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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

焼内湾彷徨 弐拾伍

2007年03月29日 20時22分34秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾四よりつづく。

奄美大島の北西部を大きく、東シナ海が陸地に食い込んだ焼内湾の岸辺を巡る旅も、残すは僅かとなってきた。
湾の北岸を西に進んで、生勝(いけがち)集落に次いで到着したのは久志(くし)集落である。
久志について語るとき、どうしても避けて通れない一連の出来事がある。



1973年、東亜燃料工業(現東燃ゼネラル石油)が焼内湾にある技手久島に石油備蓄基地建設を計画した。
この当時の社会の流れについて、ざっと触れてみる。
1971年8月、アメリカのニクソン大統領は、それまで政策により交換比率を固定していた金とドルの交換を停止した。所謂”ドルショック”である。これにより、世界の各国は自国通貨とアメリカドルとの交換比率を変更せざるを得なくなり、とくに日本は360円から308円という最大の交換比率の変更となった。この変更は同年の12月に行われたのだが、実態経済の変動は早く、1973年には主要国の殆どが変動相場制に移行している。この年、テレビでは「スペクトルマン」、映画では「ゴジラ対ヘドラ」が公開された。『公害問題』が、一般的な単語になったのは、この頃ではないか?
翌1972年、5月に沖縄が返還された。テルアビブ空港において日本人テロリストによる乱射事件が発生し、民間人ら100人以上が犠牲となった。6月、通産大臣であった田中角栄が「日本列島改造論」を発表し、7月の自民党総裁選挙で福田赳夫を破って自民党総裁・内閣総理大臣に就任した。
1973年、1月にアメリカ軍のベトナムからの最終的な撤退を骨子とするベトナム和平協定が結ばれる(実際の終戦は、75年4月)。7月、日本赤軍による日航機ハイジャック事件が発生する。10月、第4次中東戦争が勃発し、アラブ諸国は「イスラエルを支援する国家に対する石油の禁輸措置」を発表する。'71年の”ドルショック”に対し、”オイルショック”と呼ばれる出来事である。これにより日本国内では、'50年代より続いていた高度経済成長に終幕が引かれることとなった。



さて、技手久島の石油備蓄基地計画に話を戻そう。
現在の各資料で見る限り、計画が発表されるや、地元の宇検村はもちろん、奄美大島全体が賛否で二分されたことは想像に難くない。
もともと、政治には熱くなる土地柄である。
しかも枝手久島は、「奄美大島で最初にハブが現れた島」、「神が宿る葬送の島」である。
賛否の争いはエスカレートする一方だったのだろう。
その最中、トカラ列島の諏訪瀬島に共同体(コミューン)をつくって生活していたヒッピー『部族』の一員である山田塊也氏が、たまたま訪れた名瀬市(現・奄美市)で備蓄基地計画について知ることになる。
遡ることさらに数年、諏訪瀬島にYAMAHAが滞在型リゾートの建設を計画したのだが、『部族』を中心とした反対運動の結果、撤回を余儀なくされた。
山田氏は、地元の反対派と共闘するため、宇検村久志にコミューン『無我利道場』を設立して全国から同志を募った。
現存する資料等から読み取る限り、当時、反対運動が先鋭化していた「成田空港反対闘争」のような強硬な手段は取らず、あくまでも《漁業権》を前面に立てた運動であったらしいのだが、それでも運動は長期化し、最終的に計画が白紙撤回されたのは1984年のことであったという。
その後もメンバーに変転はあったものの『無我利道場』は存続していたのだが、1988年に至って事態は別な方向へと進展する。
奄美大島の小学校(鹿児島県全体かもしれない)は、登下校の際に(もちろん授業中も含む)制服の着用を義務付けられている。
その制服について『無我利道場』のメンバーの子供が反発し、登校を拒否したのだという。
どうしてそれだけのことがエスカレーションの原因になるのかはオレには判らないのだが、元・石油備蓄基地計画の村議が中心となって旧賛成派を糾合し、『無我利道場解体村民会』が結成されたのだ。
それだけにとどまらず、実質暴力団といわれる右翼団体まで東京から呼び寄せ、『無我利道場』追い出し運動を展開しはじめた。
折りしもバブル景気が頂点を過ぎ、昭和から平成へと時代は移ってゆく。
当時の内閣総理大臣・竹下登が「ふるさと創生」と称して各地方自治体にそれぞれ一億円を交付したのもこの当時である。
この交付じたいの評価は置くとして、交付が行われたという事実は、「地方の空洞化」が政治課題となっていたことが明らかだ。
追い出し運動は、時代の流れからか一時は大多数の村民が『解体村民会』に同調するようになったという。
一連の騒ぎは1993年いっぱいで収束したとされるが、昨年も、これを想起させるような出来事があった。
宇検村村長、一部村会議員、一部の土建業者らによって『放射性廃棄物最終処分場誘致』が企画されたのである。
村民はもちろん、周辺自治体や鹿児島県知事まで含めた反対の声に、一週間も経たずに消え去ったのだが、さらに後日譚もある。



今年、1月に行われた村長選挙において、5期目に挑んだ現職村長は44票差で新人候補に敗れたのだ。
詳しい結果はこちらをご覧いただきたい。
ところでこの元・村長、石油備蓄基地計画では推進派の旗振り役、『無我利道場解体村民会』でも運動の中心だったという。
長らく清濁併せ飲んできたのだろうが、核廃棄物までは飲ませてもらえなかったということか。

今回は、話が話だけに参照したサイトを紹介しておきます。
宇検村 - Wikipedia
Newsletterバルボラ
美観地区から大道絵師のメッセージです
オウム真理教が問いかけるもの
フリースクールの現在 教育のオルタナティブ
日本にも「反原発ブームがあった」
他にも幾つかあるんですが、時代背景を補強するためで、本文中には反映されてない筈です。

写真でお判りいただけると思いますが、久志は、静かで美しい集落です。

ガラにもなく堅い話に終始してしまいましたが、次回はこの旅の終点である宇検(うけん)集落に参ります。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾四

2007年03月13日 01時09分53秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾参よりつづく。

奄美大島北西部の焼内湾を巡る旅は、11番目の集落である生勝(いけがち)集落に至った。

今回は、最初から脱線する。
焼内湾の岸辺を巡り、宇検村(うけんそん)の各集落を紹介してみようという思いつきではじめた《焼内湾彷徨》シリーズだが、「とりあえず行って、写真を撮って、整理して文章を付ける」という程度の無計画さでやっていくと、当然ながら話に濃淡ができる。
今回の生勝と次回の久志(くし)集落がその淡い方に入ってしまったのは、ここで言い訳を並べなくとも一読すれば判ってしまうことだろう。

'03年の12月にIターンしたオレが、程なくして持論とするようになったのは
電線の地下埋蔵化」である。
単純に「電柱を全廃して、電線・電話線を地下に埋めてしまえ」ということである。
それを思いついたのは、日付はとうに忘れたが、この生勝集落を通りかかった際である。
生勝集落の県道沿いには、美しく立派なガジュマルがいくつも並び、南に開けた海上の陽光を浴びている。



バイクを停めてカメラを構えたオレだったのだが、どうしてもシャッターを押せない。
我慢できないのだ。美しくないのだ。どんなアングルから撮ろうとしても、梢に電柱が、電線が被ってしまうのだ。
「あまり観光化されていないのが奄美のいいところ」とはよく言われることだが、モノゴトには限度というものがある。
「地域の景観を大切にしよう」というのは町おこし・村おこしなる運動が盛んになるにつれて出てきたものである。
当然ながら奄美大島でも様々なレベルで「おこし」が唱えられている。
唱えられてはいるが、ハコもの造りと伝統文化継承の2つの流儀が、たがいに反目しあっているようだ。



知人に聞いた話だが、奄美大島は人口あたりの土建屋さんの数が全国一なのだそうだ。
それは就業人口のことなのか、兼業まで含めた業者の数のことなのかは判らないが、この人たちを失職させないのも行政の責務であることは間違いない。
一業種を突出させてしまった行政の失策はここでは問わない。覆水、盆に還らずだ。
高圧線まで含めた電線を地中に埋めてしまうだけの土木作業は、10年では終わらないだろう。
その間、土木業者は仕事が減る心配をしなくていい。
工事が進んでいけば「電柱のない島」が日本国内で話題になり(話題になるように努めるのは行政の義務である)、観光客が増加する。



観光客の増加は宿泊・観光施設の増加に繋がり、土建業からの就業者の移行が容易になる。
土中に埋まった電線は、台風災害に強くなる。
同時に、各種メンテナンスの度に掘削・埋め戻し工事が必要になるため、土建業の必要性はなくならない。
オレの単純なアタマで考える限り、いいことづくめである。財源さえ考えなければ。



実は財源についても考えているのだが、ここでは書かない。



家が取り壊されたのだろうか、五右衛門風呂の風呂釜が赤錆びて残っている。

次回は、久志集落です。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾参

2007年03月08日 01時40分54秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾弐よりつづく。

奄美大島の北西部、宇検村の海岸線の多くを占める焼内湾を巡っている。



焼内湾に面した集落は、いずれも入り江に面している。
芦検もまたその例に洩れない。
大良川の河口付近から県道は大きく弧を描き、行き過ぎた風景が左側に見えはじめる。
そんなところに伊仁トンネルに差し掛かる。
トンネルの直前、左側に旧道の入口が見える。
当然、バイクは旧道へと向かう。



海側に立派なリュウキュウマツが並ぶ旧道にバイクを停め、海岸に降りてみる。
対岸には芦検の集落が一望できる。
休日には釣り人をよく見かける岸辺だが、素人目にはちょっと茫漠とした入り江だ。



トンネルの出口からすぐのところで、県道は一車線となる。



ふたたびセンターラインが現れるとすぐに道はわずかに上り坂となり、生勝トンネルに至る。
生勝トンネルは、平成18年9月27日に開通した、奄美大島でも最も新しいトンネルのひとつだ。
写真、左に分かれているのは旧道への入口。
本来の旧道は、写真右側から大きく弧を描き、トンネルの上を通って写真の右側へと延びていたのだが、トンネル工事の初期の段階で道路が付け替えられていた。



現在の旧道を辿る前に、トンネル工事の資材置き場に使われていたであろう、手前右側から旧・旧道が移り変わった広場に入ってみよう。
亜熱帯の強靭な自然は、すでに旧・旧道を蚕食している。
赤錆びた重機が放置された空き地へバイクを進めると、その向こうにはひっそりと滝が流れ落ちている。



生勝トンネルは、最新の押しボタン式照明を採用している。
車輌に対しては、感応式照明を採用しているので、これは純粋に歩行者と自転車での通行に対処するものだ。
バイクにとってはどうなのだろうかと試してみたかったのだが、日中はそれなりに通行量があって(2~3分に一台)照明が切れることはなかった。

旧道は、急坂を一気に駆け上がり駆け下る。
かなりの角度の斜面を横断する形で削って付けられた道で、山側の木立がアーケードのように頭上を覆っている。
すばらしい雰囲気がある反面、眺望はまったく利かない。
旧道を下りきるところがトンネルの出口。
そして、そこから生勝(いけがち)集落である。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾弐

2007年02月24日 07時54分12秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾壱よりつづく。

奄美大島の北西部、宇検村の海岸線の大半を占める焼内(やけうち)湾を巡る旅は、湾の北岸にある芦検(あしけん)集落に至った。
芦検集落においては、人家の大半(九分九厘、というべきか)は焼内湾に注ぐ大良川(おおらがわ?)の東岸に集中し、しかもその殆どが海岸近くに建てられている。
その、大良川沿いの県道をすこし進んでみよう。



サトウキビ畑の平地から山ひだへと進み、簡易水道の施設を通過したところに、道の右側に空き地がある。
《スットグレ(あるいはストグレ、ストゴレ)》というのは奄美大島の方言である。
標準語でこれに対応する言葉はいくら考えても思いつかないのだが、ニュアンスとしては「負けるものか」という意味で使われることが多いようだ。
どのような意味合いでこの広場が名付けられたのか判らないが、とりあえずそれは置く。



広場からスロープを下って、川岸に設けられたテラスのようなところに降りる。



川面や岸辺のあちこちにリュウキュウハグロトンボが群れ飛んでいる。

川面を渡る微風とともに新鮮な酸素をたっぷり吸ったら、ふたたび県道に戻り、先へと進むことにしよう。



芦検(あしけん)集落を後にして、南の島の晩夏の県道を海を眺めながら進む。
伊仁トンネルから幾ばくか、県道は一車線となるが、ふたたびセンターラインとお目もじすると、海側に小公園のような広場があらわれる。
低い生垣が県道との境い目を形づくったそこは、リュウキュウマツの木立が涼しげな木陰をつくっている。
疲労を感じるほど走っているわけではないが、すこしの間、停めてみよう。



ひゅーうぃーー。
空高くサシバが舞っている。
南の島にも冬は近づいていた。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾壱

2007年02月22日 23時01分16秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾よりつづく。

焼内湾を巡る旅は、屋鈍(やどん)よりはじめて10番目の集落である芦検(あしけん)に至った。
芦検は、一見、県道沿いに延びた集落だ。
しかしこれはどちらかというと、海岸沿いに横長に延びた集落の中に県道を通したというのが本来の順番である。
いつだったか、民俗学の研究発表会みたいなところに紛れ込んでみたとき、『奄美の集落の共通構造』として幾つかのポイントが挙げられたうち、記憶に残ったのが2点ある。
《海岸から垂直に、集落のほぼ中心を通る道》というのと《海岸と並行に、集落を横断する道》というのがある、という話だ。
「皆さんとっくにご存知の」というニュアンスで出た話だったので、本当にこの通りのことが言われたかどうか、断言は出来ない。

余談が長くなった。



半ば当り前のように、マンホールの蓋には『芦検地区』の文字。
カラフルなのは県道から一歩はいった、集落内の路地で見つけたもの。



県道上のマンホールは、色が剥がれたのか、最初から塗っていないのか。



芦検の土俵は、県道で区切られた海側に建てられている。
写真の左側、県道の向こうに延びている道が、《海岸から垂直に、集落のほぼ中心を通る道》なのだろうか?
土俵のすぐ右に見えるのは公民館だ。



芦検は、宇検村でも大きな集落である。
集落の大小はその経済力に直結し、それはそのまま集落の公共建築に反映される。
要するに、芦検の公民館は他の集落に較べて大きく、屋根付きの土俵を建ててなお余る空間には、太いガジュマルが腰を据えている。
ガジュマルは格好な木陰を提供し、近在の老人たちと、ランドセルをうちに放り出してきたケンムンたちの憩いの場になる。

芦検の話、まだ続きます。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾

2007年02月15日 22時30分12秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾九よりつづく。

奄美大島の西北部、焼内湾を巡る旅は、湾の北岸の集落である田検(たけん)集落に至っている。
ガジュマルの木の下にバイクを停めて、すこし集落の中を歩いてみよう。



マンホールの蓋には、「田検地区」と刻まれている。



田検集落の土俵と公民館(写真では右端に庇が見える)は、家屋が密集した、〔集落の重心〕とでも呼べそうな位置にある。
やはり四方に建てられた柱は色分けされ、立派な屋根が覆っている。
土俵上にはビニールシートが掛けられ、事務机やら椅子やら雑多なものが積み上げられており、ほとんど物置状態だ。
「なんですか、こりゃ・・・」取り出したカメラをどう向けようか迷っていると、向こうから20歳くらいの青年がやってくる。
訊けば、これから敬老会があるのだという(撮影は2006年10月22日)。
田検は伝統芸能の保存に熱心な集落として定評がある。
また、奄美大島の人気芸人サーモン&ガーリックも田検に縁があるそうで、こうした催しには必ず設けられる《余興タイム》に出演するかもしれない。
すこし粘って、行事を覗かせてもらおうか?



集落の奥まったところに、湧き水だろうか、崖から突き出たビニールパイプが清冽な水を噴き出している。



バイクに戻って、集落裏の山を目指す。
鬱蒼とした木々の下の道を行くと、濃緑の苔に覆われたボードウォークを見つけた。



展望所兼休憩所(?)も、緑のシートを掛けられたかのようだ。



ボードウォークの果ては渓流に至る。
せせらぎ、というには少し大きな水音と、鳥や虫の鳴き声が辺りを埋め尽くしているのだが、なぜか静寂な印象である。
今日中に、まだまだたくさん回る予定なのだが、しばし渓谷を吹きぬける風を愉しもう。

つづく


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焼内湾彷徨 拾九

2007年02月09日 08時14分17秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾八よりつづく。

奄美大島の西北部、焼内湾を巡る旅は、湾の最奥部にある湯湾(ゆわん)集落を通過し、湾の北岸へと入る。
北岸の最初の集落は、田検(たけん)集落である。



左側が田検中学校、右が田検小学校と体育館である。
ちなみに、宇検村では独立した小学校と中学校はここだけ。他はすべて小中学校併設である。



小学校は、集落の中心部を流れる川のほとりに建っている。
ちなみに、使わない舟をこうして舫っておけるようになったのは、FRP製の船が使われるようになったからである。
木造船の時代には、海水、あるいは汽水(河口など、海水と淡水が混じる部分)では、フナクイムシが船体に穴を開けてしまうため、完全に陸に上げてしまうか海水が上がってこないところまで川を遡る必要があった。
首都圏の河口部や港湾で問題になっている放置船は、奄美大島ではどうなっているんだろうかと考えつつ、そんな話を思い出した。



県道のバス停の目印は、大きなガジュマルの木だ。



複雑に絡み合って垂れ下がる気根は、たった一本でも密林のようだ。
ここは小鳥たちの独立国でもある。

つづく


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焼内湾彷徨 拾八

2007年01月28日 11時43分45秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾七よりつづく。

奄美大島の西北部、焼内湾を巡る旅は、宇検村の主邑である湯湾(ゆわん)集落を紹介している。



湯湾公民館と土俵。
前回にも、無骨な屋根を載せた土俵の写真を載せたが、あちらは運動公園の付帯施設で、いわば〔宇検村公式土俵〕なのだろう。
集落用のこちらは柱も色分けされ、うしろの公民館の外壁とも相俟って、『可愛い』印象である。



その『可愛い』公民館と土俵の近くには、これまた『可愛い』橋がある。



橋を渡れば、湯湾のメイン・ストリート、県道79号線。
宇検郵便局奄美信用組合の支店、ガソリンスタンドの他、各種の商店や理・美容店が並んでいる。
独特なものでは、石原久子民謡教室が、家並みのはずれに看板を出している。
また、県道からすこし奥まったところには、宇検村役場もある。



しかし、いくらなんでもメインストリ-トがあれでは狭すぎるということだろう。
海側に新しい県道が造られようとしている。



例によってどこかに集落全体を俯瞰できるところはないかと、役場の横に道を見つけて上ってみた。



宇検村役場のすぐ横の辺りに見事なハイビスカスを見つけたが、しばらくしてふたたび訪れた時にはきれいに伐採されていたのには苦笑するしかない。
この道は湯湾岳展望台に至る村道の支線なのだが、建設省道路管理局の地図(非売品。知人にコピーしていただいた)を見ると、昔はこちらが本線であったようだ。
すこし上ったところに展望台のような場所を見つけてバイクを停めてみた。



敷き詰められたように松葉で埋まったそこは、なにかの記念碑(詳細は失念)が建てられた公園で、いつの間にか足許では二羽のヒメアカタテハが戯れている。
近づいても逃げないどころか身を捩りながら草の葉に下腹部を擦りつけている。
ということは、産卵しているのだろうか?(撮影は平成18年7月23日)

つづく


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焼内湾彷徨 拾七

2007年01月23日 23時24分32秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾六よりつづく。

焼内湾を巡る旅とは、すなわち宇検村の海沿いの集落を巡る旅である。
今回は、宇検村の行政の中心である村役場がある、湯湾(ゆわん)集落を紹介する。



焼内湾のもっとも奥に流れ込む河内川(かわうちがわ)の河口部は、その昔、マングローブ林の広がる干潟だったという。



干拓事業が行われた時期は判らないが、干拓事業の大義名分としてはおそらく「無用の干潟を水田に」というものではなかったか。
ちょうど、諫早(いさはや)湾のように。



現在、干拓された地域は全国的な農業構造の変化もあってか、村営の陸上競技場(宇検運動公園)とその付帯施設、ブランド名『れんと』で有名な奄美大島開運酒造の施設の一部、奄美大島開運酒造が運営する〔開運の郷・やけうちの宿〕と、警察、消防の施設等によって占められている。



写真は、宇検村が運営する準天然温泉〔やけうちの湯〕。
温泉が湧出しない奄美大島では、自治体が運営する準天然温泉(この定義は、未だによく判らない)が、奄美市笠利町赤木名、奄美市住用町見里、そしてこの宇検村湯湾の三箇所があり、たいへん人気があり、個人的にも奨めたい。
ちなみに、すぐ隣に〔やけうちの宿〕のレストランがあるが、男性は避けた方がいいかもしれない。
味に関しては不満はないが、決定的に量が足りない。
生姜焼き定食を食べたオレだったが、「そばも頼んでおくんだった」と、深い後悔に包まれてレストランを後にした記憶がある。

今回、文中に宇検村や奄美大島開運酒造に関して非難するかのごとき印象を与える部分があるとすれば、ひとえにこの「腹八分が健康にいいってのも判るけど、もうちょっとガッツリ食わせてよ、ねぇ」気分によるものと理解していただければサイワイである。

湯湾の話、まだ続きます。

つづく


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焼内湾彷徨 拾六

2007年01月20日 23時59分59秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾六よりつづく。

奄美大島の西北部に深く切れ込む焼内湾を、ほぼ反時計回りに巡って、七番目の集落が須古である。
宇検村の、焼内湾沿いの集落は全部で13になるので、ちょうど旅の中間点になる。
このシリーズも、だいたい半分を越えたとお考えいただきたい。



マンホールの蓋も、いつしか『宇検中央』になっている。



須古集落の公民館と土俵は、集落の少し奥まったところにある。
左に建っているのは公民館の(?)落成記念碑。



須古集落の神社は、人家からすこし離れたところにある。



鳥居の建立は昭和60年。
小ぶりな社殿も同じくらいに建てられたものだろう。
それ以前はどんなものだったのだろう?



神社の、鳥居の前を通り越して、さらに奥へと進むと古い墓地がある。
これらの事実から、いろいろと考えることはあるのだが、半端な戯言を並べ立てるのはやめておこう。

つづく


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焼内湾彷徨 拾伍

2007年01月16日 23時14分16秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾四よりつづく。

前回、部連(ぶれん)集落に到達したオレは、集落の最奥部にて、その秘められた歴史の一端を見事に解き明かした(ことにしてください)。
しかし、そんな歴史研究はこのBLOGの目的の一部でしかない(主眼にするほど知らないし)。
集落の中心部に戻ったオレは、別なルートから部連集落の全景を眺められる場所を求めて山へと分け入っていくことにした。
前回で紹介した、部連集落の共同霊安所の横からはじまる道である。



「県道よりも立派」な舗装道路は、かなりの角度で登っていくが、山の南側斜面を行くためか、明るく、景色よく、路傍には花や蝶などが目を楽しませてくれる。
「広く走りやすい道」は、この分岐でおわる。
ダート走行が出来ない向きは、左の細い道を行くといい。
かなり荒れた道ではあるが、3kmほど(あまり確かな記憶ではない)舗装路が続き、NTTの中継施設に至る。
途中、それほど眺めがいいわけではないが、適当な個所で停めてエンジンを切れば、野鳥の声が楽しめる。



一枚目の写真で広く見える道は、ガードレールの切れるところで早くもダートになる。
しかし、しばらくはフラットかつスムースな路面で、アップダウンも少なく、初心者でも安心して走行できる。
途中からは登りは急坂に、入り組んだ坂道はブラインドカーブを多く孕むようになるが、景色を楽しめる程度の速度であれば問題ないだろう。



そうして辿り着くのは、〔宇検中央1号線林道〕である。
この林道に関しては、いずれまたあらためて紹介しようと思う。





合流点の付近をすこし散策してみる。
アサギマダラとサキシマフヨウが、南の島にも秋があることを教えてくれる。

つづく


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焼内湾彷徨 拾四

2007年01月13日 02時45分54秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾参よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を巡る今回の旅は、六番目の集落である部連(ぶれん)に到着した。
焼内湾の南岸の各集落をつなぐ県道627号線は、おそらく元号が平成になってから付け替えを含めた大改修を受けているものと思われる(一部は現在も改修中)が、
その際に部連では、県道は集落前の海を埋め立てた部分を通ることになった。
現在、県道から部連集落内に入るには、短い下り坂をバイパスを降りるようにして下っていく。
平田集落方面から来たら、土俵を通り過ぎたところで曲がれば、部連集落だ。



速度をぐっと落として、集落の中へと進んでいくと、《部連集落生活資料館》がある。



と、紹介すると、イカにも中まで入ったかのように思われるかもしれないが、横の窓からちらっと眺めただけである。
その一瞥の印象からあえて申し上げれば、所謂B級の香りが強く匂い立つ施設である。
-いずれ、あらためてネタにさせてもらおう。



土俵(すぐ隣には公民館がある)の筋向いに位置しているのが、部連集落の共同霊安施設である。
過疎化が進み、墓地があっても墓参が出来ない家系が増えたためであろうか。
ちなみに、部連集落の古くからの墓地は未だ健在で、定期的に清掃も行われている様子である。



建てた当人は案山子(かかし)のつもりだろう。
いや、こいつが見張っているのが島バナナの畑であることを考えると、夜間などに想像以上の威力を発揮しているのかもしれない。
奄美群島で島バナナと呼ばれているのはモンキーバナナの一種であり、安定栽培の難しさから希少価値が出て、30~50本ほどの一房が店頭価格で一万円以上、時には二万円近い値がつくこともある。山形のさくらんぼと一緒で、カラスよりもドロボーが怖い、ということである。
いずれにせよ、生垣の角を曲がったところで出くわすと、多少は驚かされる案山子ではある。



果樹園も畑も尽きたところにぽつんと立つ建物が、部連集落の祭祀の建物である。
この際だから思い切って神社と言ってもいいだろう。
物置にしか見えない?
たしかにそのように見えないこともない。
しかし、建物自体が切り妻造りであること、切り妻屋根の両端に千木があることで、これが神社建築を規範とした建物であることが断定できる。
さらに近づくと、つい最近、祭礼があったのだろう(撮影は平成18年10月13日)、扉の手前には祭礼に使われる清めの塩や焼酎の小瓶が落ちている。
残っているものがあれば、貰って行こうか?
神様のお流れである、悪いはずがないと気付いたのはあらためて写真を眺めた先ほどである。

つづく


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焼内湾彷徨 拾参

2007年01月09日 23時24分58秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾弐よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を巡る旅は名柄(ながら)集落の二回目です。
前回では、集落の中でトタン屋根の高倉を眺めていたら、通りかかったオバに
「あっちで新しいのを建ててる」
と教えて貰ったところまでの報告でした。



教えてくれたのはだいたいこちらの方角だろうと歩いて行くと、生垣の間に巨大な高札が建てられている。
内容に関しては、↑の画像をクリックして大きめの画像で確認していただきたい。



くだんの高倉は、その高札の向こう側にあった。
しかし、これがそうなのか?
高倉というのは、倉(くら)が高い位置にあることを言うのではないのか?
なんか、四阿(あずまや)みたいだし。



振り向くと、すぐ横を流れる川にはカモが歩いている。
かなり人に慣れているのか、しつこいほど撮影しても動ずる素振りも見せなかった。



県道に戻って少し進むと、道の脇にガジュマルに囲まれた小さな空き地。
近所の子供たちの遊び場なのか、ブランコもある。



足許を見ると、動物の巣穴なのか、けっこう大きな、深い穴が開いている。
煙草をやめているので、比較の対象には運転免許証を使ってみよう。



大人の握りこぶしが裕に入るほどの穴だ。
穴の主は外出中なのか、それとも既に遺棄されてしまっているのか、覗き込んでもなんの気配も感じられない。

つづく


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焼内湾彷徨 拾弐

2007年01月06日 10時26分52秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾壱よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を反時計回りに巡る旅は、名柄(ながら)集落に至った。



名柄は、これまでに紹介した4つの集落(佐念、平田、阿室、屋鈍)が点在する半島部への入口であるばかりでなく、瀬戸内町の久慈(くぢ)集落へと至る峠道(「カンツメの碑」は、峠の最高点付近にある)への分岐点である。



宇検村では、役場のある湯湾(ゆわん)しゅうらくと並んで大きな集落であり、県道沿いには名柄小・中学校名柄郵便局等がある。



その小・中学校の正門の向かい側を入ってみると、ここにも立派な屋根付きの土俵がある。
柱の色分けも、手前から時計回りで白、黒、青、赤の順で、他の集落と同じである。
これは宇検村の標準仕様なのか?
正解は、もうすこし先で述べさせてもらおう。
なお、右端に見える消防車も、他の集落と較べて大きいのが見て取れる。



集落を、さらに奥へと歩いていく。
藁葺き屋根の、文化財として保護されている高倉も悪くはないが、近年になって造られたトタン屋根の高倉も、けっこうどうして捨てたものではない。
写真を撮っていたら、近所のオバ(奄美で、年配の女性を総称していう)が二人、やってきた。
かるく会釈をすると、「あっちの家で、新しいのを建ててる」という。
なんでも「こないだの大風で飛ばされた」から新築しているのだという。
後日、調べてみると7月9日に瞬間最大風速22.7m(名瀬測候所観測)の強風が吹いているので、その日のことであろうか(撮影は7月16日)。
オバたちが指差す方へ行ってみることにした。

つづく




ところで
さんから、『宇検村名柄の釣りワンポイントアドバイス』をいただいています。
コメントをご覧ください。
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焼内湾彷徨 拾壱

2006年12月26日 23時58分11秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 拾よりつづく。

奄美大島の西北部、宇検村(うけんそん)の焼内湾の岸辺を巡る小さな旅は、四つ目の集落である佐念(さねん)へ辿り着いた。
奄美大島で『さねん』といえば思い起こされるのが、方言で「さねんばな」と呼ばれるゲットウだ。
佐念と「さねんばな」のあいだにナニか関連性があるのか不明にしてオレは知らない。
どなたか奇特な方がコメントしてくれることを期待して、とりあえず話題だけ振っておこうと思う。



門の如くそびえる二本のガジュマルの奥に建っているのは佐念の公民館。



公民館の裏手へ回り込むと、立派な屋根つきの土俵がある。
ビニールシートの上にアルミ製の脚立が置かれているのは、重石がわりか、それとも天井の蛍光灯を交換したのか。



そのまま真っ直ぐ振り返ったところに、「がしゅっがしゅっ」と音をたてて水が迸っている。
地下水なのか?
とりあえず手を洗い、ひとくち飲んでみた。
うん。なかなかのお味ですな。



佐念もまた、人家は集落の中央部に密集している。
その人家の途切れた個所の道を辿ってみたが、小さな川に沿って果樹園が尽きるところで行き止まりとなってしまった。
小さな赤い実も付けたこの花はなんというのか、強烈な色彩が佐念の記憶となって残った。

つづく


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