牛尾 690.8m 1/2.5万地図[美濃徳山]
2019年10月1日~2日(火~水)
行程
初日 8:50揖斐🚙→10:10ホハレ峠 →12:05門入旧集落I山荘(昼食)13:10牛尾へ 14:00山頂14:30 →15:10I山荘
二日目 8:05I山荘 →10:30ホハレ峠 →坂内道の駅 →11:50揖斐川図書館
ウシオ(牛尾)、美濃徳山の地名では、字三倉の上の尾根。昔は山畑地。牛で物を運んだので牛尾の地名となった、とある
Iさんは「オシオ山」という。昔(明治以前)の門入はホハレからの道しかなく、峠からは(谷筋を歩くため)牛を運べないので山手の方から山を越えて牛を運んでいた。途中、急な上り坂、下り坂では牛が怖がって動かないので牛の尻(尾)を押して牛を歩かせた。だから門入の人はオシオ(押し尾)といい、それが牛尾なったそう。(山手は門入から東北東にあった揖斐川右岸の集落)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/40/cf02f0980c7ca710a0bcf2235d97e516.jpg)
門入旧集落手前で牛尾を撮る
最近の天気予報は大げさ過ぎる。今回は1牛尾翌日→カワウソ穴組と2呑土→翌日カワウソ穴組、2組計4人でI山荘に泊まり山に登る予定だったが、2日目が雨予報のため呑土組は撤退、牛尾1組で行動した
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/87/e3fd06e710213b8b99bbd41d543b4d26.jpg)
牛尾山頂、2年ほど前に登ったと時より、登山口、歩道、山頂など荒れていた(下15:06写真参照)
初日
ホハレ峠からいつものように食材など背負って歩き出す。前回(8/27)に来た時より道が荒れている、動物が頻繁に通っているのか、人間のせいではないような荒れ方だ。門入で今夜泊まるI山荘に寄り、一緒に昼飯を食べ、13時過ぎから山へ向かう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/88/fe4ef657eefcea9bed70026e00dd9e54.jpg)
三角点の周りはきれいでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/a0/286f373b7e4a3fb61a740c94fb18ee38.jpg)
15:06 帰り登山口を振り返って撮る。登るとき “登山口を間違えたか” と思ったくらいススキが登山道を塞いでいた。2~3年前はこの山の標高500m付近にあるブナ林を見るツアーなどがあり、しっかり刈ってあったのに
下山していつものように楽しい夕食、今夜は金目鯛の干物とイカたっぷりのかたい焼そば、お手製サラダ、Iさん長男嫁さん手製のシソ風味胡瓜漬etc。桧風呂に入ったあと、17時からしっかり飲みました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e8/e88658ebad7972194a81d0598098ae80.jpg)
途中花火などして遊んでいると一人Wさんはいるかと尋ねてきた。その人(岐阜市Kさん)にもあがってもらい、また飲んだ(Kさんは僕らが門入に行くことを兵庫のWさんに聞き、一人で来たそう、今夜はHさんの家に泊まるといってロング缶飲んで帰りました)
二日目
天気予報で昼から雨、朝6時に茶碗を洗っていると雨がパラリ、そのあと晴れてきたが、天気予報を信じて、おいしい朝食後、I山荘を後にした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/dd/194d15969c100b7d2ba7ad90b98a6673.jpg)
6:53 汁は、茄子、豆腐、刻んだミョウガとネギ ごはん3杯、味噌汁2杯おかわり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/40/df7746b619984849b796c0ed9c6cfa7f.jpg)
昔の地形図(現地調査は「昭和48年6月実施」)を使いました。ダムができる前は神社も小学校(分校)もあり、昭和60年頃は34世帯の人が暮らしてありました
今日の反省など
酒はほどほどに、いくら話し相手がいるからと言って、缶ビール4缶と黒霧島4合は飲みすぎ。酒は、昨日のことは覚えている範囲で飲みましょう
2019年10月1日~2日(火~水)
行程
初日 8:50揖斐🚙→10:10ホハレ峠 →12:05門入旧集落I山荘(昼食)13:10牛尾へ 14:00山頂14:30 →15:10I山荘
二日目 8:05I山荘 →10:30ホハレ峠 →坂内道の駅 →11:50揖斐川図書館
ウシオ(牛尾)、美濃徳山の地名では、字三倉の上の尾根。昔は山畑地。牛で物を運んだので牛尾の地名となった、とある
Iさんは「オシオ山」という。昔(明治以前)の門入はホハレからの道しかなく、峠からは(谷筋を歩くため)牛を運べないので山手の方から山を越えて牛を運んでいた。途中、急な上り坂、下り坂では牛が怖がって動かないので牛の尻(尾)を押して牛を歩かせた。だから門入の人はオシオ(押し尾)といい、それが牛尾なったそう。(山手は門入から東北東にあった揖斐川右岸の集落)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/40/cf02f0980c7ca710a0bcf2235d97e516.jpg)
門入旧集落手前で牛尾を撮る
最近の天気予報は大げさ過ぎる。今回は1牛尾翌日→カワウソ穴組と2呑土→翌日カワウソ穴組、2組計4人でI山荘に泊まり山に登る予定だったが、2日目が雨予報のため呑土組は撤退、牛尾1組で行動した
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/87/e3fd06e710213b8b99bbd41d543b4d26.jpg)
牛尾山頂、2年ほど前に登ったと時より、登山口、歩道、山頂など荒れていた(下15:06写真参照)
初日
ホハレ峠からいつものように食材など背負って歩き出す。前回(8/27)に来た時より道が荒れている、動物が頻繁に通っているのか、人間のせいではないような荒れ方だ。門入で今夜泊まるI山荘に寄り、一緒に昼飯を食べ、13時過ぎから山へ向かう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/88/fe4ef657eefcea9bed70026e00dd9e54.jpg)
三角点の周りはきれいでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/a0/286f373b7e4a3fb61a740c94fb18ee38.jpg)
15:06 帰り登山口を振り返って撮る。登るとき “登山口を間違えたか” と思ったくらいススキが登山道を塞いでいた。2~3年前はこの山の標高500m付近にあるブナ林を見るツアーなどがあり、しっかり刈ってあったのに
下山していつものように楽しい夕食、今夜は金目鯛の干物とイカたっぷりのかたい焼そば、お手製サラダ、Iさん長男嫁さん手製のシソ風味胡瓜漬etc。桧風呂に入ったあと、17時からしっかり飲みました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e8/e88658ebad7972194a81d0598098ae80.jpg)
途中花火などして遊んでいると一人Wさんはいるかと尋ねてきた。その人(岐阜市Kさん)にもあがってもらい、また飲んだ(Kさんは僕らが門入に行くことを兵庫のWさんに聞き、一人で来たそう、今夜はHさんの家に泊まるといってロング缶飲んで帰りました)
二日目
天気予報で昼から雨、朝6時に茶碗を洗っていると雨がパラリ、そのあと晴れてきたが、天気予報を信じて、おいしい朝食後、I山荘を後にした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/dd/194d15969c100b7d2ba7ad90b98a6673.jpg)
6:53 汁は、茄子、豆腐、刻んだミョウガとネギ ごはん3杯、味噌汁2杯おかわり
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昔の地形図(現地調査は「昭和48年6月実施」)を使いました。ダムができる前は神社も小学校(分校)もあり、昭和60年頃は34世帯の人が暮らしてありました
今日の反省など
酒はほどほどに、いくら話し相手がいるからと言って、缶ビール4缶と黒霧島4合は飲みすぎ。酒は、昨日のことは覚えている範囲で飲みましょう