タイトルの金曜日の午後は、草月でお世話になっている先生が
釜にお湯をかけていらっしゃるということで訪問しました。
先生はお茶の先生でもいらっしゃいます!
お茶に関して全く無知のOMUですが、あたたかく迎えて下さいました。
薄茶と唐物のお点前を拝見し、美味しいお菓子とお茶も頂きました。
ご一緒したMさんが面白おかしく色々とご指導下さいました。
もう少し年を重ねてゆっくりできる時間が持てた時に
日本の古い文化に触れながら、ゆっくりと流れる時間を楽しめるといいなぁと
心から思うのでした☆
***
日本美術史のおさらい。。。
お茶といえば千利休ですね。
千利休といえば桃山時代ですが、
この桃山時代は、
芸能の名前にもなっている「かぶき」のデザインが作られた時代です。
(かぶきとは「傾き」とも書き、当時異様な身なりや常軌を逸した自由な行動を示す)
「かぶき」のデザインとは、金と黒を基調色として対比させるデザインで
建物や工芸品や絵巻や屏風などに使われました。
(画家では狩野永徳などが有名です。)
織田信長は室町将軍の唐物数寄を受け継ぎ、茶の湯にも熱心で千利休を召し抱え
利休は金と黒のうち、黒の領域を追求しました。
また唐物の完璧さとは違う種類の美を求める志向もありました。
(おさらいしていて、これが先生がおっしゃってた侘数寄かな?と思いました。
この辺り、興味が薄くてウトウトしながら勉強してたので今日の折角の話題についていけず。。。涙)
例えば、「伊賀耳付水指 銘破袋」は長時間焼くことによって器の下半分が変形し
縦横両方に大きなひび割れが出来ています。
偶然に生じるこのような歪みやヒビを面白いと評価する美意識が登場したと言われています。
***
縄文時代から弥生時代に移ったときのことを思い出しました。
この二つの時代の大きな違いは、日本固有の文化か、百済から
美術品が入っているかです。
弥生時代にはろくろを使ったような洗練されたデザインの器が百済から
持込まれ、デザインはどんどんと洗練されていきます。
でも、不思議と縄文土器の素朴な感じの器が私は好きだったりします。。。
こんな感覚が桃山時代から江戸時代初期に人々に湧いていたのでしょうか。。。
とか思いを巡らせて楽しんでしまいます♪
釜にお湯をかけていらっしゃるということで訪問しました。
先生はお茶の先生でもいらっしゃいます!
お茶に関して全く無知のOMUですが、あたたかく迎えて下さいました。
薄茶と唐物のお点前を拝見し、美味しいお菓子とお茶も頂きました。
ご一緒したMさんが面白おかしく色々とご指導下さいました。
もう少し年を重ねてゆっくりできる時間が持てた時に
日本の古い文化に触れながら、ゆっくりと流れる時間を楽しめるといいなぁと
心から思うのでした☆
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日本美術史のおさらい。。。
お茶といえば千利休ですね。
千利休といえば桃山時代ですが、
この桃山時代は、
芸能の名前にもなっている「かぶき」のデザインが作られた時代です。
(かぶきとは「傾き」とも書き、当時異様な身なりや常軌を逸した自由な行動を示す)
「かぶき」のデザインとは、金と黒を基調色として対比させるデザインで
建物や工芸品や絵巻や屏風などに使われました。
(画家では狩野永徳などが有名です。)
織田信長は室町将軍の唐物数寄を受け継ぎ、茶の湯にも熱心で千利休を召し抱え
利休は金と黒のうち、黒の領域を追求しました。
また唐物の完璧さとは違う種類の美を求める志向もありました。
(おさらいしていて、これが先生がおっしゃってた侘数寄かな?と思いました。
この辺り、興味が薄くてウトウトしながら勉強してたので今日の折角の話題についていけず。。。涙)
例えば、「伊賀耳付水指 銘破袋」は長時間焼くことによって器の下半分が変形し
縦横両方に大きなひび割れが出来ています。
偶然に生じるこのような歪みやヒビを面白いと評価する美意識が登場したと言われています。
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縄文時代から弥生時代に移ったときのことを思い出しました。
この二つの時代の大きな違いは、日本固有の文化か、百済から
美術品が入っているかです。
弥生時代にはろくろを使ったような洗練されたデザインの器が百済から
持込まれ、デザインはどんどんと洗練されていきます。
でも、不思議と縄文土器の素朴な感じの器が私は好きだったりします。。。
こんな感覚が桃山時代から江戸時代初期に人々に湧いていたのでしょうか。。。
とか思いを巡らせて楽しんでしまいます♪