大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

2010-06-25 17:18:00 | メッセージ
最近自分は、何かをしようと思う時に“楽しいか楽しくないか”を基準にして行動するようにしています。
“いいか悪いか”とか、“正しいか正しくないか”という基準も世の中にはありますが、自分が先ずハッピーになる、気分がいい状態になるということを、何かものごとをはじめるときの根底に置くのもいいんじゃないかなと思っています。
朝、なるべく楽しいことを考えて、一日を充実したものにしたいと日々思っているのですが、世の中が病的になって精神や心を病んでいる人も数多くいると見受けられます。人の痛みを知るということはとても大事だと思うし、人に対してなるべく、正直・親切に接しつつも、行き過ぎた同情心や哀れみはお互いのためにならないと最近痛感しています。

①手放す愛
②切り分ける愛
③断念する愛
④見守る愛
⑤それは私の問題ではなくあなたの問題です。これ以上あなたの面倒をみたくありません。

きのう蔦森先生から正しい愛の意味を教えていただきました。

①包みこむ愛
②尽くす愛
③耐える愛
④救ってあげる
⑤私しかいない
⑥かわいそう

という考えは正しい愛の捉え方ではないと、同時に指摘されました。
なるほどな、と考えさせられています。

生きる

2010-06-25 12:30:00 | 日記
いま
生きずして
いつ
生きる

この言葉は、よく言われるような「いまやらずに、いつやるのか」というのとはまったく違う。「いま、やる」のではなく「いま、ここに生きる」ーこの違いは大きい。「いま、生きる」とは、いまの自分の存在を受け容れて、それを喜ぶことだ。いまの自分がここにこのように生きているーそのすばらしさへの気づきがあるとき、すべての意味が違ってくるのだ。この言葉をきびしい励ましととらずに、優しく自分をいたわるものととることだ。するとこれはとても大事な言葉になるよ。

加島祥造

天使の正体

2010-06-24 17:39:44 | 金澤翔子さん関連
金澤翔子さんの般若心経展もいよいよ残すところあと一週間になりました。金澤翔子さんの展覧会を実現できた事は奇蹟に似た出来事としてとても嬉しく思います。全国から金澤翔子さんの般若心経の文字が見たいと駆けつけてくださり、充分な応対もできていない事をお詫び申し上げます。
今回の般若心経展では稀人の出会いがたくさんあり、金澤翔子さんの書の魅力というか、地場の強さを体感しています。小さな空間の中に般若心経の一文字一文字が光り輝いていて、独特のオーラを感じます。素晴らしい感動と波動を感じる事ができ、これからのギャラリーの方向性と性格がはっきりとしてきて、明るい希望を持てるように思います。もし、金澤翔子さんの書に興味がある方がいらっしゃれば、是非展覧会場にお出掛けください。日曜日もご覧いただけます。

ダウン症の書家金沢翔子「書の力」
―小さな宇宙=般若心経の世界― 展 のご案内

ダウン症の若き書家、金沢翔子さんによる小さな宇宙=般若心経の世界、仮称「書の力」展 を、来る6月1日~7月1日まで開催いたします。五歳から書家への道を歩むべく日々厳しい修練・研鑽とたゆまぬ努力で孤高の境地まで書の芸位と格を押し上げた金沢翔子さん。

神様にもっとも近い存在として、アーティストがいるなら金沢翔子さんは文字通り大人(たいじん)として最右翼に位置付けられると確信します。
近年、書家として、アーティストとして日本全国で大変な脚光と注目を浴びている彼女の展覧会を私どものスペースで開催できることをとても嬉しく思います。
本展覧会においては、般若心経の一文字一文字を葉書大サイズの和紙に渾身の力を込めて揮毫した作品を展示いたします。
般若心経の一文字一文字には、美しい魂といのちが込められ、浄土の世界が現出するでしょう。光り輝く生命の発露をどうぞお楽しみください。
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ダウン症の書家金沢翔子「書の力」
―小さな宇宙=般若心経の世界― 展 のご案内

《会期》 6月1日(火)~7月1日(木)12時~6時
《場所》  



金沢翔子さんのプロフィールはこちらをどうぞ。

CAM

2010-06-24 17:07:48 | 日記
CAM(補完代替療法)の施術者 蔦森かおり先生にお会いし、健康状態のチェックをしていただきました。今日はとても学ぶことがありましたので、備忘録として少し書き留めておきたいと思っています。
感情は全ての原因をつくると先生は指摘し、嫌な事は思い出さない事と自分(僕の事)が対人関係において嫌な事があった時に怒りや悲しみ、辛さを心の中に留めておくと病気になる可能性がかなり高いので正直に自分の怒り、悲しみ、辛さをマイメッセージとして嫌な相手に伝える事は決して悪いことではないとアドバイスを受けました。早速この間の理不尽な言動を繰り返しているYに怒りと悲しみのメールを送付しました。
ちょっと気分がすっきりしました。

また、今日は蔦森先生から示唆に富む言葉をいただきました。

「あなたは愛といっしょにいる事を感じてください。愛を感じてください。」「今が最高です。」

この言葉には含蓄があっていろんなふうに解釈できると思うのですが、今の僕には救いのメッセージです。蔦森先生ありがとうございました。



希望!

2010-06-24 14:00:00 | 日記
希望!どんな不幸におちいっても、われわれは希望の太陽を心からすててはならない。常に楽天的であること。つまり天命を楽しむこと、これこそがわれわれを幸福に導く信仰である。今日を立派に生きることが、明日の希望を見いだすことであり、明日の希望があってこそわれわれは明るく生きることができる。現在を嘆き悲しむものはやがて不運を招くことになる。

ヘレン・ケラー

2010-06-24 12:30:00 | 日記
愛とは
いま ここにおいてのみ
可能なのだ

愛というのは、いま生きている自分の心の働きであり、いま生きている体で感じるものだ。ひとびとは永遠に変わらない愛を求めたりもするが、愛は、常に変化する。どんなふうに変化していくかを心配するより、いまの自分の心にある小さな愛だけを大切にしてればいいんだ。

加島祥造

理想と現実

2010-06-23 14:00:00 | 日記
理想と現実とは独立したものである.理想と現実が衝突するならば悲しいけれども、そのために理想を捨てて、あるいは理想を低くせねばならぬ理由はない。理想は理想として立てて、ただ悲しむべきである。理想をあきらめてはいけない。愛されたい願いが善い願いであるならば、事実として愛されていなくとも、死まで依然として愛されたいと願うべきである。

倉田百三

驚く

2010-06-23 12:30:00 | 日記
自分がいま
ここに在る
そのことに驚くとき
君は生きているのだ

「驚く」とは、どういうことか。なぜ、「驚く」のか。自分がいま、ここに存在しているということが、無数の偶然の上に成り立っていると知ることが「驚き」なのだ。

加島祥造

心の花

2010-06-22 19:53:11 | 日記
今日は少し静養して1日を終えた。散歩をしながらお花の種類を数えてみたら47種類のお花に出会えた。紫陽花が特に印象的。人間も人それぞれ心の中に花を育てていると思う。綺麗な花を育ててまわりの人びとに喜んでもらえることがハッピーな道。偶然の積み重ねで生まれてきた有り難い存在の自分。命とは自分の持っている時間、自分が使える時間のこと。命の花を尊ぶ思想と哲学を自力で築かなきゃ。今日は大自然のお花に学ばせてもらえてラッキーだった。嫌なことも早く忘れて気持ちを切り替えなきゃね。

奇蹟

2010-06-22 12:30:00 | 日記
奇蹟とは
水の上を歩くことではない
いま
この地上を
歩いていることだ

チベットの僧の言葉だが、これはキリストが水の上を歩いたという奇跡を下敷きにしていて、それよりも自分がこの地上を歩いている事実こそ、もっとすごい奇蹟なのだ、と言う。面白いし、モダーンな表現だ。実際、母親の子宮に宿ったことから始まり、無数の条件の積み重ねを経て、自分は今ここに生きている。これほど不思議で、これほど驚くべき奇蹟は、ほかにはない。この実感は深い気づきに通じるものだ。それがすごい。

加島祥造

ラッキーな日

2010-06-21 17:56:08 | 気になる本のこと
 今日は気分的にちょっと嫌なこともあり、少し考え込むこともあったのですが、それを跳ね返すくらいありがたいことがありました.尊敬する一条真也さんから2冊の本が送られてきました。『万能の読書術』というサブタイトルの読書をめぐる本なのですが、最近2度程読み返していて、とても印象深い内容です。読書は心の王国への入り口であり、本を読む事によって真理に近づく事ができ自由になることが可能だと一条さんは主張します。
「自由でない人間は、真理からもっとも遠いところにいるのです。読書こそが、人間を自由にしてくれます。」
たしかブラジルの神父で教育者であったパウロ・フレイレも貧しい人々が識字教育によって文字を覚えていく事により新たな美しい世界が現出してゆくことの偉大さについて論じていました。非抑圧者の教育学に共通する哲学を感じますね。また、読書によって「他人にものを考えてもらう」ことをきっかけに「自分でものを考える」癖を完全に体得する人が真の天才であると一条さんは論じていて、とても納得してしまいます。
 いつも思うのですが、優れた人格者というのは人間の生と死について多面的かつ複眼的な思考を通して、深いレベルで洞察力のある方をさすのではないかと考えます。それは究極においては人間への深い愛の眼差しの持ち主でもあります。

「現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒にともに生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。」一条真也

今日はいただいたもう一冊の「面白いぞ 人間学(致知出版社)」という本を家でゆっくり読みたいと思います。とても楽しみにしています。一条真也さんに感謝してます。



      

われわれは

2010-06-21 14:00:00 | 日記
われわれはだんだんおとなになってくると、おとなの考えになってきて、抱いていたあらゆる希望が崩れてしまう。それは乾いた土に水が浸みこんでいくようなもので、今までの希望はすっかり消えてしまう。人の世のはかなさを思うようになる。けれどもいくら希望が失われてしまったといっても、根こそぎ失せてしまったのではない。少年時代には少年としての希望が、壮年時代には壮年にふさわしい希望が、老人にも老人らしい希望がある。つまり人間は希望を持っていないと一日としてこのはげしい生活に耐えて生きていけないのである。

スチーブンソン