回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

メモ2020.02.18 ―自己表出と指示表出へ ⑥ 疑問点を考える 第二回

2020年02月18日 | メモ
 メモ2020.02.18 ―自己表出と指示表出へ ⑥ 疑問点を考える 第二回


 今回は、『中学生のための社会科』(2005.3.1)に載せてある品詞図を取り上げる。
 この品詞図は、中学生のための社会科』の第一章「言葉と情感」に掲載されている。以下に引用する本文には、自己表出と指示表出をわかりやすく説明した部分と、品詞の具体例を考察した部分がある。その吉本さんの具体例に沿って考えてみたい。


 暗記しなくてもいい国文法であり、国際的にもどこの言葉にも使える文法は作れないかといつも考えさせられた。わたしが考えた暗記不要の国文法の入口のところだけをやさしく述べてみよう。もちろん国文法だけでなく、どこの種族語、民族語にも使えるし、中学生にも専門の文法学者にも使えるはずだとおもっている。
 まず、すべての言葉は、「自己表出」と「指示表出」をタテ糸とヨコ糸として織られた織物だとみなすことにする。少し説明する。ここで「自己表出」というのをやさしく解説する。
 例えば、きれいな花が咲いているのを見て「きれいな花だ」とか「ああ、きれいだ」と思わずつぶやいたり、心のなかだけで言葉にならず感嘆したとする。もちろん大声で叫んで傍にいる人々が視線の方向を見た場合でもいい。この場合、他人に伝達するために「きれいな花だ」といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ。言葉のもつこの側面を「自己表出」と名づける。
 「指示表出」というのはこの場合、自分だけにしかわからない場合も、傍にいる人々に花の方に視線を集めさせた場合も、自分または他人に花を指示させたことは確かである。言葉のもつこの側面を「指示表出」と呼ぶ。するとすべての言葉は「自己表出」と「指示表出」の度合いに違いがあるが、「指示」の目的が多くて「自己表出」の度合いはそれほど大きくないとか、その反対だとかということができる。
 極端に考えると、数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算する
(A1) のと、声に出す (A2) のと、ノートに記す (A3) のとは「自己表出」の度合いが違っている。胃が痛いと内心でつぶやく (B1) のと、沈黙のままでいる (B2) のとは「指示表出」の度合いが違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。するとすべての言葉は「自己表出」をタテ軸に「指示表出」をヨコ軸にとると次のように表すことができる。
 助詞(てにをは)の場合はどう考えるべきだろうか。例えば、

      私は掃除した。
(C1)
      私が掃除した。
(C2)

 この二つの文を比較してみよう。「私は」「私が」の助詞「は」と「が」はどう考えたらよいか。二つの助詞の相違はよくわかるとおもう。「私は」の場合やさしい言い方では他の人も掃除したかもしれないが、何はともあれ自分は掃除したという意味にとれる。「私が」の場合は、掃除をやったのは自分だということを特に強調した意味にとれよう。助詞「は」と「が」は品詞としてはおなじ「自己表出」の位置にありながら「指示表出」としてははっきり違う意味を与えている。
 これは助動詞の場合もおなじようなことがある。

      私は先生です。   
(D1)
      私は先生である。  
(D2)

「です」とは身分とか職業とかを明かしているだけにとれるが、「(で)ある」の方は何となく強調の意味を含み、威張っているようにも感じられる。
  (『中学生のための社会科』P51-P56 吉本隆明)

 ※ 上記の(A1) から(D2) は、以下の図に記入するためにわたしが付けた記号である。


 まず、下の第4図には、一つの言葉(品詞)をベクトルSとベクトルJの和のベクトルとして表示している。
 上の吉本さんの具体例をその下の品詞図に書き込んでみる。
 同じ「3+5=8」の表現の仕方の違いによるA1、A2、A3、を、全体を名詞(数詞)と見なし簡略化して考えて、下図に記してみる。自己表出の大小を記したこまごまとした説明は省く。
 同様に、「胃が痛い」を「痛い」という形容詞に簡略化して、B1、B2を記してみる。
 また同様に、助詞「は」と「が」の部分、助動詞「です」「である」の部分をそれぞれ取りだして、C1とC2、D1とD2を記してみる。

 ところで、各ポイントを取ってみたこの『中学生のための社会科』にある品詞図から、逆に考えを進めてみる。便宜的に自己表出を「J」、指示表出を「S」とおくと、下の図のC1のJとSの総和(ベクトル和)の大きさはC2のそれとは等しくない。
  →  →   →
  C1 = J1 + S1
  →   →    →
  C2 = J2  + S2

        →    →
        |J1| =  |J2|
        →    →
        |S1| < |S2| だから、
        →    →
        |C1| ≠ |C2|

 同様のことは、A1、A2、A3 ,B1、B2 ,D1、D2についても言える。
 以上のわたしの記入が正しいとすれば、同じ品詞だとしても言葉によってJ+S(自己表出の度合と指示表出の度合の和)の大きさが一定ではないことになる。

 ところで、『言語にとって美とはなにか』に載っている最初の品詞図(第4図)を見ると、品詞は幅を持つものとして捉えられていたとしても、便宜的にか簡略表現としてか1/4円上の点として表示されている。この図によると、1/4円上の小さな丸印が品詞の位置とするならば、ある言葉(品詞)の自己表出の度合と指示表出の度合のベクトル和(J+S)の大きさは、1/4円の半径となり、そのベクトル和の大きさは言葉(品詞)が違っても同一(円の半径)ということになる。

 そうして、『言語にとって美とはなにか』に載っている最初の品詞図(第4図)から40年後の品詞図では、図表的な構成としてみれば、いずれも記入はされてはいないが、品詞図の「意識-言葉-現実の対象」が「意識-言葉」へと簡略化されている。その代わり、「領域」という言葉が記入され、各品詞が巾を持つことが強調されている。この40年後の品詞図の変更には、絶えず考えを詰めてきた吉本さんの思考と言葉の足跡があると思う。それとは別に、ここには微妙な問題がありそうに思われる。

 自己表出と指示表出という概念は、ひとつの統一性を持つ、総合性としての言葉を、ある抽象度で捉えたものである。例えば、総合性としての人間を性という範疇で考える時男や女が浮上する。また、市民社会の行政的、制度的な範疇で考える時生活者ではなく市民が浮上する、というふうに。わたしたちは、なぜ総合性としての対象をある抽象度で捉えようとするのか。それは、総合性としてのある構造を持つ対象は一挙にまるごと捉えるということが難しいからであると言うほかない。

 ところで、意識が言葉を放つ過程に、あるエネルギーの生成なり放出なりを想定できるとすれば、そのエネルギーの強度を計測することは理論的には可能である。しかし、現実には意識が言葉を放つ過程は、身体の生理的な反応過程と幻想的な過程とが二重化したものとしてある。したがって、その二重化した総体のエネルギー強度としては把握できるかもしれないが、両者の過程を分離することは困難であろうと思われる。

 現在の医療ではMRIなどによって身体の立体的な画像を獲得して診断に応用するのが普通になってきている。また、昔読んだ茂木健一郎の『脳とクオリア』(1997年4月)では、その種の機器を使ったものであろうが、ニューロン(神経細胞)の発火に触れていた。その時は、ニューロンの発火なるものは人間の身体生理的な活動と対応するものであろうが、人間の精神性のふるまいとは直接対応するものではないと思った。このニューロンの発火は、上記の言い方をすれば、身体の生理的な反応過程と幻想的な過程とが二重化したもののエネルギー強度の可視化であり、もしその発火の強度を測定できるなら、二重化した総体に対応したエネルギー強度をつかむことができたことになると思う。

 なぜこういうことに言及するかと言えば、わたしたちが言葉を発する時には、あるエネルギーの生成あるいは放出がなされているはずである。そのエネルギー強度を計測できれば、品詞の違いや同一品詞でも言い方の違いなどによってエネルギー強度の違いを知り、それによって自己表出と指示表出の総和(J+S)に対応する状態がエネルギーの強度の違いとしてつかめることになるからである。しかし、現実的に身体の生理過程を分離して精神的な活動のみのエネルギー量を知ることは、現在のところは不可能に近いような気がする。

 こうしたことを巡ってきたのは、吉本さんが抽出した概念で各品詞間や各言葉の間の自己表出や指示表出の強度を具体的に区別してみることが実感としてわかりにくいからである。また、自己表出と指示表出の総和(J+S)の大きさが品詞の違いによって、同じ(1965年の第4図)なのか異なる(2005年の品詞図)のかよくわからないからである。これらのことは、たぶん吉本さんが便宜的でかまわないとした品詞の区別の問題をもう少し突き詰めてみたということになるのだろうか。


『定本 言語にとって美とはなにか』 第4図 1965年

『中学生のための社会科』 2005年