時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

貴族の処世術(1):ロレーヌ公国の下層貴族

2012年01月22日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

 

 
 

Anonymous. Portrait of Charles-Ignace de Mahuet, oil on canvas, 1700s, Musée Lorraine, Nancy, details.


 かつらのような長い髪と独特な髪型。ほとんど半円形のように描かれた眉毛。皮膚にたるみはみえるが、経済的には豊かな生活をしているようにみえる中年の人物。来ている衣装の材質、金釦の付いた上着など。 

 この画像の人物、いったいどんな人でしょう。名前を知る人はまずいないでしょう。少なくも現代人ではないですね。それではいつ頃、どこの国に生きた人でしょう。どんな職業についていたのでしょう。

  このブログでは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを含む主として17世紀の画家の作品と生涯について、断片的な感想、資料紹介などを続けてきた。とりわけ、ラ・トゥールの
作品とその生涯には、思いがけないことが重なり、かなり深入りしてきた。さまざまなことがあって、この画家とその時代に関わってきた。

素人の目で作品を見る

  これまで走り続けてきた人生で余裕が生まれたら、まったく新しいことを始めて見たいと思っていた。美術への関わりも、そのひとつの試みではある。他にも2,3あるのだが、ここに記すまでにいたっていない。別に「先憂後楽」、楽しみは後にと考えてきたわけではないが、幸い好奇心は絶えることがなく、多くのことが頭に浮かぶ。自制しないと、時間を忘れ、自分の専門以上に深みに入り込んで、止めどもなくのめりこんでしまう。 

 
専門として生きてきた世界ではしがらみもあり、いろいろな規制・自制も働き、それほど勝手なことはできない。しかし、まったく新しい領域では、素人の強みが発揮でき、物怖じせずに問題に対することができる。「めくら蛇に怖じず」の勇気も働いて、先人の苦労した点、取りこぼした点などにストレートに対することもできる。

 
これまで美術史を専門としたことはなく、一時期、修復学など中級講座程度を受講したことしかないが、機会には恵まれ、好きな作品を見る時間だけはかなり確保できた。思いがけないことが役立つことがある。専門家ではないだけに、しきたりや方法論にとらわれないで見てきた。 

 
仕事柄、かなり幅広い分野の人たちと交流があった。専門家といわれる人たちにもさまざまな人がおられる。中には自分のしていることが人生のすべてになり、普通の人から見ると恐ろしく偏狭な世界に生きておられるような方もいる。それはそれでよいと思う。この世の中で、それだけのめりこめる対象があることは素晴らしいことだ。ただ概して、優れた専門家は、自分の専門分野をかなり広い視野の中で位置づけられており、お話自体が大変興味深い。

 

閑話休題 

 このブログをお読みいただいている方は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという17世紀の画家が、ヴィック・シュル・セイユという小さな町のパン屋の次男から身を起こし、画家となり、ついにはロレーヌ公国の貴族、フランス王の画家に任ぜられるまでに栄達をとげたことをご存じだ。 

 
この画家の過ごした生涯については、乱世の時代に生きたこともあって、断片的な記録しかない。それも、本人の手になる記録文書のたぐいはほとんどなにもない。わずかに残るのは40点弱の作品だけだ。同じ17世紀でも少し時代が下り、社会生活も安定し、小市民的生活を享受しえたオランダのレンブラントやフェルメールとは比較にならない、厳しくも苛酷な環境に生きた。多くの謎に満ちた画家である。そこにこの画家と作品の魅力がある。

 画家をめぐる謎のひとつに、パン屋の息子がどうして貴族になれたのか。生地ヴィックからリュネヴィル移住に際して、ロレーヌ公に送った租税免除などの特権請願書になぜ、執拗なまでにこだわったのか。またひとたび得た租税免除などの特権を、他人からは傲慢にみえるほどかたくなに維持しようとしたのか。さまざまな場面で、貴族や王室付き画家の肩書きにこだわった。多くの疑問が解明されないままに残る。他の貴族たち、あるいは農民はどんな生活をしていたのか。ラ・トゥールの行動は例外だったのか。これまでの美術史研究書の多くは、これらの点に十分答え切れていない。今に残る短い文書記録などに則り、ほぼそのままに受け取っている。しかし、これらの記録は公的文書などの断片に留まり、それも他人が記したものである。本人がどう考えていたかは、まったく分からない。この画家の真実を知るには、残された作品や周辺状況から推察する以外にない。

下層貴族の世界
 
こうしたことを考えていると、17世紀当時のロレーヌ公国で貴族に任じられ、生きて行くためには、なにが必要であったのかという疑問が生まれる。貴族は「第二身分」とも呼ばれたが、専制君主の王や君主に仕え、農民、商人などの階級を支配した特権階級だった。しかし、貴族も階層分化していた。ラ・トゥールは、その出自からして平民から上方移動した下層貴族であった。

 
ロレーヌという小さな国の下層貴族たちは、いったいいかなる規範や考えの下に生きていたのか。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品、人生を考えながら、彼が生涯多くの時間を過ごしたロレーヌ公国の貴族の生活がいかなるものであったかを知りたいと思った。断片的なことはかなり分かってきたが、闇に閉ざされた部分の方が圧倒的に多かった。同時代に同じような環境に生きた人の情報はないだろうか。

 
思いがけない記録の発見
 探索の過程で一つの文献に出会った。それがこれから記す内容である。ラ・トゥール本人についての記録ではないが、ほとんど同時代に生き、同じロレーヌ公に貴族として使えた一下級貴族の記録が発見され、それらの解明によって、当時の貴族の生き方、処世術などがかなりの程度明らかになった。

 
ここで、冒頭のフレーズに戻る。かつてロレーヌ公国の公都であったナンシー(フランス東北部の都市)にあるロレーヌ美術館の2階に展示されている一枚の肖像画が上掲の人物である。この美術館、これまでに何度か訪れたのだが、残念ながらこの肖像画は記憶にない。他の作品に目を奪われていたのだ。

 
この人物シャルル・イグナス・ド・マウエ Charles-Ignas de Mahuetなる人物は、今日に残る記録によると、1559年に同じ家系の祖先である最初の人物が貴族に任じられた。「偉大なるシャルル」と呼ばれたロレーヌ公シャルル3世の治世で貴族となり、その18世紀初めまで、5代に渡って、貴族の称号を受け継いできた。そのほとんど最後に当たる人物である。時代は近世初期 early modern と言われる時代であり、ロレーヌという小国の下層貴族であった。ロレーヌ公国自体、戦乱、悪疫、飢饉など、大きな社会的変動を経験した時代にあって、マウエの家系はいかなる運命をたどったのか。ラ・トゥールの場合も、次男エティエンヌは途中で画家になることを断念し、親の七光りで得たものか、貴族のステイタスをなんとか維持しようとした。同時代の下層貴族の記録からなにが見えてくるか。少なからず、楽しみでもある(続く)。


 

 Charles T. Lipp. Noble strategies in an Ealrly Modern Small State; The Mahuet of Lorraine. University of Rochester Press, NY: Rochester, 2011, pp.249. 

 

追悼 

テオ・アンゲロプロス監督、1月26日、不慮の事故死を悼んで。「三文オペラ」を題材として映画を制作中だったとのこと、映画は完成するのだろうか。

 

 

 

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