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『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑥

2020年04月25日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑥


 6.神話的な描写


 わたしたちの現在が現在の共同的なイメージ・了解の世界を持っているように、現在から見渡せば古代以前の精神では神話的な世界を持ち、そこから生み出されたたくさんの神話を持っている。しかし、近代以降は特に、そのような神話的な精神の世界や神話は壊れた破片のように精神の地中に存在し、振り返られることはほとんどなかったように見える。しかし、今は亡き中上健次は、物語作品の中でそのような神話的世界の破片を寄せ集めて賦活させようと試みたように思う。

 現在では情報や機能や交換や効率など頭中心の世界にとって変わられて、ほとんど振り返られることがないようになってしまった神話的な精神の世界や神話であるが、この作品には、神話的な描写と同一ではないかと思えるような描写がある。まず、その中からいくつか取り出してみる


A.

 雨が降っていた。これが崩壊ならば、わたしになす術はなかった。ただ味わうしかなかった。わたしは動きを止めるどころか、★排泄するように瓦礫は体から溢れ、そのまま積み重なると子どもたちが暮らす家の屋根や壁となって、次の瞬間には破裂するように飛び散った。破片は途中で向きを変え、記憶の中の植物や、建物の影になりかわっていた。★わたしは、自分が自分でなくなっているような感覚に陥ったが、もう気にしなくなっていた。投げやりになっていたわけではなく、むしろ明晰になっていた。すべてが見えていた。蒸発し、霧になると、そのまま落下した。淀むことなく、まわりの細胞とつながると同時にわたしは生まれ、次の人間に生まれ変わっていった。男がこちらを見ていた。子どもたちもまたこちらを見ていた。彼らにはこれが日常なのか、驚いてはいなかった。わたしは残像のように次々と生まれ変わっていた。
 (『建設現場』P124 みすず書房 2018年10月)


B.

 マウはまだ子どもだった。赤ん坊といってもよかった。しかし、マウは言葉を持っていた。腹が減っている様子でもなかった。口のまわりには何か果物でも食べたあとみたいにべたついていて、ビンがマウを抱きかかえたときには異様に臭かった。ビンはこの子を育てることにした。ある日、マウは指をさしたり、つねったりしながら、ビンをある場所へ連れていった。
 そこにあったのは、古い宮殿だった。ビンには確かにそう見えた。つくりあげたのがマウだとはビンには信じられなかった。綿密に設計された建造物だった。マウは宮殿をとても小さな石ころを積み上げて一人でつくりあげたと言った。石のことをマウはニョンと呼んでいた。ニョンは火山岩のようだった。持つと硬いが、ニョンどうしをぶつけると粉々に砕けた。
 マウは寝る間も惜しんで、ひたすらニョンを拾い集めては、宮殿作りに没頭した。マウは鉈を使うことができた。マウに鉈を作ってあげた人間がいるはずだが、親たちが鍛冶屋だったのかもしれない。周辺に鍛冶屋は一軒もなかった。誰も鉄のことすら知らなかった。
 ビンがつけていたマウの観察日記は膨大になっていった。★ビンはマウという人間に大きな集団を感じた。実際にマウは一人ではなかった。生きのびるために都市をつくりあげていた。マウは法律や通貨なども生み出していた。実際に数百人の住人がいて、マウはその支配者というわけではなく、あくまでも一人の子どものままだった。マウは何の指示も出さなかった。都市に漂う大気そのものだった。大気ははじめ澄んでいたが、次第に汚染されていった。マウが咳き込むたび、石ころは崩れ落ちていった。彼の動きはかすかな振動ですら宮殿に影響を及ぼした。しかし、つくるのもマウ自身であり、都市に労働者はいなかった。・・・中略・・・
 都市では毎日、開発が行われた。掘り出された土砂は、決まってマウの糞便となった。マウは彼自身が一つの土地、気象、大気となった。ときに彼の小さな体は高層の建造物となり、人々の住まいとなった。★
 (『同上』P208-P209)


C.

 ここで生まれたことよりも、われわれがどうやって辿りついたのかを考えたほうがたやすい。まず、われわれは川沿いにいた。ここには昔、川が流れていた。われわれよりも思考する川だった。川はいくらでも形を変えることができた。気候とは関係なかった。氾濫するのも彼らの意図するままだった。川とともに暮らすことをはじめたわれわれは、人間であるよりも川沿いの植物やらと同じ生命を持つものという認識しかなかった。川のしぶきが体に当たると、われわれは何か思いついた。そうやって刺激は信号となって届いた。われわれの感覚が動くよりも先に、川の手足が伸びた。触覚のような水滴は、そこらへんに生息する生命を確認するように、われわれに景色を見せた。すべてがそうやって生まれた。
 分裂したわれわれが、それぞれに思考しているなんてことは思いもしなかった。われわれは集団で行動していたのではなく、川の思うままに生き、そして、死んだ。変化はわれわれにとって息をすることよりも大事なことだった。われわれには判断する頭がない。もちろん記憶もない。水滴は常に移り変わるものだ。われわれは常に状態でしかなかった。われわれは感じることがなかった。川は常に一つで、無数だった。われわれは川の器官の一つだった。川が唯一の生命だった。
 川は枯れてしまった。われわれは人間だと名乗りだした。彼らは手足を感覚であると言い張り船をつくった。水中を知り、潜っては魚をとった。食欲を獲得した。どこかへ行こうとした。この場所ではないところを見つけ出そうとした。見たことのない場所を想像した。川の起伏を変えた。川の動きよりも、太陽や星の動きに体を任せた。気づくとわれわれは完全にわかれてしまった。それぞれに名前を持つようになった。
 われわれは人間ではなかった。言葉もなかった。川は言葉よりも柔らかい。われわれの知覚は、常に与えられていた。決して獲得するものではなかった。川が枯れたとき、われわれはそれぞれに泣いた。いつまでも止まることなく泣いた。泣き止んだとき、われわれは川であることを忘れてしまった。川は枯れるとそれぞれ人間にわかれていった。われわれの知覚はそうやって生まれた。・・・中略・・・
 人間ももとはわれわれと同じ川だった。それを忘れたまま祭りをやっても、人間の先端までたどることしかできない。いつまでも到着しないままだ。空中の時間が流れるだけだ。時間をさかのぼるのは容易ではない。
 枝葉集められたものではなく流れてきたものだ。川の一滴となってわれわれのところに届いた。流れてきた。それはわれわれと違う感覚だ。それこそが感覚である。感覚がいま、届いている。水滴。水蒸気。川の記憶は至るところに、何度も流れてくる。
 (『同上』P261-P263)



 上のA.B.の★・・・★の部分は、神話的な描写の部分である。C.は太古の長老が人間や世界の成り立ちを集落の人々や子どもらに語っているような興味深い場面で、全体が神話的な描写になっている。

 では、神話的な描写というのはどういうものだろうか。戦前戦中までの世代と違って、敗戦後の思想的、文化的な転換のせいもあって、わたしたち戦後世代は日本の古代の神話には慣れ親しんでいない。そんな神話から拾い出してみる。


 天の沼矛(あめのぬぼこ)という、美しい玉飾りのついた矛をおさずけになりまして、高天原(たかまのはら)の神々は、「このただようばかりの国々の形をととのえ、確かなものにせよ。」とお命じになったのです。
 ご命令をうけたイザナキの命(みこと)とイザナミの命は、高天原と地上とをつなぐ天の浮き橋の上にお立ちになりました。そして、頼りない陸の姿を浮かべてとろとろとただようばかりの海原に、天の沼矛の先をお下ろしになったのです。
 海の水の中には、生まれようとする陸地の手ごたえでもあったのでしょうか。とろとろとかきまぜられた塩水は、音をたててさわぎました。そして、イザナキ、イザナミの二柱の神がその矛を引きあげられたとき、濃い海の水はぽたぽたとしたたって、そのまま島の形となりました。このおのずと凝りかたまってできた最初の島の名を、オノゴロ島と申します。
 (『古事記』上巻 国生み 橋本治訳 少年少女古典文学館 講談社)


 イザナミの命の出された大便からは、粘土の男神(おがみ)と女神が生まれました。粘土をこねて火で焼くと土器になるのは、このためです。
 イザナミの命のもらされた小便からは、噴き出す水の女神が生まれました。強い火を消すのには水をかけるという知恵は、この女神がもたらしたものです。
 (『同上』)


 オオゲツヒメの神は鼻をかみ、げろをし、お尻からはうんこをしました。それがやがて、オオゲツヒメの神の力でりっぱな食べ物に変わるのですが、しかしそんなことを知らなかったのが、追放されて高天原を去っていくとちゅうのスサノオの命でした。
 オオゲツヒメの神が体から生み出した物を、神々のためにりっぱな器に盛りつけているところを見たスサノオの命は、「なんということをするのだ。」と思いました。・・・中略・・・
 (引用者註.スサノオの命に殺されて)オオゲツヒメの神は死んでしまいましたが、その死骸からはさまざまなものが生まれました。
 頭からは、絹の糸を吐く蚕が生まれました。ふたつの目からは、稲の実が生まれました。ふたつの耳からは粟の実、鼻から生まれたものは小豆です。股のあいだからは、牟岐の穂が生まれて、お尻からは大豆が生まれました。オオゲツヒメの神は死んで、でもそれだけ豊かな物をあとに残されたのです。
 (『同上』)



 これらの神話は、国土や穀物がどうやってできたかの起源譚にもなっている。まず、現在のわたしたちが神話の描写に感じるのは、そんなことは現実にあり得ないという荒唐無稽さであろう。古事記として神話がまとめられた古代の時期やそれ以前のその神話が生み出された時期においても、穀物の種を土地に蒔かないと芽が出て育つことはないとか、風水害などの自然の猛威によって土地が破壊されたのだとかいう事実性の認識はあったものと思う。しかし、それらの認識の背後には、事実性の認識に張り付いた神話的なイメージと了解の世界があったのだろう。現在のわたしたちには、その世界はなかなかわかりにくいけど、そのことが「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を可能にしていることは確かである。

 おそらくまだ世界が固まっていなくて漂っているような世界に生きている小さい子どもの世界では、サンタクロースを受け入れるのと同様に、この神話の描写は受け入れられそうに見える。個々の神話が語られた時期とそれが古代にひとつに編集された時期とかあり少し錯綜していて、いつの時期かはよく分からないにしても、すくなくともこの場面の登場人物のスサノオには、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を信じられていないように見える。

 このように、神話的なイメージや神話的な描写は、現在から見たら荒唐無稽に見えるものであるが、例えば、「虫送り」→「稲の虫が退散する」や「地下で大ナマズが暴れる」→「地震」などのイメージや了解と同様に、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結が、事実性の認識の背後に信じられていた歴史の段階があったのだろう。そうして、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を信じられている世界が、神話的世界であり、そこから神話的な描写は湧き出してくるのである。

 この古代の神話にも、オオゲツヒメの神の行為を見たスサノオの命は、「なんということをするのだ。」と思いました、と語り手の語りがあるが、現代の物語のような個々の人格を持った普通の人間の描写とは言い難い。『建設現場』の場合は、揺らぎがあったとしても「わたし」という個の存在感はしっかりと出ている。『建設現場』の場合も、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結するようなイメージの性格は共通していても、その世界が「わたし」≒「作者」という個を訪れているという点が古代の神話とは異なっている。

 神話的な描写とは、わたしたちの日常的な視線からすれば、超人的で荒唐無稽な描写と言えそうである。しかし、世界がまだ十分に固まっていなくて漂っているような世界に生きている小さな子どもは、大根や汽車がしゃべったりするのに抵抗がないように、あるいはサンタクロースを受け入れるのと同様に、神話的な描写を受けいれやすいのではないかと思う。これは逆にいえば、小さい子どもの世界は、人類の歴史の幼年期の精神世界と対応するように、神話的なイメージ・了解の世界に近いのではないだろうか。

 ということは、この『建設現場』の作品世界で、一方の大きな中心である〈鬱的世界〉の本質が、神話的世界のイメージの世界と同質のものを持っているということになるだろうか。これをもう一方の表現する主体の方から言えば、「わたし」≒「作者」が、無意識的に神話的世界のイメージ・了解を呼び寄せたということになるだろうか。そうして、なぜそういう世界を呼び寄せた、引き寄せてしまったのかというのは、わたしにはよくわからない。おそらく作者自身にもよくわからないのだと思う。ただ、今までたどってきたことから類推すると、〈鬱的世界〉は、C.の大いなる自然(川)が人間を圧倒していた歴史段階を思わせる描写やこの作品の繰り出すイメージ世界の性格から見ると、人類の深い時間の海、人類の幼年期の方から湧き上がってきているのではないかと想像される。これを作者の個体史の方に返せば、一般にそれは誰にとっても無意識的であるが、作者の無意識的な乳胎児期や幼年期などの方からやって来ているのではないだろうか。