12月30日(木)
4日目(北春日部~南栗橋)その3の続き
(15:22)
街道は、右に大きくカーブする。
ちょうど道が折れるところが一里塚跡だ。
幸手の一里塚は、明治の初めごろまで、この道の両側にあったそうだ。
(15:23)
一里塚跡のあるカーブに、大きな燈籠が建っているが、その奥に正福寺がある。
(15:23)
正福寺の境内にある幸手義賑窮餓之碑。
(15:24)
正福寺の境内にある日光街道道標。
(15:26)
正福寺のすぐそばにある石太菓子店。
日光街道に関するブログやホームページを見ると、このお店の「塩がま」が美味しいと評判になっている。
こちらが、幸手名物「塩がま」。
せっかくだから、ひとつ買ってみた。
中はこんな感じ。
歩いて疲れたときにはいいかも。
(15:50)
やっとやっと、東京から50キロ歩いてきた。
まだまだ半分以上残っている。
(15:51)
権現堂堤には約1000本の桜が植えられている。
権現堂堤は、しばしば氾濫する権現堂川の堤防として、天正年間に築かれたもの。
(15:51)
権現堂堤にある行幸堤之碑。
天正年間に堤が築かれた後も、権現堂川は幾度も氾濫した。
明治時代に入ってからも、新しい堤防造成に着手することになる。
明治天皇は、明治9年の東北巡幸の際にその労に感じ入り、この仕事に携わった人の名を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されたという。
(16:16)
南栗橋駅へ向かう。
日が暮れるのが早い。
夕日がきれいだったので写真に撮ってみた。
(16:22)
南栗橋駅が見えてきた。
今日はここまで。
つづく
4日目(北春日部~南栗橋)その3の続き
(15:22)
街道は、右に大きくカーブする。
ちょうど道が折れるところが一里塚跡だ。
幸手の一里塚は、明治の初めごろまで、この道の両側にあったそうだ。
(15:23)
一里塚跡のあるカーブに、大きな燈籠が建っているが、その奥に正福寺がある。
(15:23)
正福寺の境内にある幸手義賑窮餓之碑。
(15:24)
正福寺の境内にある日光街道道標。
(15:26)
正福寺のすぐそばにある石太菓子店。
日光街道に関するブログやホームページを見ると、このお店の「塩がま」が美味しいと評判になっている。
こちらが、幸手名物「塩がま」。
せっかくだから、ひとつ買ってみた。
中はこんな感じ。
歩いて疲れたときにはいいかも。
(15:50)
やっとやっと、東京から50キロ歩いてきた。
まだまだ半分以上残っている。
(15:51)
権現堂堤には約1000本の桜が植えられている。
権現堂堤は、しばしば氾濫する権現堂川の堤防として、天正年間に築かれたもの。
(15:51)
権現堂堤にある行幸堤之碑。
天正年間に堤が築かれた後も、権現堂川は幾度も氾濫した。
明治時代に入ってからも、新しい堤防造成に着手することになる。
明治天皇は、明治9年の東北巡幸の際にその労に感じ入り、この仕事に携わった人の名を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されたという。
(16:16)
南栗橋駅へ向かう。
日が暮れるのが早い。
夕日がきれいだったので写真に撮ってみた。
(16:22)
南栗橋駅が見えてきた。
今日はここまで。
つづく