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大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

柳田泰山先生のこと

2010-09-02 10:00:00 | 美術
 上野の森美術館で開催されていた第17回泰書展を運良く拝見する機会がありました。日曜、火曜、水曜日と3度も会場に足を運べたことはラッキーだったと思います。日曜日は柳田泰山先生の席上揮毫があり、素晴らしいライブパフォーマンスを見させていただき、とても感動しました。また、柳田先生の妙法蓮華経如来寿量品第十六妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五が会場一階に展示されており、その真ん中に「奔虎」という大きな書額が展示されていて独特の空間構成になっていて柳田先生のセンスのよさを垣間みることができました。「奔虎」の意味は「逃げ惑う虎」のことで『逃げながら前に歩いて行く』という今の柳田先生の心情を揮毫したとのことですが、正直にいうと僕も同感します。
 いい機会でしたので妙法蓮華経如来寿量品第十六と妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五をすべて一字一字読み進めたのですが、所々に分からない文字があり、自分の無学ぶりを思い知らされました。ただ、毎日金澤翔子さんの般若心経を読んでいますのでなんとなく意味するところを類推することはできました。柳田先生は「書家は精神性を伴った職人でなくてはいけない。自分が全面的に前に出るような書を書かなくてはいけない」というようなことをおっしゃってくださいました。また、「書家は文人とは立ち位置が違うから同じポジションにしてはいけない、文人は書を気さくな気持ちで書いているだけで作品として書いているわけではない。書家と文人の書へのスタンスは別世界のものである。文人の書には確かに穏やかな人間性がでている、書家は修練してはじめて精神性が書に表現されるように思う」とお話ししてくださいました。書というのは日々のたゆまぬ研鑽がとても大切であり書けば書くほど味わいが出るので真摯に書に向うことが大切であり、佛道と書道が見事に一致する、書にゴールはない、もしあったとしたらそのゴールが出発点である。最高の芸術はすべてを削ぎ落としたものであり芸術の究極は無に近い表現であるのではないか。ゴールなきゴールを目指してあくなき追求が尊重されるべきであると思う。感性と天性も大事であるが習練を通して体得する、つまりちゃんと学んだものは体が忘れない、と同時に体のコントロールも大切である。基礎というか根本がしっかりしていると、いい書が完成する。楷書には謙虚さが必要であり、二十年くらいは苦労すると言われるそうですが何事も古典がベースにあることを忘れないで書体の中で一番緻密な世界である楷書にはミクロの世界があり気宇壮大な宇宙があることをふまえて書の道を突き進む。簡単に言えば「書くことが好きである、どれだけ書くか、いかに日頃の練習が大切であるのかー努力は自分を裏切らない」と柳田先生は泰書会の出品者一人一人に温かい心を込めた的確なコメントを述べられています。『書』の上で最高峰の書法である楷書の美学を極限まで突き詰め、進化させている柳田泰山先生は全てにおいて超一流の書家であると自分は拝察しました。