大倉草紙

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【東京・千代田区】 紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡

2010年04月13日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
3月22日(月)


(東京都千代田区紀尾井町1-2 弁慶橋のあたり)

「この一帯には、江戸時代に紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸がありました。明暦3年(1657)の大火の後、この地を拝領しました。
 紀伊徳川家は、徳川家康の十男頼宣に始まる家で、尾張藩(九男義直)、水戸家(十一男頼房)と共に御三家と称されました。頼宣は、慶長8年(1603)常陸水戸藩主、ついで慶長14年(1609)駿河府中藩主を経て、元和5年(1619)に紀伊和歌山藩主となり、紀伊国と伊勢国の一部を領地としました。紀伊徳川家は、以後、14代にわたって明治維新まで続きましたが、その中で、8代将軍吉宗と14代将軍家茂は、藩主から将軍の座についています。石高はほぼ55万5000石でした。
 明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、『紀尾井町』という町名になりました。」(案内板より)