大倉草紙

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【東京・世田谷区】 勝光院

2009年12月22日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
11月4日(水)
当日の行程:(小田急線・経堂駅) → 【世田谷八幡宮】【勝光院】【世田谷代官屋敷】【荻泉翁コレクション ― 藝に游ぶ ―(世田谷区立郷土資料館)】【豪徳寺】【世田谷城址】【松陰神社】


勝林院は、建武2年(1335)、初代世田谷城主・吉良治家によって創建されたと伝わる。


吉良氏墓所
「吉良氏は、清和源氏・足利氏の支族で、三河国吉良荘より起こった。世田谷吉良氏はその庶流で、十四世紀後半治家の代に世田谷に居館を構えたと伝えられる。室町・戦国期を通じて、吉良氏は足利氏御一家として家格の高さを誇り、世田谷地域を支配していた。十六世紀、頼家・氏朝の代には後北条氏と婚姻を結ぶなどの関係にあった。
 関東が徳川氏の支配下にはいると氏朝の子・頼久は上総国寺崎村(現千葉県)に所領を移され、以後吉良氏は旗本として幕末まで存続したが、その間も勝光院は吉良氏の菩提寺であった。
 勝光院は天正元年(一五七三)、氏朝の中興開基で、吉良氏墓所には氏朝の孫・義祇以降の一族の墓が所在する。全二十八基と、墓所内の隅に集積された墓塔が十数基ある。
 平成十三年十二月   世田谷区教育委員会」(案内板より)


山門


お寺は竹林に囲まれている。


本堂


鐘楼
梵鐘は、元禄11年(1698)に鋳られたもの。
世田谷区内では二番目に古いものなのだそうだ。
一番目に古い鐘はどこにあるのだろう?
第二次世界大戦時、お寺は供出に応じるが、幸い、鋳潰しを免れた。
その後は葛飾区東金町の金蓮院にあったが、昭和52年(1977)に返還されたのだという。

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