で溶けるような趣があり、めったに味わえないものを食べさせていただいた。ヤマドリを使った刺身と焼き鳥、すき焼きにおじやと調理法を変えてどれも美味いの一言に尽きるものばかりでまたまた贅沢の限りを味合わせていただいた。いつもながら釜石の方々には感謝するばかりだ。アユやイワナの秘密の場所も今年は教えてもらえそうで今から楽しみだ。皆釣りも並の腕ではないところがまた感心させられる。プロの相談役であるにもかかわらずそれを売り物にしない潔さを持っている。とてもかなわない人間の大きさを感じる。釜石にはこうした人たちが沢山いることに驚くばかりだ。


尾崎神社の椿の木におみくじを結んだ

八幡宮

2008-12-03 08:01:10 | 寺社
昨日は朝は気温が冷え込んだ変わりに日中は気温が上がり暖かくなった。夜は夜で満天の星が輝いていた。やはり人が住むということはこうした星空の下にあることが大切なのだと思う。全国どこでも八幡宮が見られるが釜石にも小さいが八幡宮があり、急な八幡宮の階段の下の道脇にりっぱな椛の木がある。東北の紅葉が過ぎてしまったこの時期に見事な色合いを見せていた。盛岡城趾に匹敵する紅葉だ。しかも時期がこんな時期にもかかわらずである。訪れる人もなく、八幡宮自体を守る神主がいない。八幡宮は九州大分の宇佐八幡宮が起源で奈良時代に神仏習合により八幡大菩薩と呼ばれるようになる。源氏が八幡神を祀り、頼朝が鶴岡八幡宮を建てたことは知られている。その後も軍神として祀られて、第二次大戦などでは出征兵士が必ずお参りをしたと言われる。もともと八幡宮の祭神は応神天皇だと言うが、これも何故九州の大分で応神天皇が祀られるかという疑問から、何となく九州王朝の存在という謎と絡んで面白そうではある。現代では八幡宮に限らず本来の信仰の対象が信仰そのものの衰退とともに見捨てられ、ただ観光施設としてなんとか支えられているといった感じだ。釜石八幡宮などはその見捨てられたものの一つだろう。しかしそこにりっぱな椛の木が残されている。誰も訪れる人はいないのだが。