時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

硝煙の匂い感じますか

2008年02月09日 | レンブラントの部屋

  レンブラントの「夜警」には51の謎が含まれていると、グリーナウエイ監督は言う。しかし、今回の映画「レンブラントの「夜警」」を知るまで、絵画「夜警」に描かれた登場人物の相互関係がどんなことになっているのか、詰めて考えたことはなかった。  

  
 しかし、この世界3大名画のひとつともいわれる「夜警」を最初に見た時のなんとなく落ち着かない感じは、その後もつきまとっていた。どうしてこうした人物が描かれているのか。あるいはなぜ、隊員でもない人物まで描かれているのか。隊員でも明瞭に描かれている人物と同定できないほど漠然としか描かれていない人物がいるのか。この課題について、レンブラントの研究者、とりわけ美術史家は、必ずしも十分取り上げてこなかったように思われる。そこに、この映画が生まれる端緒があった。映画に触発されて、監督の言う「疑惑」を解く鍵のひとつを少し考えてみた。マスケット銃(マスケットだけで銃の意味を含む)操作にかかわる推理の適否である。 
  
  依頼者が「火縄銃手(マスケット)組合」だけに、火縄銃の射手が描かれているのは、理解できる。映画では、最初の段階で、当初の依頼者であるハッセルブルフ隊長とレンブラントが公園で会う場面がある。そこで、レンブラントはマスケット銃の試射を行うが、操作に失敗して倒れる。右目の辺りを硝煙が覆い、あわやと思わせる場面がある。  

  なぜ、わざわざこんな場面を出してきたのかは、映画ではすぐに分かる。ハッセルブルフ隊長がパレードの練習中に、マスケット銃の「誤射」を装って発射された弾丸で右目を射抜かれて「事故死」したことになっているからだ。   

  絵画「夜警」には、こうした疑惑を暗に示すなにかが描かれているのだろうか。マスケット銃を持った隊員は3名描かれているのだが、一見したかぎりではよく分からない。一人はあの謎の少女の左側で、赤い衣装が目立つ隊員であり、マスケットに銃口から弾丸を詰めようとしているかに見える。当時の先詰め方式の銃では、不思議ではない操作だ。二人目は隊長と副官の間に見える銃を横に構えた男である。細部は人の背後に隠れて分からない。三人目は副官の右後方に描かれた男で、銃を構えて火薬を発火させ、引金を引こうとしているかに見える。しかし、これも特に疑惑を持たせるようなところは感じられない。  

  しかし、マスケット(銃)の操作はかなり難しいという話を図らずも思い出した。その時はそんなものかと聞き流していたが、いくつかの文献を見てみると、興味ある指摘に出会った。確かに当時のマスケットは武具としては改良すべき点が多々あり、操作に際して多くの注意が必要であったようだ。たとえば、銃の発射に際しては、必ず銃身を固定する支持台を使うこと、安全のために火薬の着火口から顔を離すこと、銃弾装填の際には銃座を地面につけ、しっかりと抑えて行うことなどが操作に際しての最重要項目になっていた。

  この観点からすれば、「夜警」に描かれた射手はこれらの注意を守っていないかに見える。たとえば、赤い衣服の射手は、銃座を地面から離したまま銃弾を装填しているかに見える。着火しようとしている射手は、銃身にかなり顔を近づけている。レンブラントは制作に際して周到な準備をする画家であり、浪費とされた膨大なコレクションも彼にとっては作品の質を高めるための糧でもあった。当然、依頼者「火縄銃手組合」の職業上の根幹であるマスケットについての情報は、最大限収集したと考えられる。  

  映画でレンブラントがあわやの事故になりかけたのも、余った黒色火薬を吹き払おうとしたとたんに、発火し暴発した状況を再現している。当時、マスケット銃の暴発事故はかなりあったようだ。レンブラントが操作指示に違反をしているかに見える射手を描いているのは、判定が微妙なところである。   

  グリーンナウエイ監督は、「夜警」はレンブラントの「告発」だと設定しての映画化だが、果たしてそうした意図が籠められていたのか。この虚実皮膜の間を探るのはなかなか興味深い。   

  300年以上の年月が経過すると、作品ばかりか資料も散逸し、同時代感も薄れてゆく。うっかりすると、フィクションを現実と取り違えかねない。美術史研究も大きな見直しを迫られているようだ。研究の深化と見る側のしっかりとした教養基盤の強化が必要になってくる。この映画、一枚の絵画がいかに大きな影響力を持っているかを考えさせる。   

  レンブラントはベラスケスなども行っているように、自分を作品の中に描きこんでいる。彼は集団の後ろの方に立って、死んだ隊長ハッセルブルフの副官エグレモント(本来は失踪しているはず)を登場させ、その背後からあたかも市警団全体を見渡しているようだ。レンブラントは多くの肖像画の観察から言われていることだが、右目が弱視 amblyopia であったといわれる。その目は時に内向の目、自己反省の目ともいわれている。彼の目はなにを見ていたのだろう。

コメント
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