時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

キルヒナーとベルリン時代(2)

2005年12月02日 | 絵のある部屋



Special Exhibition:Kirchner: Expressionism and the City Dresden and Berlin 1905-1918, Royal Academy of Arts (Left)

Ernst Ludwig Kirchner, Potsdamer Platz, Berlin, 1914 Berlin, Staatliche Museen zu Berlin- Preussischer Kulturbesitz, Nationagalerie  (Right)
http://www.artsci.wustl.edu/~mjkrugle/Kirchner%20bit.JPG


  「緑」色が不気味な色であるとは、それまで考えたこともなかった。ロンドン・ロイヤル・アカデミーで、キルヒナーの特別展の垂れ幕が緑色であるのに気づき、最初はキルヒナーはアイルランドと関係があるのかなと思ったくらいである。しかし、作品を見ているうちに、この「緑」色の秘めた色調がただならぬものであるのに気づいた。

  特別展は、キルヒナーが画家として活動した舞台であるドレスデンとベルリン時代の作品に焦点を当てていた。とりわけ20世紀初めのベルリンは、ロンドン、パリに次いでヨーロッパ3番目の大都市であった。芸術面でもきわめて突出していた。芸術・文化の新分野において、いわばメルティング・ポットの様相を呈しており、さまざまな前衛的・創作実験の場となっていた。政治的にも文化的にも、かなりリスクの大きなさまざまな運動が展開していた。

  1912年にベルリンに移ったキルヒナーにとって、この大都市はアンビバレントな存在であったようだ。革新的、斬新な試みを受け容れる反面、自分の作品が広く認められないことにも焦燥感を持ったようだ。

噴火口での舞踏
  結果として、画家は深く鬱積した精神的状況から抜け出ようと、さまざまな試みをしたが、芸術家の世界は必ずしも彼を暖かく迎えなかった。作品も売れず、結果として、キルヒナーは時代を超えた前衛的な創造力を極限まで発揮しようと苦しんでいたようだ。そして時代は大きな転換期、やがては破滅へとつながる時にさしかかっていた。


  ベルリン時代のキルヒナーの作品はかなり多様にわたっている。ロイヤル・アカデミーの特別展は、当時の画家の活動をさまざまに語っていた。 その中からひとつの作品を取り上げてみたい。

「ポツダム広場」
  ドイツの大都市を表現主義の視点から描いた絵画の象徴といわれる「ポツダム広場」Potsdamer Platzと題された作品である。キルヒナーのアトリエからは、地下鉄ラインでポツダム駅へ15分ほどであった。このポツダム駅とフリードリッヒ・シュトラッセのライプジッヒ広場までは、キルヒナーが好んで歩いた道として知られている。大都市ベルリンのいわば心臓部ともいえる地域である。

  この作品もなんとも表現しがたい雰囲気を漂わせている。ポツダム駅の赤い煉瓦を背景に、二人の女、おそらく娼婦が描かれている。画面左の黒衣の女の顔は横顔で、しかもヴェイルのために正面の女ほどはっきりとはしないが、片一方の白い手だけが際だって目立つ。寡婦のヴェイルをまとっているとされている。

  正面を向いた女は、衣装などは一見貴婦人風だが、その顔は、見るからに異様で不気味に描かれている。決して昼間の顔ではない。 この作品は1914年8月、第一次大戦勃発直後に描かれたと推定される。その時以降、娼婦はベルリンでは兵隊の寡婦のような身なりを要求されたという。そして、警察の規制にしたがって「レディのように」に歩くことになっていたともいわれる。

  女の後ろには顔は分からない黒い背広の男が描かれている。男の立つ歩道は鋭角的に描かれており、他方、正面の女の立つ交差点の場所は、円形の舞台を思わせる。男が渡ろうとしている街路は、足を踏み外したら奈落の底に落ち込んで行きそうな感じがする。そして、画面を不気味に退廃的な緑色が覆っている(この緑色は、気づいてみると特別展の垂れ幕の色でもあった。) 今日の視点からすれば、大戦勃発当時の不安と不気味な陰鬱さに充ちたベルリンのある光景を象徴的に描いた作品という評価がされている。しかし、作品が発表された当時は画壇でも嘲笑の的だったといわれる。

アブサンの色
  大戦勃発当時当時、キルヒナーと同棲していた愛人エルナは、彼らの唯一安らぎの場であったフェーマン島 Fehman Islandに滞在していたが、島が軍の規制地域となったため急いでベルリンへ戻った。一時、スパイとして拘留されたようだ。 その後は自分の作品が反時代的、「退廃的」とみなされたこともあって鬱屈し、徴兵を待つ時を過ごしていたといわれる。強い酒アブサン absintheを 一日1リットルも飲んでいた時があった。緑色はこの色でもあった。


「キルヒナー:表現主義とドレスデン、ベルリン 1905-1918」 Kirchner: Expressionism and the City Dresden and Berlin 1905-1918

Phicture
Courtesy of
Staatliche Museen zu Berlin- Preussischer Kulturbesitz, Nationagalerie

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする