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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

焼内湾彷徨 拾

2006年12月23日 23時29分01秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 九よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を反時計回りに巡る短い旅を続けている。
寄り道的に工事中の平田林道(平成19年2月開通予定)を紹介したのが前回。
今回は、そこからわずかに先へと進む。



集落から少し離れると、道路のほとんどは海から急角度に切りたった斜面の中腹を通っている。
ガードレールのむこう、遥かな眼下に小さな砂浜を見つけては
「どこかに下りる道はないものか」
と右手首にかけた力を緩めてガードレールの途切れる個所を探しながら走る。



密漁禁止の看板の横に、分厚く雑草に覆われた道を発見。
じつを言えば数年前にここから浜へ下りたこともあるのだが、路面の状況は惨いほどに悪化している。
わずかに草の間に見える部分だけでもそうとうな荒れ様だ。
看板の文言にもいくらか威圧感を感じる。
以前、一緒に仕事をしていた男に「宇検村でだけは、(密漁と)疑われるようなことをするなよ」と《厳重注意》を言い渡されたことがある。
むかし潜水(ダイヴィングではない)を仕事としていた彼は、島内のどの漁協でも顔が知られた男だが、
「宇検でナニかしたら、オレでも庇いきれないからな」というのだ。
焼内湾という〔限定された〕海面を漁場としている宇検村漁協は、養殖漁業に大きな力を入れているのだろう。
とはいえ、ほとんど半魚人みたいな彼と、せいぜい潮干狩り程度のオレが同じ心配をすることもないだろうとは思うのだが。



さらに先へと進めば、道路脇に小ぶりな砂浜が広がる。
小さな入り江に面したそこは、波も静かだ。



さらに先に、大きく深い入り江の一角にあるのがタエン浜海水浴場だ。




海水浴場の浜をガードする堤防の突端に立ってみる。
反対側の堤防に釣り糸を垂れる人がいる。
「釣れますか?」呟いても聞こえるわけがない。
そよ風が海面を渡って行く。

つづく


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焼内湾彷徨 九

2006年12月19日 22時00分16秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 八よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を反時計回りに巡る旅は、まだまだ始まったばかりだ。
平田集落を後にして、次は佐念(さねん)集落なのだが、その途中、平田林道(平成19年2月開通予定)への分岐でしばし休憩しよう。




モンキアゲハは、大きくてよく目立つチョウだ。



カメムシの仲間かと思ったが、どうも違う。



平田林道は、宇検中央林道2号線へと続く林道だ。
2006年現在、焼内湾沿いの県道と中央2号線の両方から開削工事が行われている。
中央2号線側から平田集落の西隣、阿室(あむろ)集落を見下ろす。




舗装工事を終えた部分に流れる清水。
暑い日だったこともあってか、ずいぶんと美味い水だった。

つづく


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焼内湾彷徨 八

2006年12月16日 21時48分42秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 七よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を巡っている。
長く、”つ”の字に伸びた湾の、字の終わりにあたる屋鈍(やどん)集落を出発して、みっつ目の集落が平田(へだ)集落だ。
県道わきの土俵と新築のアシャゲを眺めたことでとりあえず満足して次なる集落に向かおうと走り出した直後、県道脇にコンクリート製の階段が見えた。



慌てて停まって振り返ると、階段の上に鳥居が見える。



鳥居の額には〔平田神社〕。
見てしまったいじょう、行かねばなるまい。
亜熱帯の残暑の中、噴出す汗を拭いながら参道を上ってみた。



階段は途中でコンクリートから苔むした自然石へと変わる。
それが尽きたところで、大きな石を二つ、がっしりと抱え込んで育った巨木がそびえ立つ。
その横にある石柱(もとは手水であったのだろうが、石の柱だけが残っている)には、紀元二千六百年奉納と刻まれている。
西暦では1940年のことである。



小さな祠の後ろに位置しているのは、昭和2年の天皇行幸を記念する石碑。
実際の建立は、石柱と同じ1940年ころ、あるいはその少し前だろう。



ガジュマルに囲まれて建つ記念碑には、なにか独特の存在感がある。
石碑の向こうは、リュウキュウマツの巨木とその他の雑木にほとんど視界を塞がれる形だが、枝手久島と屋鈍崎に挟まれて東シナ海の一部が見える。
もしかすると、昔はこれらの雑木も切りそろえられ、ここは焼内湾を見下ろすための場所だったのではないか。
集落から見れば湾口とは反対に位置しているが、深く抉られた集落前の内湾と較べれば湾内に突出した地勢である。
視界を遮る枝を切り取り、やぐらを組んだり、あるいは木に登ったりなどすればかなりの視界が確保できるはずだ。
遥か湾口を望むことも可能だし、あるいは湾内に回遊魚が入れば、その兆しを見て取るのに都合がいいのではないか?



参道を下る途中で、木々の間から平田集落の海岸線を眺める。
大声で叫べば誰かに聞き取ってもらえるだろうか。
なにか鳴り物でもあれば、耳聡い者の注意を惹くことはできるだろう。
平田集落の平田神社、ただの神社ではないとオレは睨んだ。

つづく


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焼内湾彷徨 七

2006年12月12日 23時43分25秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 六よりつづく。

奄美大島は宇検村(うけんそん)の焼内湾を巡る旅も既に7回目だが、未だに3つ目の平田(へだ)集落の防波堤の上で、晩夏の午後の風に吹かれている。



堤防のすぐ内側にそびえる大木は、アコウかアカギか。
いずれにせよ、こんな木陰でよく冷えたビールを飲みながら午後を過ごせば、それだけで有意義な一日を過ごしたことになるだろう。



ところで、平田集落の防波堤はただいま工事中(もう終わった頃か)。
ま新しいコンクリートは白く、佇む者の目を刺すようだ。
今までの防波堤のどこに不満があったのか(いくらか嵩上げされたようだ)、
「そんなことより、もっと他に造るものがあるんじゃないの?」とか思うのは、オレがここを生活の場としない部外者だからだろうか?



複雑な気持ちで県道に戻ると、なんとも可愛らしい立て札がある。
ゆきのちゃん、あんじゅちゃんの努力を無にせぬためにも、と安全運転を心に誓うオレである。



集落の前を過ぎれば、防波堤は途切れる。
青い海、白い砂、アダンの若木。

つづく


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焼内湾彷徨 六

2006年12月09日 23時56分07秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 伍よりつづく。

奄美大島西北部の宇検村(うけんそん)を深く刻む焼内(やけうち)湾の岸辺をえっちらおっちら進んで行く。
早くも3つ目の集落である平田(へだ)に着いた。
早いのも道理、2つ目の集落である阿室(あむろ)と平田は、目と鼻の先、といっていいほどの距離なのだ。



平田にも、立派な土俵がある。
こちらも柱は4色、色違い。
手前から時計回りで白、黒、青、赤である。
色の配置は屋鈍の土俵と同じ。
道路の向こうにピンク色の建物が見える。
平田集落の公民館である。



土俵の横にもうひとつの建物がある。
阿室の土俵の横にあったアシャゲとよく似ている。
こちらの方がかなり新しく建てられたものであることは間違いない。



柱の一本には神棚もあった。



県道を横切り、公民館の脇を抜けて浜辺に出てみた。
小さな港の向こう側、奥に見える山の手前が阿室集落だ。
平田集落の子供たちは、阿室の小学校に通うのだろう。

つづく


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焼内湾彷徨 伍

2006年12月05日 23時51分15秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 四よりつづく。

宇検(うけん)村の阿室(あむろ)にいる。
最初から話が逸れて恐縮だが、奄美大島とその一帯には〔阿室〕と付く地名が複数ある。
まず奄美大島には、ここ阿室と瀬戸内町の阿室釜(あむろがま:大島海峡東岸紀行 弐拾八)がある。
さらに大島海峡を隔てた加計呂麻島の西岸には西阿室(にしあむろ:初夏の加計呂麻を行く 拾六)があり、加計呂麻島の西の洋上に浮かぶ請島には請阿室(うけあむろ:本宅の生活報告帳・アーカイブの「第一次請島探検隊」)がある。
その一方で、沖縄にはある安室姓がこの島にはない。(NTT西日本のタウンページ〔'06鹿児島県奄美版〕にて確認)

『阿室いこいの家』と名付けられた公民館の横に細い道を見つけた。



石を敷いた階段がコンクリートで固められた丁寧な造りを見る限り、登った先がタダの畑とは思えない。
万一なにもなくても、集落(の一部でも)を高い位置から眺められればそれでいい。



登って行く途中、横にコンクリートの階段(参道?)が分かれ、妙にあちこち角張った鳥居が立っている。
《初夏の加計呂麻を行く》いらい、島内のあちこちでいろんな鳥居を見てきたが、四角柱(オレの目で見た限りでは単純な直方体で、四角錐ではない)の柱を持つ鳥居を見たのははじめてである。

額束(がくづか)を見ても社名は入っていない。
祠の方はちょっと一礼しただけだが、とくに社名らしいものはなかったのではないか。
今になって気付いたのだが、手水の石柱(?)はかなり古いものではないか?
たいてい奉納の年号が入っているので見ておけば良かった。





さらに登れば、またもコンクリート製の短い階段(参道?)と鳥居があって、下のそれよりもいくらかもの寂びた神域が広がっている。
下の、祠があるほうが外宮で、上の鳥居だけ(なにかあったのが損壊したのかもしれない)のほうが外宮ということなのか。
それとも、古くからのユタノロ信仰の聖所に、なにかの理由で鳥居や祠をつけることになったのか。
疑問がぐるぐるとアタマの中を回る。
まぁ、判らんものはわからんのだ、とりあえず口の中で呟いて下界に下りていくことにした。

つづく


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焼内湾彷徨 四

2006年12月02日 00時44分21秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 参よりつづく。

焼内(やけうち)湾は、奄美大島の北西部、宇検村(うけんそん)の海岸のほとんどを占める深く、波の静かな湾である。
西側を東シナ海に向けて開いた湾は、南岸に7、北岸に4、東岸に2つの集落を擁する。
その最西端の屋鈍(やどん)集落を出発し、反時計回りに進んで二つ目の阿室(あむろ)集落に着いた。



近年、地方自治体が趣向を凝らすもののひとつがマンホールの蓋である。
宇検村もその例に洩れず、デザインこそ統一だが地区ごとの名称を入れた蓋を用いて個性を主張している。
オレとしてはライダーの端くれとして「そんなに凝らなくてもいいから、雨が降っても滑らない蓋を案配してくれや」と呟いてしまうこともあるが、まぁ、これはこれでよしとしよう。



ここが、阿室集落の中心部。
手前の白っぽい建物は郵便局、その隣に土俵があり、奥に見える建物は『阿室いこいの家』と名付けられた公民館だ。



土俵の正面の不思議な建物は、アシャゲと呼ばれる祭祀のための建物。
鉄筋コンクリート製というのがなんとも言えぬ違和感を醸し出すのだが、諸般の事情のため、致し方ないのだろう。
阿室の祭祀は民俗学的にもかなり価値があるものだそうだが、同じ日に龍郷町秋名のヒラセマンカイが行われるため、あまり調査研究されていないらしい。

現代的な公共施設が2つ(公民館と郵便局)に、伝統文化施設が2つ(土俵とアシャゲ)が、それこそ手を伸ばせば届くところに位置しているというのが阿室の特徴である。
これら公共施設ばかりではない。
集落の普通の民家も、密集して建てられている。
これはどうやら、阿室が水田の集落だったためらしい。
平地を有効に活用するため、住宅は密集して建てられたのだ。
それでも水田は足りず、阿室の農民たちは目の前の海に浮かぶ無人の枝手久島に水田を作って耕作に出かけていたという。→阿室小学校のページ



土俵のさらに奥には、最近建てられたらしい石碑がある。
『聖上陛下行幸記念碑』で、右には『昭和二年十二月二十五日』と彫られている。
あれ? へんだぞ。
大島海峡東岸紀行 四拾七に載せた瀬戸内町管鈍(くだどん)の石碑には『昭和貮(2)年八月七日』と刻まれているのだ。
12月25日というのは、奄美群島の復帰記念日(*)である。
* 第2次大戦の戦後処理の一環として米軍統治領であった奄美群島は、1953年12月25日に日本に返還された。
おそらくこの石碑は、2003年に行われた復帰五十周年記念行事の一環として建立され、その折のどさくさで日付を誤ったものではないか。

時刻は昼下がり。
集落の細い路地にバタバタと排気音を響かせるのは気がひける。
すこし歩いてみよう。

つづく


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焼内湾彷徨 参

2006年11月28日 11時07分14秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐よりつづく。

焼内(やけうち)湾の南岸でもっとも西に位置する集落・屋鈍(やどん)。
自然と古俗を色濃く残す土地ではあるが、過疎化の進行のため、土俵と公民館を中心として扇状に広がった集落には、家屋を取り壊して更地となった箇所が点在する。
学校、保育施設は、ない。
15分ほど歩いて、雑貨屋が二軒あることを認める。
多すぎず、少なすぎずといったところか。
新しい建造物があるな、と近づいてみると、集落の合同慰霊場であった。
これは、とくに災害あるいは戦禍に関するものではなく、墓地が崩落に遭ったか何かで新たに建てたものだろう。
車が停まり、人がふたり、降りてきた。
長距離を運転してきて疲れた、といった風情で伸びをしている。
すべての家屋が老朽化する中、新しい施設は哀しいほど目立つ。

思った以上に時間をすごしたようだ。
次の阿室(あむろ)集落に向けて出発することにした。
土俵前から走り出し、100mほどで最後の人家の前を通過する。
防波堤はここで途切れ、アダンの並木が波と砂を防いでいる。
アダンの影を進むこと100m弱で、屋鈍海水浴場の入り口に達する。



駐車スペースは普通車でおよそ10台分。
奥に見える建物はトイレ兼シャワー棟(シャワーは水道水をそのまま使うもの)。



屋鈍集落を振り返る。
ブロック舗装は短く、脇にはコンクリート製のテーブルと腰掛けが2組、設置されている。
芝生の部分はあまり広くはないが、モンベルやダンロップ等のツーリングテントならば2~3張は張れるだろう。



連休や夏休みの週末などにはスポーツクラブの活動か、小中学生と親のグループで賑わう日もある。
それ以外は、ただただ静かに時間が過ぎていく。



アダンの実が熟す頃にはオカヤドカリが辺りを埋め尽くすだろう。
満月の夜にはウミガメもやってくるのだという。

つづく


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焼内湾彷徨 弐

2006年11月21日 20時19分09秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 壱よりつづく。

焼内湾を巡る旅、最初に訪れたのは南岸の西端の集落、屋鈍(やどん)である。



奄美の風景を語るとき、必ず言及されるのがサンゴの石垣である。
すでに多くの集落から姿を消しつつあり、数多く現存するのは奄美でも〔僻地〕の部類に入る集落のみである。
隙間が野ネズミ他の小動物の巣となり、それを狙うハブが入り込み、その危険性から徐々に廃れていくのだというが、屋鈍ではまだあちこちに見ることができる。



石垣の組み方は、単純にして深遠。
『ただ載せるだけ』である。
これで風速50mを越す颱風に遭っても崩れないというのだ。
サンゴの隙間を風が抜けて行くというのだが、未だ眉に唾を付けたくなるオレではある。



サンゴの石垣は個々の家にあるもの。
いっぽう、奄美の集落に付き物なのは相撲の土俵である。
屋鈍にも立派な屋根を被せられた土俵がある。

  土俵と周囲の柱に関しては、おいおい触れていく。





屋鈍は海岸に面して横に広がった集落であるが、それでも少し奥まった個所に神社があった。



額には力強い筆致で〔屋鈍神社〕とある。
昔は何かで彩られていたのだろうが、風雨に晒され、今では面影もない。
しかし、それだけに力強さが浮き出てくるようだ。
山を隔てた西古見(にしこみ)と同様、ここは外海に糧を求める漁師たちの集落だったのにちがいない。
夜の明けきらぬうちに豊漁と無事を手短かに祈って、先を争うように舟を漕ぎ出していく漁師たちの姿が一瞬、見えたような気がした。

つづく


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焼内湾彷徨 壱

2006年11月18日 23時29分44秒 | 南方単車旅案内
今回より、「焼内湾(やけうちわん)彷徨(ほうこう)」ということで、宇検村の集落を巡る旅をはじめます。
大島海峡東岸紀行 最終回で到達した屋鈍(やどん)集落を出発して、焼内湾沿いに行きつ戻りつ、
大和村を往く 弐拾弐(完結編)で到着した船越(ふのしorふぬぅし)海岸まで、真っ直ぐ行けば40km弱の道程を、今回も30回ほど掛けて辿(たど)る予定です。
それでは、出発しましょう。



宇検村(うけんそん)屋鈍集落は、大島海峡東岸紀行 四拾八にて紹介した瀬戸内町西古見と並び、奄美大島の最西端に位置する集落である。



宇検村のすべての集落は焼内湾の湾岸に位置するが、屋鈍はそのなかでも湾口に位置しているため、海水の透明度はひじょうに高い。
また、屋鈍海岸の北およそ2kmの海上には、あたかも焼内湾に蓋をするように無人島の枝手久島が東シナ海の波涛を阻んでいる。



奄美市の名瀬地区からは住用方面廻りでおよそ60km。
大和村経由では80kmを超える。
奄美大島でも、有数の僻地だ。
そのせいか、自然の色が濃く残っている。





次回も、屋鈍の話を続ける。

つづく


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大島海峡東岸紀行 最後のおまけ

2006年11月14日 20時54分06秒 | 南方単車旅案内
おヒマでしたら、大島海峡東岸紀行 おまけ其の参もご覧ください。

大島海峡東岸紀行のおまけも今回が最後です。
次回からの《南方単車旅案内》は、〔焼内湾彷徨〕と題して、30回程度のシリーズになると思います。
思いますけど、果たしてドウナルコトヤラ。

ま、とりあえずそれは置いといて、今回のおまけは、大島海峡東岸をうろうろしている間にソーグーした生き物たちです。
ソーグーしたのはいいんですが、〔奄美のフツーの生き物たち〕からも洩れてしまったようなフグーなヤツらばっかりなので、それとなく優しい目で見てやっていただければサイワイかもしれません。



2006年8月13日、瀬戸内町篠川にて撮影。
クロイトトンボ



2006年8月13日、瀬戸内町篠川にて撮影。
花はアマクサギで、虫の方はハチであることは間違いないんだけどよーわかりません



2006年8月7日、瀬戸内町伊須(いす)にて撮影。
言わずと知れたオオヤドカリ。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜(あむろがま)にて撮影。
オオシオカラトンボは、奄美のフツーの生き物たち 27にも載せました。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜(あむろがま)にて撮影。
黒っぽいアゲハチョウは、実はどれがどれだかよく判りません。
どなたか教えてください。

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大島海峡東岸紀行 おまけ其の四

2006年11月11日 09時57分57秒 | 南方単車旅案内
おヒマでしたら、大島海峡東岸紀行 おまけ其の参もご覧ください。

《大島海峡東岸紀行》の写真を撮るために瀬戸内町のあちこちをうろうろしていた時期は、ちょうど奄美シーカヤックマラソン(スタートとレースの模様は、こちらこちら)時期でした。





あちこちのサイトやブログでも取りあげられていましたが、こんなロングショットのアホみたいな画像はどこにもなかったので、アップしときます。



2006年7月1日、瀬戸内町西古見にて撮影。
大島海峡東岸紀行 伍拾壱で、西古見の海岸の廃墟となった桟橋を取り上げたのですが、さんにいただいたコメントによれば、それは第二次大戦中の日本軍のものだったとのこと。
大戦の末期、日本軍は沖縄に続く第二の防衛線を大島海峡に置いて、その遺構が今では観光名所になっています。
大島海峡沿いのいちばん大きな集落である古仁屋のすこし北に手安弾薬庫を置き、対岸の加計呂麻島には水上特攻艇〔震洋〕が3隊、海軍特殊潜航艇〔蛟龍〕が1隊が配備されていました。
海峡の南の出口には安脚場(加計呂麻島)に砲台を設置し、皆津崎に見張り所(今では道もありません)を置いていました。
北にはこの先に弾着観測所(県道名瀬・瀬戸内線 西古見線にあります)を設置していたのですが、肝心の砲弾を撃つための砲台は、あまり多くの人に知られていません。
この日、グーゼン入り込んだ林道の奥に見つけたのが、緑に囲まれた分厚いコンクリートの壁です。
県道からここへ至る林道の分岐の付近には、昔の兵舎跡もあります。
これが、〔謎の西古見砲台〕(と、勝手に読んでるのはオレです)なのでしょうか?
この当時、奄美大島にどんな大砲が配備されていたのかは判りませんが、当時の主力兵器であった九六式十五糎榴弾砲(榴弾は野戦兵器なので、ここで使われたとは考え難い)の射程距離がおよそ11kmなので、ここからであれば加計呂麻島の北端から宇検村宇検までが射程範囲に入ります。
じっさいは、もっと大きな大砲を使っていた筈なので、付近の海域一帯を射程に収めていたのではないでしょうか。



↑の写真を含めてここから下は、「2006年7月1日、奄美大島某所にて撮影」とさせていただきます。
コメントでのご指摘も、ご遠慮ください。
なんでもかんでも他人のせいにしようとするごく少数のオロカな人と、大多数の馬鹿なマスコミが消え去るまで、なにとぞヨロシクお願いします。







次回は、最後のおまけです。

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大島海峡東岸紀行 おまけ其の参

2006年11月07日 19時27分46秒 | 南方単車旅案内
おヒマでしたら、大島海峡東岸紀行 おまけ其の弐もご覧ください。

《大島海峡東岸紀行》の写真を撮るために瀬戸内町のあちこちをうろうろしていた時期は、ちょうどノボタンの開花時期だったのですが、すこし遅れてサルスベリも開花しました。



花の時季は短いし、そんなにたくさんある木でもないので、けぶるように咲いているところは、ついつい見とれてしまいます。
路肩のスペースがほとんどない峠道で、バイクを停めて花を愛でるというのは、ひじょうに贅沢な気分であります。



2006年7月23日、瀬戸内町網野子にて撮影。

いっぽう、季節にカンケーなく咲くのがハイビスカス。
隣りあった木で、ドウシテ花の色がちがうのか。
品種の問題でしょうか?



2006年7月23日、瀬戸内町網野子にて撮影。

大島海峡東岸紀行 弐拾弐に載せた写真を撮っていたときのことです。
瀬戸内町の防災無線が「嘉徳(かとく or かどく or かどぅく)への道は、崖崩れのため通行止です」と言っています。
ここしばらく雨らしい雨も降っていなかったのですが、梅雨の間に降った雨がボディ・ブローのように効いてきたのでしょうか?
古仁屋測候所のデータでは、6月の一ヵ月間の降水量は、最近の10年間では2番目に多かったようです。
なんとなく天気も悪くなってきたので、早めに切り上げて、国道58号線の途中から嘉徳方面に寄り道して帰る事にしました。





2006年7月30日、瀬戸内町嘉徳にて撮影。
土砂が溜まっている向こうにガードレールが見えますね。
道路はまず左にカーブを描き、続いて右にヘアピン状に弧を描いて向こうに見えるガードレールの部分へとつながっているのです。
道路上の距離にして、100m以上あることは確実です。
ちょうど同じ頃に嘉徳と住用村の市(いち)を結ぶ道路(《アームチェア・ツーリング 住用半島》と題して取りあげたコースです)も崖崩れで通行不能になっていました。
迂回路はあるんだけど、狭いんだよな。
そういう事情なんでニイムラさん、今年も嘉徳にいらっしゃるのであれば、くれぐれも時間に余裕を持つことを心掛けてください。

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大島海峡東岸紀行 おまけ其の弐

2006年11月03日 09時24分51秒 | 南方単車旅案内
おヒマでしたら、大島海峡東岸紀行 おまけ其の壱もご覧ください。



2006年6月25日、瀬戸内町浦にて撮影。
ちょっと暗いですかね?
これでも、思いっきり修正してます。
デジカメの何かの設定を間違えて、真っ暗になっていたものを修正してみました。
最初からきれいに撮れてれば、ボツにはしなかっただろうなぁ。
浦(うら)は、大島海峡東岸紀行 参拾六に載ってます。



2006年7月1日、瀬戸内町伊目にて撮影。
えーと、なんでボツになったんだっけ?
樹の全体が撮れてなかったせいかな?
写真コンテストに出してみようかな?
例によって大賞の選考圏外で。
伊目は、大島海峡東岸紀行 参拾八に載ってます。



2006年7月2日、宇検村にて撮影。
写っているのは宇検村の平田集落だから、まだボツと決まったわけでもないんだけど。
大島海峡東岸紀行 四拾四でちょこっと触れた[宇検中央林道二号線]から見える景色です。
あ、まてよ。
そのまた支線から見たのかな…?
ちなみに虫も飛んでます。



2006年7月1日、瀬戸内町西古見にて撮影。
真夏の海を渡ってきた風が、山にぶつかって上昇し、急激に冷やされて雲になっています。
たいして高い山じゃない(標高400m?)んですが、それだけ温度差があるんですねぇ。
大島海峡東岸紀行 伍拾壱で紹介した桟橋跡を通り過ぎて、ちょっと行ったところから見た風景です。



2006年7月2日、瀬戸内町曽津高崎にて撮影。
大島海峡東岸紀行 伍拾弐で、「普通車で来た人はここに停めて」と記した展望所から見た灯台。
次回もおまけです。

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大島海峡東岸紀行 おまけ其の壱

2006年10月31日 23時12分15秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行は、結局はじまりから終わりまで3ヶ月半で54回という長丁場になってしまいましたが、手当たり次第にデジカメに収めた風景や物、生物などには紹介しきれずに残ってしまったものもたくさんあります。
そこで、今回からおまけとして5回に分けてご紹介いたします。
余計なご託はなるべく省き、簡潔にするつもりですのでよろしくお願いします。



2006年6月7日、瀬戸内町蘇刈ヤドリ浜にて撮影。
屋根はあれども壁はなく、敷居があって床はなく。
2003年の12月にはすでにここにあったのですが、未だに用途が判りません。
なお、わずかにナナメになっているのはカメラマン(オレ)の腕の問題です。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐に載っています。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜字白浜にて撮影。
カニなんですけど、わかりますか?
これはカメラマンが悪いんじゃなくて、見事な保護色で隠れているカニの方を褒めてやってください。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐拾六に載っています。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜字白浜にて撮影。
ガジュマルの木に鈴生りの実です。
大島海峡東岸紀行 弐拾七では、迷った末に実のアップの画像を選びました。



2006年6月25日、瀬戸内町篠川にて撮影。
ネムノキの花です。
あんまりアップにすると作り物っぽく見えるんで、ボツにした画像です。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐拾九に載っています。

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