12月30日(木)
4日目(北春日部~南栗橋)その1の続き
(13:26)
宝性院は、寺子屋だったこともあるそうだ。
(13:27)
ほどなく右手奥に「東京駅」という食堂があった。
どうして「東京駅」という名にしたのだろう。
面白いから寄ってみたいところだが、お昼を食べたばかりだったし、街道を歩いていると、どうしても先に進むことを考えてしまい、外観の写真だけとなった。
(13:48)
国道4号線を進み、「大島」の交差点を右に折れると、心学の道。
日光街道を離れて、この先の恭倹舎を見に行く。
(13:50)
恭倹舎は、農民や町民に心学を講説するために、天明5年(1785)、心学者・大原有隣らによって建てられた。
(13:54)
恭倹舎の近くに碑が見えたので、行ってみた。
杉戸町立高野農村センター内の高野東部土地改良区竣巧記念碑だ。
「三ッ林弥太郎書」とある。
(14:56)
こちらは神明神社。
かつてここには、高札場があったのだそうだ。
「螺不動」とあるが、これは境内にある菅谷不動を指す。
眼の病にご利益があると言われている。
つづく
4日目(北春日部~南栗橋)その1の続き
(13:26)
宝性院は、寺子屋だったこともあるそうだ。
(13:27)
ほどなく右手奥に「東京駅」という食堂があった。
どうして「東京駅」という名にしたのだろう。
面白いから寄ってみたいところだが、お昼を食べたばかりだったし、街道を歩いていると、どうしても先に進むことを考えてしまい、外観の写真だけとなった。
(13:48)
国道4号線を進み、「大島」の交差点を右に折れると、心学の道。
日光街道を離れて、この先の恭倹舎を見に行く。
(13:50)
恭倹舎は、農民や町民に心学を講説するために、天明5年(1785)、心学者・大原有隣らによって建てられた。
(13:54)
恭倹舎の近くに碑が見えたので、行ってみた。
杉戸町立高野農村センター内の高野東部土地改良区竣巧記念碑だ。
「三ッ林弥太郎書」とある。
(14:56)
こちらは神明神社。
かつてここには、高札場があったのだそうだ。
「螺不動」とあるが、これは境内にある菅谷不動を指す。
眼の病にご利益があると言われている。
つづく