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 最近のツイートや覚書など2023年6月 ②

2023年08月21日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2023年6月 ②


2023/06/18
どうかなおもしろいかなと思いつつ、高田郁(かおる)原作の『みをつくし料理帖』(NHK版)を時代劇専門チャンネルでみた。うーん、よかった。なんか『銀二貫』のふんいきにも似てるなと思ったら、同じ原作者だった。ところで、きまじめな町医者役で永山絢斗という俳優さんが出ていた。時の人とは知らなかった。


2023/06/20
RT
【奇祭】男を藁でぐるぐる巻きにして、街中をゴロゴロ転がし、容赦なく水をぶっかける『水止舞』が、東京都大田区大森で7月9日(日)13時~15時開催。
ぶっかけられた男はそのたびに法螺貝を吹く。
今年の水止舞は、元亨3年(1323年)から700年となる記念奉納となります。


現在の視線では、雨=自然現象と見なして疑がわないし、それが自然な感性となっている。現在からは、 雨=龍神は象徴的・抽象的に見えるけど、近代以前までは長らく現在の私たちの自然な感性と同じく雨=龍神と見なしていたろう。そんな具体性の自然な感覚のドラマがこの祭りの構成にも見られると思う

ところで、現在の視線からは雨が止むかどうかは確率1/2だから祈祷に関わりなく、偶然雨は止んだという見方になりそうだ。確かに人(々)の強い願いが現実や現実の関係を動かすことはあるが、自然現象を願望だけでは変えられないというのは現在的な感性や思考の基本だ。しかし、以前はそうではなかったのだろう。


覚書2023.6.20
例えば、軍備を持つのが当然のような「政治」の常識がある。個人に例えれば、武器を隠し持ってあるいは武器をちらつかせて、付き合いをするようなものだ。太古から儀式的なものや紛争などから武器はずっと存在し続けてはいる。しかし、近代社会以降は、隣村との武器を持った対立などは解消した。

その代わりか、国家が軍備を必須と見なすようになってしまった。そうして、核兵器という恐怖の宗教性の上に「戦術核兵器」やら無人機やらロボットやAIやらが積み上げられているようだ。もうこれは軍備や戦争自体のデカダンスだろう。現在の軍備を持つのが当然のような「政治」や「外交」の常識を

必要悪としてであれ認めることは、その事態を永続させようとすることだ。人間的な理想もヘチマもない。例えば、北朝鮮はミサイル開発や実験を続けている。一方で、ネットの記事によると民衆に餓死者が出ているという。「国民の生活が第一」と思わないこんな国家って、何なんだと思う。

同様に、ヘンな政党ばかりになっているような現状で、そんな政党を許容することは、その事態を永続させるのを支えることになる。無党派層が増大してきている中で、政党も無党派を目指すべきだと思う。そうして、対策の方法上の対立はあっても、私たち生活者のためだけに存在すればいい。


2023/06/21
もうずいぶん韓国ドラマ(宮廷ドラマ)を観てきた。どれも観客を楽しませるよううまく作ってあるし、そのための俳優さんもきちんと配置している。今はQテレで『馬医』を観ている。主人公はもと馬医だった医師のペク・クァンヒョン。最近の場面で、こんなことがあった。

主人公のペク医師と同じ師匠に付いていたが破門されたヒョンウクが、倭の国から戻ってきて、世子(セジャ)の治療をしているペク医師は知らないことがあるはずだから必ず失敗するとつぶやいた。一方、別の場面では、ペク医師の師匠だったかが、ペク医師はきっと成功するとつぶやく場面があった。

この二つともが、ドラマの中では登場人物の単なるつぶやきに過ぎないが、ドラマの流れを左右する作者(脚本家、監督など)の声でもあるのではないかと思われた。その後その「予言」に反し、また「予言」に従い、ペク医師は、世子の手術後の処置の困難に遭遇しそれをうまく乗り越えて、手術に成功したのである。


2023/06/22
味気ない/運河に揺れて/いる光/ひっかき傷が/まだ治らない 朝田おきる

音数律を意識して読むと「句またがり」になっており、それが運河の光を突出させる。その光はくすんだような感じで、「ひ」音を介して〈わたし〉の傷の癒えないさえない感じとシンクロしているか。


2023/06/23
現在のところのわたしのイメージでは、AIは、編集機能ということになるだろうか。わたしたち人間も見聞きしたり学んだりする過程で「編集」ということをやっている。AIの場合は人間によって操作(プログラム)されて編集主体になっているとすれば、人間の場合は固有の心や感受が編集主体になっている。

今後AIも深化・高度化をとげ、様々な分野で人の支援をしてくれるだろうが、AI=人工・知能であるかぎり、一見自立的に見える編集機能というその本質は変わらないように見える。また、AIは、悪の支援もしてくれるはずである。


2023/06/25
スーパードラマTVの 『スタートレック・ピカード』は、放送終了後に知って、再放送がいつになるかと待っている状態だけど、今日新聞の番組欄を見ていたら、NHKのBSに『大富豪同心3』が載っていて、3?と思い見ていたが、新シーズン初回を半分ほど見ることができた。こちらは、一応セーフだった。


2023/06/27
吉本ばなな『はーばーらいと』が今月に出たという。振り返ってみれば、現在は物語でも本でもドラマでも過剰になってしまった。見たい聞きたい知りたいものだけでも追うのは骨が折れる。どうしても積ん読が増える。たぶん作者の数も社会のスピードも過剰なのだ。どうする「わたし」?


覚書2023.6.27
鎌倉時代の新仏教はいくつも宗派があったが、いずれもインドー中国由来の仏教であり、それまでの貴族層中心の外的なものではなく、戦乱や飢餓をの渦中にあった民衆の不安な心にまで下りてきて内的に揺さぶり組織した点では同一であった。それも、現在では人々の静かな無関心の中にある。

幕末の「尊皇攘夷」運動は、幕藩体制の維持勢力と対立的なものであったが、ともに「内憂外患」の幕末状況を乗り越えようという意志においては同一であった。そうして、普通の生活する人々という概念が希薄なのも同一であった。さらに、現在では、いずれの思想も無効になってしまった。

ところで、中国由来の「保守」や欧米由来の「リベラル」という言葉で、何かを主張したり説明したりしている風が現在でもあるが、現状を乗り越えようという意志はともに同一だと思う。また、拠り所としての普通の生活者という概念の希薄も同一である。この二つもまた、寿命は長くはないと思う。

ということは、何が根本問題なんだろうか。上に挙げたような、しかもほとんど外来性の思想を拠り所とする考え方(それはしょうがないとしても)は、時代状況と共にアップデートされてきたが、共通する根拠は、無用な対立をかき分けて、普通の生活する人々という概念を持つことだと思われる。

そういう場所からわたしは素人なりに政治や社会を見ている。バカな政治家や有名人の発言などにうんざりだなと思いながらも、世界は、それらの恣意的な発言や振る舞いや作為を超えたところ、深い所で蠢(うごめ)き流れているような気がする。(例えば、家族葬の登場などは何らかの変貌の象徴だろう。)

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