ヒヨちゃんが行く!

松本市在住「大平滋子」の写真と詩のブログ

アースカラー

2010-11-30 | アート
たくさん撮りためた画像を
10月1日から、
半月毎に開いてみました。

驚くほど、光の色が変わっていました。
緑の葉が赤くなり黄色くなるのは
致し方ないとして、
空気の色まで変わって見えるのには
驚きました。

写真は今朝の一葉。
どこかアースカラーになっています。

それにしても、なぜ、
こうした色をアースカラーというのでしょう。
地球は青かったし
水の惑星であるし、
緑の惑星ともいうのに、
アースカラーは大地の色です。

その15分

2010-11-29 | アート
朝、目が覚めると、
テーブルに朝日が射し込んでいました。
日の傾きが大きくなって
家屋の奥まで日が届くようになったのです。

光の中にりんごを置きました。
りんごがキラキラ見えました。
りんごの後ろにレフ版を置きました。
りんごはますますきれいに見えました。

用事があって15分、席を立ちました。
テーブルに帰ってくると、
もうりんごに光はありませんでした。

その時を捉えられなかった思いが
悲しく広がりました。

クリスマスがあふれる町で

2010-11-28 | アート
クリスマスがあふれる町で
正月というのは何時くるのかと
ぼんやり考えていました。

日本人のオフは
クリスマスの始まって、正月三が日で終わると考えると、
正月というのは、もはや仕事モードで
むかしのようには楽しいものでもないのでしょうか。

何かが始まる象徴は
人々の心をワクワクさせます。
それが、この国ではクリスマスになった?

とにもかくにも、
町にはクリスマスカラーがあふれています。
赤と緑と、金と銀と白。
針葉樹の森を歩く感覚で、
その色を見ています。

クリスマスを祝う人は、おおむかし住んでいた、
ギルガメッシュの森を見ているのかもしれません。
切り倒された大杉。
切り倒すことで活路をえた人類の歴史。

このころを境に日が長くなり、
復活祭の色を帯びる冬至、クリスマスですが、
強くなり始めた太陽を拝む、元旦はまた、
この国の色かもしれません。
黄金色。秋の稲田色。
画して、正月はお仕事モード・事始?
えらい時代だなあと、
ぼんやり考えていました。

雪を思う朝

2010-11-27 | アート
どこか湿度を感じる朝です。
雪が降るよと
ささやくような朝です。

いろいろな町に住みました。
それぞれの町に
それぞれの湿度がありました。

驚いたことに
臭覚がそれを覚えていて
生まれた川を遡上する鮭の感慨は
こんな感じだろうかと
思ったこともあります。

11月もくれはじめ、
残すところ数日となりました。

粉雪の無防備なままに落ちる姿を
鉛色の空に
空の湿度に
感じる朝が近くなります。

光景が記憶とともに輝いて
それは五感を緩やかな螺旋階段に誘います。
すべてが巡り合う時間。
でも、けっして、同じ段を踏んでいるのではない、時間。

残りバラ

2010-11-26 | アート
霜も幾度も降りて、
それでも、バラの花は咲きます。
それはたぶん、
この花の強さなのでしょう。

日中の暖を集めて、
わずかずつですが、
ツボミが展開していきます。
日本蜜蜂がやってきて、
花芯に身をうずめます。
花芯は受粉すると
おしべが黄色から赤く変わるらしく、
 (ツボミのうちに家に取り込むと、花芯は黄色のまま)
子孫を残す心がけも万端のようです。

それでも、この寒さですから、
展開した花びらの先の痛みが目立ちます。
いえいえ、夏場は三日で終わる、
開花から花の終わりまでの周期が
一週間以上に伸びた影響かもしれません。

いずれにしましても朝の光に、
神々しく輝いて見える、
残りバラなのでした。

言葉

2010-11-25 | アート
時々、自分自身を自戒します。
媚びを売るような言葉、
これはいただけないと。

面白いことに、
本心から出た言葉でないと、
魂が漂ったような、
そんな言葉になって
人に伝わってしまいます。

そして、そうして発した言葉は、
その時の自分自身を心地よくするらしく、
何度も繰り返し会話に登場したりします。
魂は遊離しているのに、
言葉だけが踊っている。
それなのに、自制することもできずに、
その言葉に酔っている。
後で思い返すと、ぞっとすることがあります。

丁寧に生きなさいと、老人たちは諭しますが、
丁寧に話しなさいもまた、私の生き方をあらわす実質の一つです。

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写真は今日の黄昏です。


鋼鉄

2010-11-24 | アート
折曲がった光が
ビルの谷間を抜けて
足元を照らし出し

折曲がった風が
ビルの谷間を走り
コートのすそから吹き上がる

赤く熟れたリンゴに
口づけるように
剥がれ落ちた木の葉が顔に当たる

長いブーツ
長い影
長い夜に

折れ曲がった半島の
悲しみと怒りが混じった
涙が零れ落ちる

好きなのに嫌いだと
嫌いなのに好きで
ちぐはぐな思いと策略が苦悩を運んでいる

祈ることしかできない
この鋼鉄の町の中で
無力な私

イルミネーション

2010-11-23 | アート
イルミネーションの美しい季節になって
町が一変します。
夜が長くなったので、
光をめでる時間が長くなるからでしょうか。
はたまた、人は光をほしがるからでしょうか。

黄昏始めた空に たくさんのクリスマスを告げるイルミネーションがあふれ、
雨の路面に映えていました。
そう、この画像は昨日のものです。

ロシアの民謡に灯を歌ったものがありました。
灯に人は誘われ、
たった一本のろうそくの光に
人は救われる。
そんな歌詞だったように記憶しています。

あふれ出した光に、幾重にも囲まれ、
ほんとうはたくさん救われているはずなのに、
世の中には不安や恐怖や戦争が・・・
北朝鮮の砲撃、韓国軍の応戦。
きな臭さがどうか、
多くの悲しみを運ぶ前に、
解決をしてほしいと、灯に願いを掛けるのです。

猫じゃらし

2010-11-22 | アート
猫じゃらしには大変お世話になりましたが、
もう、枯れ枯れの姿になってきました。

猫じゃらしの美しさを写真に収めるには、
7月から8月ぐらいがよいかもしれません。
花穂が上がりだして、若々しく、
透明感のある緑色の写真が撮れます。
やや赤みのかかった品種は、
9月ごろの色づきに透明感があって美しく思います。

その後は、射光の中の猫じゃらしを
たくさん撮りました。
シルエットも美しい草です。

でも、さすがにこれだけ枯れると、
光を透過しなくなります。
それは、霜の当たった後のことで、
身体に水がなくなっているのです。

抜き取れば、それなりの重さのある猫じゃらしの、
もう軽々と持ち上がる、その軽さに、
秋が終わっていくことを
痛切に感じた朝でした。

縣の森

2010-11-21 | アート
縣の森のカモたちです。
ドウダンツツジも1/4は葉を落とし、
桜はその大半、
ケヤキも95%ぐらい
モミジはところどころで、きれいな木がありました。
でも、大方は落葉済み。

もう、モミジを狩るシーズンでもなく、
カモたちが所狭しと池に浮かんでいました。
プカプカについていた綿毛も
今ではすっかり冬毛になって
どのカモもきれいに見える秋の日です。



カメラの操作を誤って、
高コントラストになってしまった画像を
自動補正などして見ましたら、
取り返しのつかない画像になってしまいました。
カモがデコイのように見え、
池はアクリル樹脂で出来たかのように見えるのですから、
弱りものです。
もっとも、水が澄んできておりますので、
空も森も人も、一等美しく水面に映えていました。
カモたちが立てる波紋の輪で
それらが幻想的に見えるのがまた、
素敵なのでした。
冬日の優しく見える、そんな公園です。