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詩『言葉の街から』 対話シリーズ 387-390

2020年04月22日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



387
〈あ〉〈う〉ばかりが不明の道
ではなく
無数の不明の訳語のダンス跡の



388
サスティナブルカーニバル
チェンジャブル
ブルブルのアメリカンブルース



389
肌合いのなじんだ言葉から
飛び立って
概念の海で波乗りしてるね きみ



390
それもいいけどさ きみだって
お家帰って
お風呂に入り鼻歌うたいもするよね

『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑤

2020年04月22日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑤


 5.場面の転換から


 この作品の各場面の内ではシュールレアリズム風で話の筋がうまくたどれないような描写もあるが、一般的に物語に存在する、構成の問題、すなわち場面の転換を繰り広げながら形成される話の筋はどうなっているだろうか。「物語」の場面の転換を大まかにたどってみる。


・C地区の「崩壊」と「瓦礫」と「建設現場」の話 初め~
・タダスによるとC地区内に医務局があり、混乱した人間たちはそこに運ばれるという話 P33
・町の話 P56ーP64
・C地区内にあるF域の話 P67
・「わたし」の定期検診の話 P71-P82
・「設計部」の話 P84~
・医務局を出た者のリハビリ施設「サイト」の話 P96~
・「崩壊現場」へ、「崩壊現場」での話 P103~
・A地区の話 P136~
・設計部はA地区とB地区の間にあった。 P148~
 「わたし」の仕事は水平を測る仕事に変わっていた。 P158
・「労働者たちが夢の中で勝手にこしらえた」(P165)「ディオランド」という街の話 P163-P166
 ※この「ディオランド」と言う言葉や話は、「わたし」≒「作者」に固執されたイメージのように以後も何度か登場する。
・B地区内に地下駐車場があり、その一角に名前を収集している「登録課」がある話 P167
・「わたし」が医務局に戻る話 P172
・「ラミュー」の話 P177-P180
・設計部にある「手順部」と「管理部」という二つの部署の話 P187-P190
・「ラタン色」と老婆の話 P194~
・「書店のような店」の話 P197~
・ムジクという地域のふしぎな植物や水の話 P199~
・夢か現かの話 P202~
・マウとビンの話 P206~
・A地区とB地区を結ぶ地下通路の話 P212~
 ( 以下、略。 作品全体のページは、P4-P311まで)


 このようにこの作品の構成を見るために、作品全体ではないが場面の転換をたどってきた。作者が、前作についてだったか自分の内に生起するイメージを自分は書き留めているだけだというような言葉に出会った記憶があるが、この作品の読み進むイメージから来る、ランダムな構成かなという予想と違って、割りと一般の物語の場面の転換、構成になっているように見える。「わたし」≒「作者」を圧倒する〈鬱的世界〉の渦中で、「わたし」≒「作者」は意識的か無意識的かそれぞれの度合は不明だとしても、場面を設定しそれらを連結していくという表現世界での構成への意志を当然ながら働かせているということになる。この意志は、〈鬱的世界〉がもたらす多重化する「わたし」を統合しようとする欲求と対応しているのかもしれない。

 また、語り手(「わたし」)や風物が安定的でなく揺らいでいて、抽象画をつなぎ合わせていくような場面の転換になっているように思われる。これは〈鬱的世界〉の圧倒性が「わたし」≒「作者」にもたらす揺らぎや屈折であろうか。