時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

春光の中の仏たち(平泉特別展)

2009年04月07日 | 午後のティールーム

 


 子供の時から自他ともに認める(?)博物館好き。といっても、混み合って人の肩越しに展示を見るような所は好みではない。そのため、あまり人の訪れない時間帯、どちらかというと小さな博物館を選ぶようになった。長らく土日くらいしか時間が空かない時期が続いた。幸い今はかなり選択の自由が生まれ、混雑しない週日に行けるようになり、展示鑑賞の満足度は大変高まった。

 「平泉みちのくの浄土」特別展を見に行く。仙台、福岡、東京と、平泉の仏たちが日本列島を縦断する展覧会だ。平泉は今年しばらくぶりに再訪しようと思っていた所だったので、下調べの意味もあって楽しみに出かけた。展覧会のテーマにも関係するが、見に来ている人は中高年者が圧倒的に多い。

 寺外で初公開という国宝の中尊寺金色堂西北壇の諸仏や毛越寺の名宝など、国宝57点、重文41点を含む200件のきわめて充実した展示だ。現地でもこれだけの仏像、資料を、取りこぼしなく見ることはなかなかなかできないだけに、素晴らしい企画である。次の世界遺産登録に,向けてのPRという意味もあるのだろうが、平泉文化の全体像が見渡せる大変充実した展覧会だった。

 詳細は展覧会HPや図録にまかせるとして、少しばかり考えされられることがあった。平泉文化のいわば入り口での手がかりになる「中尊寺建立供養願文」(顕家本、中尊寺大長寿院蔵)*が、展示品のひとつにあった。この「供養願文」は、藤原清衡が亡くなる2年前の天治3年(大治元年、1126年)3月24日付で書かれたもので、原本(藤原敦光文案、冷泉朝隆筆写)は現存しないが、鎌倉時代末期から南北朝時代に書写された写本(北畠顕家筆写本・藤原輔方筆写本)が、中尊寺大長寿院に伝存するものといわれる(特別展図録、17ページ)。



 展示されている「金銀泥一切経」奉納にもかかわる根源的文書である。清衡の仏事・作善としては、最大の大善根とされる「紺紙金銀字一切経」(以下「清衡経」)のことである。「清衡経」は仏典を集大成した一切経(大蔵経)の経文を紺紙に銀字と金字が一行ごとに書写されている。当初の巻数は5390巻(4297巻が現存)に近いと推定されている。この一部分が展示されているが、気の遠くなるような緻密かつ壮大な仕事である。

 特別展図録によると、願主は「弟子正六位上藤原朝臣清衡」とあるため、願文は藤原清衡が中尊寺を鎮護国家の伽藍として造った際に、敦光により作成されたものと見られてきた。さらにこれに添えられた書付には、「件の願文は右京大夫敦光朝臣これを草す。中納言朝隆卿これを書す。しかるに不慮の事有りて,紛失の儀に及び、正文に擬さんがために、忽に疎毫を染める耳」とあり、最後に「鎮守大将軍」北畠顕家の花押があることから,南北朝の内乱期に北畠顕家によって写されたものとされてきた。

 ここまでは、それなりに理解していたつもりだった。しかし、その後、五味文彦氏の新著**を読む機会があり、「伝中尊寺供養願文を読む」というくだりに、驚かされたことがあった。それによると、この文書は,後世の創作にかなり近い可能性があるとのことだ。たとえば、その理由として、文中に中尊寺という記述が出てこない、鎌倉末・南北朝期に書写されていること、この時代を知る基本資料である『吾妻鏡』(文治五年、1189年)に載る平泉の寺塔を列挙した「寺塔巳下注文」と記述がほとんど一致していないこと、年号表記が不自然なこと、などが挙げられている。

  改めて文書を読んでみると、確かにその通りである(図録の記述も淡々としていて、気づかなかった)。中尊寺という名も見あたらない。それでは、まったくの創作かというと、五味氏によると、そうでもないらしい。次のように記されている。「奥州藤原氏の三代以来の歴史を踏まえ、過去の記録を参考にしながら作られたものであろう。願文が清衡を願主に想定して後世に作られたものであることから見て、中尊寺が釈迦如来を本尊とする鎮護国家の大伽藍にふさわしい存在として復興されるべきことを求めて作られたと考えられる。北畠顕家はそのことを認めて願文を書写したのである。」(五味 33)。

 なるほど、そういうことだったのか。この例に限ったことではないが、古文書や絵画を正確に読むことの難しさを改めて感じさせられた。平泉の歴史理解を深めてくれる新知識であった。

 特別展全体としての印象は、展示された仏像が大変美しいことだ。保存や修復技術にもよるのだろうが、かつて見た堂内の薄暗い状況と違って、明るい光の下でみる仏は文字通り黄金色に輝き、みちのくの浄土思想の一端を垣間見せてくれる。間近く見られた中尊寺経の美しさも格別だった。

 美術館の外は桜がほぼ満開近く、目も心も充たされた一日となった。



「特別展 平泉 みちのくの浄土」世田谷美術館、2009年3月14日ー4月19日。

展覧会公式HP
http;//hiraizumi-tokyo.com/

**五味文彦『日本の中世を歩く』岩波新書、2009年。 

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