Girton College, Cambridge
トレイシー・シュヴァリエの作品については、フェルメールの作品を題材とした『真珠の耳飾りの少女』、パリ・クリュニュー修道院のタペストリーの作成にかかわる物語『貴婦人と一角獣』を読んで以来、注目してきた。特にこの二冊は画家や美術品がテーマに取り上げられていることもあって、大変興味深く読んだ。寡作な作家なのだが、手堅い時代や社会の考証に支えられていて、安心して読める。
たまたま、書店で『天使が堕ちるとき』(邦訳)*を目にした。実は、この原著 Falling Angeles (2001)は、『真珠の首飾りの少女』を読んだ後、この作家の他の作品を調べたときに、書店で少し立ち読みしているので知っていた。その時はなんとなく食指が動かず、購入しないでいた。しかし、偶然に書店で邦訳を目にして読んでみたい気持ちになった。先の二冊が期待を裏切らなかったことが強い支えとなった。
短い旅の徒然に実際に読み始めてみて、この小説の奇妙な舞台装置にいささか驚いた。前二作からはずっと時代が下がって、1901年1月、ヴィクトリア女王の葬儀の朝、ロンドンのある墓地(ハイゲート墓地を想定)で、中流の上の裕福な家庭コールマン家と中流の下のウオーターハウス家の家族が出会うところから始まる。そして、その後の展開の多くがこの墓地を舞台として進行する。墓地というあまり気持ちのいい設定ではないのだが、巧みなストーリー展開で、読者を飽かせることなく引き込んでしまうのはさすがである。
特に、興味をかき立てられたのは、イギリス社会の「階級」class という得体の知れない、複雑な対象を巧みに描いている点である。作品の時代背景はヴィクトリア女王崩御から1910年という、今から100年ほど前のロンドンである。しかし、さまざまな点で、現代につながっている。小説ではあるが、強く時代の潮流を意識しており、歴史的事実を踏まえている。この点は、小説にもかかわらず「謝辞」という形で、考証作業や資料提供者への感謝が記されていることにも示されている。歴史小説の視点が入り込んでいる。
ストーリーは、表題が暗示するように一種の悲劇である。古い形式が支配したヴィクトリア朝から、より自由で民主的なエドワード朝へ移行してゆく過渡期に起きたさまざまな軋轢、衝突、戸惑いなどが描かれている。終幕には予想もしない奈落が待ち受けていた。しかし、来るべき新たな時代への期待や細々と光の見える展開を思わせる要素も含まれ、憂鬱な思いでページを閉じることにはなっていない。
特に興味を引かれたのは、コールマン家の若い主婦キティーが、サフラージ suffrage と呼ばれた過激な婦人参政権運動に関わり、のめりこんで行く過程である。以前にイギリスにおける女性の権利拡大の歴史的経緯を多少調べたことがあったので、興味深く読み通した。外見にはメードや料理人まで雇うことができる恵まれた中流上層の家庭の主婦が、急速にサフラージへとのめりこんで行く原因を、この作家は何に求めているのだろうか。
キティーの娘モードが、次第に成長して行く過程で、当時はほとんど進路が閉ざされていたケンブリッジ大学への進学を目指す部分で、思い出すことがあった。当時、ケンブリッジはほとんどのコレッジが女性の入学を拒み、わずかに1869年に創設された女性の全寮制コレッジ、ガートン・コレッジ Girton College だけが女性に開かれていた。モードが望むとすれば、ここしかなかった。たまたま、このコレッジの裏手に1年ほど住んだことがあって、毎日ガートン・コレッジの前を通っていた。ディナーに招いてもらう経験もした。
かくして、この女性教育の先駆となったコレッジには、いろいろと興味を惹かれた。ケンブリッジの町の中心からは、遠く隔離されたような場所に置かれたコレッジに、当時の女性に対する大学や社会の考えを思い知らされた。それとともに、強い因習や差別の障壁を破壊してきた先駆者たちの挫折と克服の大きな力を実感した。今では、女子学生のコレッジも増え、ガートンも男子学生を受け入れている。
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トレイシー・シュヴァリエ(松井光代訳)『天使が堕ちるとき』(文芸社、2006年)。原著:Tracy Chevalier. Falling Angeles. Harper Collins Publishers, 2001.