ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを対象にとりあげた文献は、実はかなり多い。作品や画家の生涯に謎が多いという背景もあって、小説その他に取り上げられたものまで含めると、膨大な数になる。その多くは、日本ではほとんど知られていないし、図書館なども所蔵していない。ラ・トゥールの知名度がいまひとつなのはこの点にも関連している。フランス語文献がかなり多いが、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語などの文献もある。日本語では、田中英道氏の傑出した名著、そして記念すべき国立西洋美術館での特別展カタログがあることはこのブログでも記した通りである。
西洋美術史の世界では、ラ・トゥールの名は時に18世紀のパステル画、肖像画家として知られる Maurice Quentin de la Tour と取り違えられたりしたこともあった。作品自体の帰属が混乱したこともあった。イギリスで特にこの誤解が起きたようだ。
20世紀に入って、いくつかの契機を経て、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名は次第にヨーロッパに浸透し、「有名な画家」 "paintre fameux" として急速に作品も知られるようになる。
ラ・トゥールについての英語圏での紹介や研究は遅れがちではあったが、作品のフランス以外への拡散などもあって次第に進展した。今回、紹介するファーネス S.M.M.Furness の著作もそのひとつである。序文に記されているように、ポール・ジャモの姪ベルタン・ムーローが企図し、作業を進めていたジャモの遺稿の英語版の内容を引き継いでもいる。1946年という第二次大戦直後に刊行されたものだが、当時のラ・トゥール研究の水準を知ることができる。今から60年も前の出版であり、収録されている図版もモノクロだが、実にしっかりとした考証に接することができる。
すでに本書の段階で、現在知られているこの画家の作品はほとんどは出揃っているが、あまり他の文献には出てこない作品についての記述もある。たとえば、オックスフォードのアシュモリアン美術館が所蔵する『錬金術師』 L'Alchemiste (Oxford、Ashmolean Museum) という作品も、この時期にはラ・トゥールの手になるものではないかとの議論が行われていた。これもカラバッジョの影響を受けたと考えられる作品である。その後、残念ながら、ラ・トゥールの作品ではないとの鑑定がなされて今は話題になることは少ない。しかし、17世紀前半のロレーヌ公の宮殿にはまだ錬金術師が二人雇われていた。ラ・トゥールの作品ではないとしても、さまざまな想像を呼び起こし、かなたの空間への旅に誘ってくれる。
Contents
Preface
Chapter
I Rediscovery of Georges de La Tour and his works
Notes and appendices
II Life and Career
Notes and appendices
III Style
Notes
IV The pictures
i Authenticated
ii Attributed and Related
V George La Tour's method of illumination
Notes
Bibliography
*
S.M.M.Furness. Georges de La Tour of Lorraine: 1593-1652. London: Routledge & Kegan Paul. 1949. pp.175 & 20 plates.