11月4日(水)
当日の行程:(小田急線・経堂駅) → 【世田谷八幡宮】 → 【勝光院】 → 【世田谷代官屋敷】 → 【荻泉翁コレクション ― 藝に游ぶ ―(世田谷区立郷土資料館)】 → 【豪徳寺】 → 【世田谷城址】 → 【松陰神社】
世田谷城址公園は、豪徳寺の隣にある。
とても小さな公園。
世田谷城の空堀と土塁
土塁
「世田谷城跡 都指定旧跡
世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。十四世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。
吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、十五世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、十六世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄三年(一五三〇)には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に複した。この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正十八年(一五九〇)、豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。
世田谷城の濠・土塁の構造は天文六年(一五三七)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、十六世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。
平成十四年十一月 世田谷区教育委員会」(案内板より)
当日の行程:(小田急線・経堂駅) → 【世田谷八幡宮】 → 【勝光院】 → 【世田谷代官屋敷】 → 【荻泉翁コレクション ― 藝に游ぶ ―(世田谷区立郷土資料館)】 → 【豪徳寺】 → 【世田谷城址】 → 【松陰神社】
世田谷城址公園は、豪徳寺の隣にある。
とても小さな公園。
世田谷城の空堀と土塁
土塁
「世田谷城跡 都指定旧跡
世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。十四世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。
吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、十五世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、十六世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄三年(一五三〇)には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に複した。この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正十八年(一五九〇)、豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。
世田谷城の濠・土塁の構造は天文六年(一五三七)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、十六世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。
平成十四年十一月 世田谷区教育委員会」(案内板より)