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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月30日 

2014-01-31 | Weblog
人気グループのKARAが解散するということで話題になっている。
特に日本でその最後のコンサートを行ったことが、向こうのファンのいかりをかって問題になっているそうだが、今むこうは大統領にも見られるように反日を政治的に利用しているが、しかし意外と日本が好き、日本人が好きだという人たちも少なくはない。
日本人はあまり自分たちのことをわかっていないが、しかし日本人は世界ではかなり信用があるし、愛されている。政治レベルではどうかわからないが、しかし我々のような一般てベルでは必ずしも政治で見られるようなことはないのだと思う。
今高校生の子に韓国語を教えているが、その子が来年の夏に旅行で向こうに行く予定をしているという。私が家族で行くのだったら通訳ができたらいいねというと、それまでがんばっておぼえると言っていた。
向こうの人間は自分の言葉に非常に誇りを持っている、だからこっちがその言葉をつかうと非常に喜ぶ、英語なんかは共通語で話すのは当たり前だが、しかし韓国語は違う、カタコトでも話せばずっと親近感が増す。政治ではどうかわからないが、我々一般レベルの交流ではやはり言葉による交流というのが大事で、韓国人があれだけ反日をかかげていても徹底して嫌われないのは、彼ら彼女らが日本語を話し、その文化を理解しているからだ。
韓国では高校の時に第二外国語を勉強する。80パーセント以上の人が日本語を選択するそうだが、それは文法が同じで興味があるからだ。
日本は最近英語教育に力を入れているが、しかし第二外国語教育というのは重要である。私の経験上この第二外国語から得られるものは大きい、私は宗教学の勉強をしていたのだが、宗教学というのは語学をたくさん学ばなくてはならない、私が勉強したのはギリシャ語やラテン語、そしてドイツ語である。ヨーロッパ圏の言葉というのは古くなればなるほど難しい、何が難しいいかと言うと格や動詞、名詞、時制、さらに関係代名詞までさえも、その人称、女性名詞、中性名詞、男性名詞などとそれぞれ形が違う、いわゆる変化があるからだ、ギリシャ語なんていうのは変化がいくつもあって、その言葉の原型が一体何なのかということさえわからないような変化も少なくはない(おかげでロゼッタストーンが読める、最初にある言葉はΒασιευs日本語で王だ)こういう言葉をやったら、ドイツ語なんてそう難しい言葉ではないと錯覚する、英語なんてなおさらである。
さらに第二語学教育は英語とは違う言葉を習わすことで、さらなる視野がひらける、これからはバイリンガルが当たり前になってくる、そのアドバンテージをとるために他の言葉も勉強してみたらどうだろうか。


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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月29日 

2014-01-29 | Weblog
寒さに慣れてきたのかトレーニングの回数が増えてきた、新しい人の入会も多く、たいへんありがたいことである。
ブログでも書いたが、あくまでここは社会人中心のボクシングフィットネスクラブである。
英語的にはフィットネスボクシングと言う言葉をつかっていることが、特に試合目的でやっているのではない、健康維持目的だということなのだが、事実ここからも試合に出る人はいるが、そのほとんどの人は最初から試合などしようなどとは思っていない、健康維持やダイエットが目的である、ただ続けてみておもしろいと思ったから、じゃあやって見ようと思って試合に出た人がほとんどである。
ボクシングというのはなぐりあうスポーツなので、少々敷居が高いが、しかしここではレベルのあわせてできるし、上級者の人があわせてやってくれるので、レベルに関係なく安心してボクシングができると思う。

また社会人の集まりなので、素行のわるそうな人間は入会させないことにしている。
このことに関してはボクシングというのはそういう人間をひきよせやすいので、かなり警戒している、ちょっとした犯罪がおこったようなところもあると聞いているので、おそらくそういうところはそういう人間が集まりやすいのだろう。ここはそういうことを徹底しておこらないようにするために、注意している。
しかし中にはあいさつができて返事ができても、アウトローくさかったり、なんかちょっとおかしいなというようような人間もいる、所謂こういう世界では順応できるが、社会ではアウトロー臭い生き方をしているというような人間もいるので、よく見なくてはいけない、一般の社会人が安心してトレーニングできるように常に注意を払っているので、安心してきてくれたらいいと思う。

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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月27日

2014-01-28 | Weblog
ここ何週間は新しく入会してきた人が多く、若い人の入会も目立つようになってきた。
若い人の指導はトレーナーにまかせているのだが、私はおもに健康維持とダイエットの人を指導している。
オリーブボクシングクラブで重要なのはバランスである。このクラブはほとんどの人が健康維持やダイエットが目的で中にはボクシングに興味がまったくないという人もひとりやふたりではない、それでもやっているうちに多少は興味がでたという人もいるが、基本的にはそういう人でもここに来て堂々と楽しく汗を流してくれたらいいと考えているが、ここにはボクシング的なものは一切かざってはいない、向こうでもらったメダルなどはもちろんのこと、暑苦しいボクサーのポスターやルールを箇条書きにしたもの、あるいは出席表みたいなものなどはない。
特に中学生でもあるまいし、ルールを箇条書きにするなんていうのはバカげてる。しかもそれなりの地位にいる人たちにそういう箇条書きをはるのは、バカにしている失礼である。
ここで願うことは会員の人ひとりびとりが楽しく、充実してトレーニングができることである、クラブのメンツや日本語がまともにはなせない、敬語を正確に使えないような人間がつくったようなルールや礼儀というのはBullshitである。会員が安心して楽しくトレーニングできる、そのため人選もしているが、オリーブボクシングクラブを健全に運営するためには、必要なことである。

チルソの夏を再び見た、この映画は当時の日本と韓国の様子をよくあらわしている、韓国語を教えている高校生の子に「君たちは知らないだろうが、今気軽にソウルに行って買い物ができるが、しかしそういうことが気軽のできなかった時代があるんだ」たぶんチルソの夏をみたらわかるよとすすめたのだが、今私が不安なのは、再びあの時代に戻ってはしまわないかということである。今インターネットなどで韓国人に対して、たくさんの抗議の内容の動画や文章が出ているそうだ。私が言うのも何だが、確かに80パーセントは向こうがまちがっている、100パーセントという人間もいるだろうが、しかしそうだからと言ってすべてを否定して、どこかのコメンテーターみたいにあんな国はいらんと切り捨ててしまうのはどうか、例え政府が切っても切れない人間がいる、ひょっとしたら韓国語を教えるというだけで襲撃されるんじゃないかと思っているが、そうならないことを願っていると共に、日本人はそういうことはしないと信じている。






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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月22日 

2014-01-23 | Weblog
昨日はマスボクシングを楽しくした。
ボクシングはこういう実戦的なことがかかせなく、むしろ実戦を通して上達していくのだが、マスボクシングをする時の注意は次のとおり。

1ヘッドギアとマウスピースをする
2まず倒すことが目的ではないということを理解する。
3あてるマスはかならず指導できる誰かが見て、あつくなった時はとめる。
4二日酔いや体調のわるい時はしない
5つよい有効打がはいったらとめて場合によっては中断させる。
6がらのわるい奴にはさせない
まあがらのわるい人間は入会自体断っているが、ボクシングはけんかではないスポーツだということを肝に銘じて欲しいということである。
あとボクシングを競技して上達してきた人にも気をつかっている、それは競技していくうちにパンチに対してなれてしまうことだ。やりはじめて間もない人はいいパンチをうけると下をむいたり膝をつくこともしばしばである、おそらく危ないという本能がそうさせているのだが、しかしうまくなるとそうではない、根性とかそういう問題よりも倒れてはいけないという本能がはたらきついたえてしまう。特に上級者はつよいパンチでもたえようとするので、つよいのがあたったらそっこくとめたほうがいい。



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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月20日

2014-01-22 | Weblog
オリーヴボクシングクラブは、ボクシングクラブというよりもスポーツクラブに近い。
だからおもに社会人にあわせて、その雰囲気づくりをしているのだが、とにかくここに来たら、ストレスを発散させることができる、スポーツは楽しいと感じることができることである。
そのことを知ってくれているのかトレーナーもよくやってくれている、いろいろな人がいるここでスタッフをするということは、ある程度社会的な能力がなければつとまらないが、トレーナーは私から見ても能力があって信用できる、彼がいると非常に心強いことは確かなことである。
私はどちらかというと一匹狼、猫か?タイプなので群れたり、ベタベタした関係を持つことはしないが、しかし誰を信用できるかということは非常に大きいことで、クラブを運営していくことは重要なことだ。
そして会員の人たちも能力の高い人たちがいて、コミュニティの質は高いと自負しているので、はじめてきた人もまわりに気を使うことなくトレーニングできると思う。

私のブログはかなり多くの人が見ているのだが、前にある人が私の文章は、日本人の書く文章ではないと言っていた。
日本人はもっと遠慮して物事を書くらしいが、どうやら私のそれはそうではない、歯にきぬきせぬ物言いどころか、ダイレクトで、時々ドキッとするような表現は、たぶん大陸の人、その人は私が頭に韓国語で文章を描いて、それを日本語に訳して書いていると思っていたらしい。
たぶん私の表現は英語的であるというよりも、韓国語的であると思う、思ったことをあまりオブラートに包まない、ダイレクトに表現する、たぶん韓国人の評論家は私と同じようなタイプだと思うが、こういう文章がきらいでなければ、韓国人の評論家はおもしろいと感じるかも知れない。





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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月19日

2014-01-21 | Weblog
うちのクラブは社会人が多い、だからマスボクシングのような実戦的なトレーニングは3分でなく2分でやっているが、しかしとにかくこのマスはハードだ。
これを毎回繰り返せばかなり効果的なダイエットになるので、女性は女王様マスをやる人が多い。前に見学の人が女王様マスがおもしろそうだと言っていたが、やればけっこうおもしろい、最初は人をなぐるなんてと言っていた人も、慣れれば思い切りたたいているが、ふざけているようで少し緊張感のあるのが楽しい、この健康維持程度でやるマスボクシングはけがに気をつけて、やるときはヘッドギアを着用、体調のわるい時はやらないということをしっかりと念頭においてやってくれたら、誰でも自由にできるトレーニングだ。

最近スポーツ選手が英語でインタビューしているのを聞く、もうこれからは言葉を覚えるというのはスポーツ選手にとって、技術を習得することやルールを覚えるのと同じぐらい重要であり、クラブやジムなどのスタッフに英語を話せる人間がひとりもいないと言うのはかなり遅れていると言ってもいいと思う。
情報収集はもちろんのこと、日本のスポーツは精神面でかなり遅れている、肉体的な体罰あるいは精神的な体罰が容認されているのは人権を重んじない封建的な社会であるからだ。
指導者の多くは競技者に知性や学力なんて求めてはいない、どこどこのクラブは練習が厳しいが授業中は寝ているなんて言うのはよくあることで、勉強しなくても落第することなく進級できること自体、知力や学力を重視していない証拠である。
前にある会員がこういうクラブやジムというところはいろいろな人が来るのだから、ボクシングの肩書きよりも、責任者が英語が話せるとかフランス語が話せるというような特技を持っている方が安心してこれると言っていたが、こういう社会人やいろいろな人が集まるところはボクシングしかできないというような肩書きでは通用しない。当たり前だが、健康維持やダイエット目的の一般の社会人を相手にしているからだ。
まだまだボクシングは親玉がアホで、その取り巻きの質がわるいという集団が目立つ、親玉に人とまともに会話できる能力がなければ、そういう人間が集まってきて取り巻きになるのは当たり前だ。ジムやクラブというのは子供や社会人そして女性が集まるのだから、そういうところをもっと努力してレベルを上げて、精神的な質というかレベルを上げていくことが必要ではないかと思っている。

この前英字新聞にこういうことが書かれてあった。
「A woman wanta a man to protect her like a daugther, love her like a wife and respect her like a mother」
よくDVと言う言葉を聞くが、この被害者のほとんどは女性である。
オリーヴは暴力は絶対に容認しないボクシングクラブだ、力ではかなわない女性を暴力で支配しようとするのは一番下劣なやり方である。
ただおもしろいと思うのは、自分は弱いですということをうまくアピールして人を利用するしたたかな女もいることも確かなことなのだが、こういう女性がいるというのもやはり、男性が女性を弱いものと見ているからそれを逆手にとっているのだろうと思う。
日本の男はマザコンが多いせいか、スナック的な接待によわい、適当に持ち上げられて、あなたのことを気にしていますよと言わんばかりにメールを送るやりかたは常套手段であるが、こういうことに単純にペースにはまってしまうこと自体、女性を平等に見ていないのかも知れない。
現に日本は世界男女平等指数でかなりひくいほうである、日本人は仲良くしましょうと言うが尊敬することを知らない。
尊敬という言葉は英語でよくつかうが、しかしこの尊敬は恩師や先輩などを敬うということではなくもっとフラットな尊敬である。









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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月18日

2014-01-20 | Weblog
1月も後半になりかなり寒くなって来た、個人的にはさむいのはシロヨ(きらい)だ、この時期になるとどこか暖かい国にいきたいと思ってしまうが、本当にさむくなってきた。
寒い時のトレーニングはストレッチが重要である、筋などをいためないように入念にストレッチを行った方がいい、とくになわとびをとぶ前は、関節をいためてはいけないのでアキレス腱や膝などをしっかりのばして、けがの予防をしたほうがいいだろう。

欧米ではスポーツをシーズンごとにかえて競技する文化がある。
ボクシングだけではなく、野球をやるとかそれぞれ複数のスポーツを競技しているのが当たり前である。よく何とか道とか言う奴がいるが、こういう考え方はナンセンスでそのスポーツを小さくしている。
スポーツというのはたくさんの人に楽しまれなくてはならない、しかしそれを自分たちの価値観だけで、敷居を高くしているのは実に残念なことである。
たくさんスポーツをそのスポーツでしかえられないアドバンテージを得ることができる、日本人は型にはめて指導したがるが、しかし欧米ではいろいろなスポーツをやっているので型にはめることができない、だからいろいろなスタイルがあり、その特性を生かして競技している。
空手や柔道には型があるが、ボクシングは型がない自由なスポーツである、じゃあボクシングはどうやって上達するのかというと人のを見てコピーする、そしてコピーしながら自分のアドヴァンテージをいかしてオリジナルをつくるのだ。
上手い人がいるなと思ったら、その人をよく見てまねてみる、少々見ていてもここではどつかれたり、いやな顔をされることはないので、うまい人のを参考にしたらいいと思っている。




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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月17日 

2014-01-17 | Weblog
ここ最近かなり寒くなってきた、夜になるとかなり冷え込むがジムは活気があって、それぞれ楽しくトレーニングに励んでいる様子だ。
うちのクラブはここ最近ほとんど毎日のように見学者がある。この前うちの会員たちがトレーニングをしているのを見て「楽しそうですね」と言うので「彼らはコントじゃないですが」と言うとある会員の人が「こんな雰囲気でやっていたら、いかめしいところだったら出て行けと言われます」と言っていた。
しかしその会員の方が言うには、楽しく効率よく動けているそうだ、楽しくトレーニングできるので、かなりむだなぜい肉をへらしダイエットに成功したそうである。
しかし楽しくやるというのは、中高生のように集まって単にわいわいがやがややることではない、楽しくやるというのはその前提として個人のけんりというものが存在しその個人の権利を尊重してトレーニングに励むことができるから、楽しくできるのである。
社会というところは何も言わずとも、気をつかわなくてはいけない世界だ、時にはその個人の権利が顧みられずしんどい思いをすることもしばしば、そういう人たちがここに来て癒されたらいいと願っているのがこのクラブを設立した目的である。
だからここでは平等ということをなるべく徹底させている、気を使わなくてはいけない経験者がいたり、サルのようなヒエラルキーなど存在しない、初めて来ても誰も知り合いがいなかっても堂々とトレーニングできる場でありたいと考えるのがオリーヴスポーツクラブである。

今日ブログでも紹介した映画「チルソの夏」で「なごり雪」が主題歌として歌われていた。
歌詞はほとんど同じ内容であるが、しかしタイトルは「ポムソル(春の雪)」で、エインたちのわかれをおしむ歌である。
むこうでは桜はポッコッと言うが、雪がとけて春になろうという季節に桜は春の訪れを知らせるかのように見事に咲くわけであるが、その咲き方はいろそのものは決して目立たないが、しかし十分にその存在感を出している、この桜が日本人に愛されている理由が理解できる。
私は桜を見て綺麗だと感じる時自分は日本人だということを実感する、以前造幣局の桜を1時間近くじっと見ていたが、桜は自分と日本人を結びつけるアイデンティティのようなものである。






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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月15日

2014-01-15 | Weblog
今日は夕方から新入会者の人たちも来られて、かなり忙しくなった。
寒い日が続いているのでここに来るには少し億劫になるが、しかしそれでも仕事帰りに立ち寄りトレーニングに勤しむ、さらに中年層の人も積極的にマスに参加して楽しく汗を流している。
マスはおっさんと青年、おっさんと女性、青年と女性、子供と青年と組み合わせは様々であるが、思い切りたたいたり、叩き合う姿は非常に楽しそうで、これを機会にストレスを発散させてくれたらいいと思っている。

毎年この時期になるとソウルの気温が気になる、ソウルはこの時期はマイナスにもなる寒さで、体にこたえる、あるアメリカ人の友人がソウルの冬は耳がちぎれるぐらい寒いというようなことを言っていたが、たぶん体感温度は日本の冬の比ではないと思っている。
この時期毎年ソウルの友達によく言われるのが「寒いですからカゼに気をつけてください」である。いやいやお前が気をつけろよだが、しかし違う場所にいても私のことを気遣ってくれる人間がいることはありがたい、今いろいろと我々の間の関係には問題があるが、しかしそれでも我々はその関係をこえたチングである。

「My life didnt please me, so I created my life.」
はココシャネルが言った有名な言葉だ、彼女は自由奔放な生き方を好み、その何者にもとらわれない自由な生き方が成功にみちびいた。
直訳すれば「私の人生は私を満足させなかった、だから自分の人生を創造した」である。
ここでcreateを私は創造すると訳したが、このcreateのもとの意味はつくるであるが、しかしこのつくるはmakeの作るとかなり意味が違う、どう違うというのはmakeが材料から何かを作るのに対して、createのつくるはまったく何もないところからあるものをつくるということで、特にそれは人が思考力によって何かを考え出すときに使う言葉である。
人間の想像力というのは無尽蔵だ、しかもmakeのようにお金がかからない、しかしcreateしていくためには想像をかきたてる力が必要だ、その力をつけるために人間は学んで知識を蓄える、人と違うことをやって目だとうとしても、知恵や知識がなければただの滑稽で終ってしまう。
人間の成功には想像力は重要で、この想像力をどうやしない、どう使うかが問題だと思う。


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高知のボクシングジムMTオリーブボクシングクラブの日記 1月11日

2014-01-14 | Weblog
今日は体験入門もふくめて活気のある一日だった、休みが長く続いてなかなか腰が上がらなかったが、今日からいつも通りのジムに戻ったと思う。
うちは女性の会員が多い、毎日若い人から主婦層の人たちがジムに来て練習に励んでいるが、みんな結構楽しそうである、ボクシングだけできるという人間が幅を利かせるクラブではないので、社会人には非常にやりやすいと思っている。
オリーブボクシングクラブの目的はストレスの発散、スポーツというのは基本的に楽しむためにあるのだから、その娯楽を通して日頃のストレスが発散してくれればいいと思うし、そのストレスをどう発散させるかということに気をつかって運営している。
私がいつも愚かだと思うのは、この娯楽であるスポーツを修行の場にしている人間だ、俺はボクシングがあるからここまできたみたいなことをほのめかす人間だが、しかしその人間を見たらわかるが、そんなことにこだわって生きても意味がない、むしろ趣味として楽しむから個人の仕事や学業が生かされるのであって、それしかできないことを自慢する人間は安っぽい新興宗教の信者が救われた体験を語るのとそう変わりない、我々は仕事や学業が第一なのだから、むしろそれを生かすようなスポーツのやり方を学ばなくてはならない、それがスポーツをどう楽しむかということだと思う。

本田がミラン入団の会見で英語で答えていた。
彼の英語は完璧までとはいかないが、しかしかなり努力した結果が見られる、彼は海外で活躍するために英語を勉強していたそうである。
彼はインタビューの中でI thinkと言う言葉をつかうが、しかしこのI thinkと言うのは一般的にそう思うということで、自分の考えを述べるときはI believeをつかったほうがいい、believeと言うのは信じるという意味であるが、しかしむこうでは思うという言葉よりも信じるという言葉のほうが強い、これは文化の違いである。
韓国語で「ナヌン ハルスイッタ」という言葉がある、日本語で言うと自分はできる。
しかしこの自分ができると信じることは難しいことで、しかしこの自分を信じることができる人間が彼のように世界で活躍できる人間になるのだろう。





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