時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

時の旅人になるひととき

2014年01月04日 | 午後のティールーム






新年おめでとうございます
A Happy New Year for 802701 AD!
 

 今年はどんな年になるだろうか。かなりはっきりしていることは、昨年に続き激動の年が予想されることだ。新年の展開を占う期待の証券界も、1月2日のニューヨーク、香港株式市場は大幅な値下がりで始まり、早くも今後の多難を思わせる幕開けとなった。東アジアの政治状況も予断を許さない。

誰も分からない未来
 9.11以来、世界はかなりの乱気流に見舞われている。大きな出来事に限っても、未来を予測出来る人は実はいないのだ。予測できると思っていても、それは世界の変化のきわめて限られた部分にすぎない。確実なのは自分が立っている現在の一瞬のみだ。時はとどまることなく過ぎて行く。

 他方、われわれ人類が来し方、過去については比較的語ることができる。このブログが焦点を当てている時代のひとつ17世紀「危機の時代」の人々には、将来はほとんど予想することもできなかった。30年戦争では先を見通すために、せいぜい怪しげな占星術が使われた程度だった。魔女が空を飛んでいた時代でもある。しかし、現代から17世紀を振り返ることはかなり可能だ。これまで継承してきた情報が不十分ながらも蓄積されてきたことによる。だが、未来を知る情報は著しく限られている。

 もし考え得るとすれば、「タイム・マシン」に乗り、それを操縦して時空を移動するタイム・トラベラーが生まれるかにかかっている。タイム・マシンというと、やはりH.G.ウエルズ(1866-1946)の世界に戻りたくなる。アインシュタイン(1879-1955)とH.G.ウエルズは同時代人であり、1930年、ロンドンで開催されたある講演で、アインシュタインはH.G.ウエルズに対面し、深い尊敬の言葉を贈っている。二人とも世紀を代表する、とてつもない巨人であった。

 H.G.ウエルズ(しばしばH.G.と簡略される)は、管理人がかなりごひいきの人物でもある。子供のころ、家にあった『世界文化史大系』(北川三郎訳、全12冊)に、不思議な魅力を感じ、分からないままに深入りし、読みふけった。今でも写真、挿絵のあらましまで覚えている。しばらくして、この縮約版ともいえる『世界文化史概観』(岩波新書、1950年、現在の『世界史概観』も読んだが、概略すぎてあまり面白くなかった。歴史は細部が大事で興味深い。そしてもうひとつ、今回話題とするH.G.の『タイム・マシン』 The Time Machine は、SFの嚆矢ともいえる傑作だ。

 The Time Machineは、宇宙飛行士が存在する今日の世界の状況でみれば、稚拙にすぎない話かもしれない。しかし、1895年の社会においては、驚くべき斬新な発想に基づくものであった。そして、多数の言語に翻訳され、映画化もされた。管理人は原作を読み、映画も見ているが、H.G.の図抜けた才能と構想には驚嘆した。その後、H.G.の作品は一時期、かなりマニアックに読んでみたが、その数はあまりに多く、目を通したものは半数にも達していないと思う。


H.G.のタイム・マシン
 分かりやすいように、『タイム・マシン』 The Time Machine の映画化された作品の概略を記してみよう。(映画は未来社会で出会うイーロイという言語能力のない存在に会話させるなど、原作にいくつかの変更を加えている)。原作では主人公は単に The Time Traveller と呼ばれる当代著名な科学者としてしか記されていないが、映画ではジョージなどの名前で呼ばれている。





 1899年12月31日の夜、主人公の邸宅に晩餐に招かれた4人の友人たちが待たされて、いらだっている。肝心のホストがまだ帰宅していないのだ。そこへ、衣服は破れ、ひどく疲れ果てた様子の主人公がどこからか戻ってくる。そして、今タイム・マシンによって、未来の旅から戻ってきたのだという。彼らの前には主人公が制作したタイム・マシンの一見精巧な模型が置かれている。求めに応じて主人公はそれを説明し、客人の葉巻を人間に見立てて載せたモデルは、客の手を借りて始動し、目前の机上から消滅する。客人たちは自分たちが見せられた現象を理解できず、主人公の頭がおかしくなったと思って、折角の晩餐もそこそこに新年の挨拶を交わして、あたふたと帰宅してしまう。



 主人公はその後、自宅の実験室で密かに製作していたタイム・マシンを操縦し、タイム・トラヴェル(4次元の旅)へ出る。そして、いくつかの試行のあげく、到着したのは紀元後802701年、80万年後の世界だった。そこにはみたこともないような奇妙で美しい花々が咲き競い鳥が飛び交う桃源郷のようだった。イーロイと呼ばれる人々?(H.G.の時代の有閑階級の末裔を暗示?)が一見平和に住んでいる世界であった。しかし、その実は裏側で洞窟に住む野蛮な人食い人種モーロック(かつて弾圧されていた労働者階級の末裔?)が支配する恐怖社会であった。

 その後、モーロックとの死闘など奇想天外な経験を経て、主人公は現代に帰還し、友人たちにその話をする。

 あっけにとられ、主人公は気が狂ったようだと思った友人たちが、口々に「新年おめでとう」と挨拶し、そさくさと帰って行く冒頭の場面である。

 その後、再びタイム・トラヴェルを試みた主人公は、いずことなく姿を消す。


 作品の中では主人公がタイム・マシンの操縦桿をわずかに動かしただけで、時が経過し、室内の時計がそれを告げ、蝋燭が短くなってゆく#。

 

 #記事冒頭のイメージは、監督バーンズによる映画の一場面。

 邦訳は多く、ハヤカワ文庫、1978年、岩波文庫、1991年、角川文庫2002年などがある映画化も何度かされているらしいが、管理人が最近見たのは、H.G.Wells's The Time Machine, WB DVD(監督ジョージ・パル)である(上掲DVD表紙)。ハリウッド映画だが、それなりに面白い。

*2 H.Gについてはおびただしい数の関連書籍が刊行されているが、管理人が多くを学んだのは、Norman and Jeanne MacKenzie. THE TIME TRAVELLER: The Life of H.G. Wells, 1973 (村松仙太郎訳『時の旅人:H.G.ウエルズの生涯』(早川書房、1978年)、さらに本書によって、H.G.の主要な資料コレクションがアメリカ、イリノイ大学稀覯書ライブラリーに所蔵されていることを知り、別件で同大学を訪れた時、その数だけを見て驚嘆したことがあった。さらに、最近、H.G.の奔放な女性関係を主題とした伝記的小説 David Lodge, A Man of Parts, 2011 (高儀進訳『絶倫の人』白水社、2013年)が刊行されたことを知り、H.G.の人間としての別の側面についてさらに驚くことになった。これらの点については、大変興味深いが、すでにブログの時も過ぎた。

 





 

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