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『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑦

2020年04月29日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑦


 7.登場人物名の命名法


 ふと登場人物たちの名前が気になった。物語の世界にとっては、登場人物たちの名前は、村上春樹の作品中で語られるチノパンツ同様、あるいは自然描写の木々や通りの様子などと同様に大きなウェートはないとみてよい。しかし、それらは物語の世界でウェートがとても小さいとしてもなくては困るものである。そうして、登場人物たちの命名にも作者の好みや傾向や無意識などが関わっているはずである。


1.作品全体から登場人物名を取り出してみる

P77,P173 サルト(わたし、語り手)
P9 ロン(トラックの運転手)
P12 チャベス
P17 マレ(白髪の労働者)
P17 ウンノ(若者、伝達係のような仕事)
P19 サール
P19 マム(売店の老婦)
P20 ムラサメ(労働者)
P27 ペン(現場の頭)
P33 タダス
P36 バルトレン(大道芸人)
P45 クルー(労働者)
P79 2798(医務局の担当医の番号)
P85 マト(設計士)
P85 ボタニ(設計士)
P85 リン(設計士)
P87 ワエイ(設計士)
P89 ライ
P90 サザール
P104 ルコ(若い男)
P144 ノット(郵便係)
P149 ジュル(盗賊のボス)
P149 カタ(盗賊のボスの右腕)
P159 オイルキ(へどろを収集する人間のこと)
P161 ギム(料理人)
P167 ルキ
P203 ジジュ
P206 マウ
P207 ビン(植物採集業者)
P212 モール(ゲートの守衛)
P216 エジョ
P218 ホゴトル
P225 ザムゾー(病院内の道具の修理店店主)
P250 ヤム
P266 メヌー


2.登場人物の名前に関係すること

おれはルキって呼ばれてる。名前を思い出すやつは珍しいからね。お前も思い出したんだろ?それだけでたいしたことなんだよ。おかげで自分の故郷までの帰り道が分かるかもしれないんだからな。ルキって名前はおれがつけたわけじゃない。そうやって呼ばれていたやつが昔いて、ある日突然いなくなった。おれはずいぶん探した。・・・中略・・・おれはルキを探しているうちに、いつのまにかルキって呼ばれるようになっていた。ルキがどんな意味なのかは知らない。 (P167)


 名前を収集している登録課ってところがある。・・・中略・・・(引用者註.B地区内の)地下駐車場の一角に登録課がある。まずはそこへ行ってみたほうがいい。そこにお前の名前だって記載されているはずだ。
 たとえ忘れたとしても、それぞれの名前はちゃんと残っている。消えたわけじゃないんだ。崩壊が起きても名前はいつまでも残っている。別の問題なんだ。ルキはおれに向かってこう言っていた。 (P167-P168)


 ここが自分の場所なんだ。ここに住んでいるのが本当に自分なのかってのはいつも考える。体はここにいることに感動している。ここで考えることがすべて体の中で起きているということに驚いている。それで自分がここで何かをするたびに、それこそ焚き火ひとつ起こすたびに、声をあげてしまうんだ。
 その声を聞いて、だんだん人が集まってくるんだよ。彼らは見たことのない人たちばかりだ。その人たちに名前をつけることはできない。なぜなら彼らはずっと前からここにいる人たちだから。たとえそれが自分の体から出てきたとしてもね。
 出てくる瞬間を見たことだってある。口から白い息を出して遊んでいると、のどの奥がつまってきた。数人がかりで舌をロープみたいに引っ張ってよじ登ってきた。彼らは小さな人間みたいな形をしていて、口から出てくると、焚き火にあたりはじめた。 (P254-P255)



 この『建設現場』という作品世界の内部では、例えば「ルキ」という登場人物は、わたしたちの通常の命名とは違った形で「ルキ」という名前を受け継いで「ルキ」になる。また、ルキ自身は 「ルキがどんな意味なのかは知らない」。「わたし」のサルトも同じような名前の引き継ぎだったと語られていたように思う。この作品世界では、人の名前に対する感覚がわたしたちの生活感覚とは違っている。おそらくこの読書日誌 ④で取り上げた「わたし」の多重性と関わっているものと思われる。

 ところで、「だんだん人が集まってくるんだよ。彼らは見たことのない人たちばかりだ。その人たちに名前をつけることはできない。なぜなら彼らはずっと前からここにいる人たちだから。」というのは、よくわからない。これは前後のつながりから言えば、「ロン」の話の場面と思える。「ロン」にとって、「ずっと前からここにいる人たち」は自分たちとは違った世界の住人であり、「見たことがない人たち」、すなわち不明だから名付けようがないということなのか。作品世界の内部で、ある登場人物が他の登場人物にその正式の名前以外に「名前をつける」というのはニックネームを含めてあり得るとしても、この作品世界の内では、上に述べた「ルキ」の名前の由来からして、ある登場人物が他の登場人物に「名前をつける」というのは、ちょっと場違いに思える。したがって、ここは「ロン」の語る話の場面だとしても、「その人たちに名前をつけることはできない」というのは、語り手の「わたし」≒「作者」のその登場人物たちに対する不明感の反映と見るほかない。

 わたしは、この『建設現場』という作品を、作者≒「わたし」の私小説的な作品、あるいは、作者≒「わたし」に訪れる〈鬱的世界〉の促す心象表現と見てきたから、作者≒「わたし」を含めて登場人物たちの名前に対する意識もそのような心像に彩られているはずである。

 では、作品世界の内から外に出て、作者が名付けた登場人物たちの名前という所で考えてみる。〈鬱的世界〉が作者に促す登場人物たちやイメージ流だとしても、語り手や登場人物たちを表現世界に派遣する主体は、あくまでも作者であるから、作者が登場人物たちの名前を考え名付けたと見てよい。

 例えば、宮沢賢治は人名や地名などにわが国の命名法とはちがった命名法を行使している。
 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の場合の命名は、宮沢賢治の擬音語への嗜好からきている場合のように見えるが、宮沢賢治の命名法は、わたしは深く探索してはいないが、「カムパネルラ」「イギリス海岸」や「イーハトーブ」、「ポラーノ広場」、「グスコーブドリの伝記」など印象程度で一般化して言えば、西欧風のイメージを借りながら、架空の世界を作り上げる、そのための命名法のように感じられる。もちろん、選択され名付けられた言葉には作者宮沢賢治の好きな語音やリズムというのも含まれているのかもしれない。

 それでは、『建設現場』の作者の場合はどうであろうか。誰でも気づきそうなことを挙げてみる。

 命名の特色
1.2音か3音の言葉が多い。
2.日本人名離れしている。つまり、外国人を思わせる名前である。
3.即興で名付けられた感覚的な語の印象がある。

 3.に関しては、固有名詞ではないが、命名法が即興で名付けられた感覚的な語の印象を推測できる場合がある。P159に、「オイルキ(へどろを収集する人間のこと)」が登場する。これはおそらくへどろの上にうっすらと浮かんでいるオイル(油)のイメージから命名が来ているように思う。そういう意味で、これは感覚的なイメージから来ている命名だと思われる。

 1.と2.に関しては、作者自身もわりと無意識的な好みや選択による命名ではないかという感じがしている。そこにはたぶん外国の音楽にも関心を持ちながら音楽表現もやっている作者の語感の反映がいくらかありそうにも思えるが、断定はできない。


 ※ これでだいたい終りです。もしかしたら、あと一回続くかもしれません。


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 414-417

2020年04月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



414
声が聞こえるこえがきこえる
夜の底から
乾いた大地絶たれる命水



415
自給性をずっと昔に振り捨てて
都市生活に入ってしまったから
コロナの夜は(おお 明日からどうしよう)



416
凍り付いた仕事と消費
コロナの
分断する生命線(おお これからどうしよう)



417
いつものようにコーヒーも飲む
んだけど
遠い今の信号に身は微かにふるえる