12月24日(金)
(東京都新宿区内藤町87番地)
水道碑記は、東京都水道局新宿営業所の敷地内に建っている。
ここは、玉川上水水番所跡でもある。
「玉川上水水番所跡
玉川上水は、多摩川の羽根村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市内へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には、次のような高札が立っていた。
定
一、此上水道において魚を取水をあび
ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
竝両側三間通に在来候並木下草
其外草刈取申間敷候事
右之通相背輩あらば可為曲事者也
元文四巳未年十二月 奉行
東京都指定有形文化財(古文書)
水道碑記(すいどうのいしぶみのき)
指定年月日 昭和五年十二月
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)完成したものである(裏面銘文)。」(案内板より)
(東京都新宿区内藤町87番地)
水道碑記は、東京都水道局新宿営業所の敷地内に建っている。
ここは、玉川上水水番所跡でもある。
「玉川上水水番所跡
玉川上水は、多摩川の羽根村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市内へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には、次のような高札が立っていた。
定
一、此上水道において魚を取水をあび
ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
竝両側三間通に在来候並木下草
其外草刈取申間敷候事
右之通相背輩あらば可為曲事者也
元文四巳未年十二月 奉行
東京都指定有形文化財(古文書)
水道碑記(すいどうのいしぶみのき)
指定年月日 昭和五年十二月
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)完成したものである(裏面銘文)。」(案内板より)