大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

ここは脱原発の特区である (福島民報・日曜論壇)

2013-03-19 16:00:00 | 原子力関係
 時代はつかの間、先祖返りして、ほっと一息ついているかのようだ。たしかに、この感じは悪くない。絶えて忘れていたものだ。しかし、どうにも数字のマジックはいかがわしい。状況が劇的に好転して、再び右肩上がりの時代がやって来ることだけは、逆立ちしてもありえない。これはしょせん、ほんのつかの間の小康状態にすぎないのではないか。
 何ひとつ変わったわけではない。少子高齢化は急速に進んでゆく。いまから50年後には、確実に、日本社会の人口は8千万人台に減少し、半数近くは高齢者が占めることになる。これまでの経済的な豊かさ、暮らしのスタイルを維持することは、どう足[あ]掻[が]いても不可能なのである。株価やら円の価値やらの数字の操作で動かせるのは、数カ月か、せいぜいが数年先の未来予想図でしかない。
 人口減少を止める手だてはないのか。例えば若者たちが雇用の場を与えられ、結婚し、子どもをつくり、安心して家庭を営むことができるようになれば、減少のペースは緩やかになる。しかし残念ながら、グローバル化の荒波の中で、社会は若い世代を育てる余裕をすっかり失っている。親の有り余る経済力が、働かない子どもを抱えて養うことができた時代が、既に過去のものになろうとしているにもかかわらず、いや、それゆえに高齢世代から若者世代への富の移行は進まない。
 あるいは、例えば1千万人といったレベルの移民労働者を受け入れることはできるのか。10人に1人は外国人という状況に、われわれは耐えられるのか。わたし自身は、この問いを前にして、うまく思考が働かないもどかしさを感じる。排外的なナショナリズムの台頭を頭に浮かべるだけで、先に進めなくなる。
 東北の、とりわけ東日本大震災の被災地に生まれつつあるのは、日本社会が緩やかな変容の果てに迎えるはずであった、20年か30年後の未来の姿である。だから、東北の復興と再生はまさしく試金石となる。ところが、復興予算と称して、莫[ばく]大[だい]な予算が費やされようとしているが、その大半は古めかしい公共事業型の復旧のために蕩[とう]尽[じん]されるらしい。ここには、将来の東北を見据えたビジョンの提示というものがまるでない。創造的な復興へのシナリオが存在しない、ということだ。
 この期に及んで、公共事業というモルヒネに頼ることしかできない。未来への問いが塩漬けにされ、はるかに先送りされる。東北は、とりわけ福島はしかし、この問いを真っすぐに受け止めることなしには、困難極まりない現実を乗り越えることは難しい。それだけははっきりしている。
 あくまで命や暮らしの現場に根を下ろしながら、明日の社会を構想することだ。少なくとも福島の人々は、原発以後の社会へと足を踏み出すことを、ほとんど再生への祈りのように選んだのではなかったか。後戻りだけはありえない。既に福島は脱原発の特区であり、未来を抱いた始まりの土地なのである。(赤坂憲雄、県立博物館長)

2013/02/10 08:39 福島民報・日曜論壇

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