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旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

勧修寺

2019年09月06日 | 旅 歴史


 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にがあります。
 亀甲山(きっこうざん)勧修寺は真言宗山階(やましな)派の大本山です。昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母・藤原胤子(いんし)の菩提を弔うため生母の実家である宮道(みやじ)家の邸宅を寺に改め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と名付け、のちに醍醐天皇の勅願寺となりました。
 天皇家、藤原家のもとで繁栄し、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子・寛胤(かんいん)法親王(1309 - 1376)が15世となって以来、勧修寺は宮門跡寺院となり、幕末まで法親王、入道親王が相次いで入寺されました。
 応仁の乱や文明2年(1470)の兵火で焼失し、豊臣秀吉によって境内地を削られ(伏見街道を造るため)、次第に衰退していきました。江戸時代には徳川家綱、綱吉の帰依を受け伽藍が整備され、再興されました。
 境内東側には手前から宸殿、書院、五大堂、本堂などが建てられています。境内西側は氷室(ひむろ)池を中心とした庭園になっています。寺宝であった国宝の刺繍釈迦如来説法図は奈良時代の貴重な文化財で奈良国立博物館に移されています。
 勧修寺の書院は江戸中期(17世紀末)に建てられた後西院(ごさいいん)御所の旧殿を貞享3年(1686)に下賜された建物だといわれています。間口正面6間、背面9間、奥行東側5間、西側4間、単層、入母屋造り、こけら葺きです。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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