暇な月日をだらだらと・・・・・爺々放談   Since 2009.01.01

  日々の生活の一部、散歩などをコラム風に
       ~ my winding road ~

旧東海道「藤川宿」に行ってきた

2014年02月24日 15時07分33秒 | 近くの名所・旧跡・催し
朝から騒がしくて・・・

前回は「本宿」を紹介したので、今回は次の次の宿場「藤川宿」に向かって 自転車を走らせた

もちろん暇なので、藤川宿に行くのも自転車、大回りして?の輪行だ
矢作川の西岸を南に下り、美矢井橋を渡り、岡崎南公園を横目で見て、県道326線に合流、327号線を経て国道1号線に・・・
327号線の途中からは旧東海道になる 全長は3.2kmもない
327号線の東の終点は旧東海道の藤川宿の東の入り口、見附だ・・・

名鉄線、本宿駅と藤川駅の間にある 名電山中駅を出て国道1号線を渡ると
まず、田舎の田んぼの中にはそぐわない?常夜燈が建っている、と同時に朱色の大鳥居が目に飛び込んでくる

(なぜ常夜灯が片方にしかないかは・・・自分で調べて ) 

山中八幡宮の入り口だ


薄暗い木立の中の階段を登っていくと・・・


社殿が・・・


徳川家康公が隠れたと伝えられる穴は・・・社殿の左側下に


永禄6年(1563年)に起こった三河一向一揆の戦いで、徳川家康が敗れて逃げ隠れた洞窟といわれている。
追手の兵がこの中を探そうとしたが、洞窟から白い鳩が2羽飛び立ったので、
追手の兵は「人のいる所に鳩などいるわけない」といって通り過ぎ、家康は難をまぬがれたといわれる。

鳩ヶ窟と呼ばれている


幼少の頃から本宿にある僧行基が開山したと伝えられる法蔵寺にしょっちゅう通っていたので
案外知っていたのか、味方の人が教えかくまってくれたのかも知れない
「ここには居ない」と言った人物は、そののち家臣になったそうな

家康が命拾いをしたという事で、郷氏の建てた八幡宮もより立派になったのだろう

少し西に行くと・・・藤川宿の東の入り口


歌川広重が描いた東海道五十三次の浮世絵は、ここら辺りらしい


この道は・・・なんとなく旧東海道のような雰囲気がある・・・が、結構車は通る


格子戸が取り付けられている民家も少しだが残っている


建設中の本陣跡・・・公園にでもしそうな雰囲気


途中、松尾芭蕉や歌川豊廣の句碑もあったが・・・コレを見て「行ったつもり」になられても観光大使としては困るので 


名鉄本線の踏切を渡ると・・・藤川の松並木


次は岡崎宿なのだが・・・それなりに書いているので・・・時々書くことにしよう

帰るついでに 大岡越前守の領地跡に行った・・・西大平藩陣屋跡 越前守は江戸から戻って来た事はないらしい
実は、会社の元同僚の家に行く途中にあるから・・・本当についでだ、同僚に会うのも 


ここも「岡崎観光きらり百選」で建設された屋敷だ
見るべきものは・・・何も無い
国道1号線沿いに、古びた大岡越前守屋敷跡・・・と書かれた石碑が在ったのだが・・・ほんの少し、道がズレていたので ヤメタ

屋敷跡近くの大平一里塚


約10年ぶりに会ったが、運動しているせいか意外と老けていなかった 

名電山中駅から 急行の止まる美合駅まで約6.5km 歩いてもたいしたことは無い
また、藤川駅を中心に歩き回って、「道の駅」で買い物をして帰る手もある

今日の輪行の距離は 約37km・・・たいしたことは無い  
コメント
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