虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

イエス伝のようなもの-3

2008-02-21 18:33:52 | 宗教
18日、突然、訃報が舞い込んできました。斜め向かいの男性が亡くなったのです。私と同い年。急性心不全だそうで、突然、逝ってしまったようです。本当に、人間の明日は知れないな、と思いながらも、まだまだ大丈夫だろうと思う自分の浅はかさw。で、19日、20日はお葬式でした。

今日の話は、失われた10年・・・ではなく、イエスは布教を開始する以前の話です。イエスは30歳頃から布教を開始したといわれていますが、それ以前について殆どイエスの行動は知られていません。
それで、この部分を埋めるべく、エドガー・ケーシーのリーディングを援用しながら検討したいと思います。

(3)イエスは何処で学んだか?

イエスが父母と共に4歳頃までエジプトにいたことは、前回で明らかした。
その後、12歳までナザレ(町の名前)で両親と共に暮らしていたらしい。
ルカによる福音書によると、『さて、イエスの両親は過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。』(ルカ 2-41~42)

ウィキペディアによると、ルカに記されているイエスの幼少時は史実として認められていないそうだ。

だが、ケーシーは13歳から16歳までの期間に、インド、ペルシャ、エジプトで教育を受けたとされている。

また、M・ドーリルも「生後12年後にイエスがエジプトへ修行のために行く・・・」(「聖書の真義」 p276)

とされているし、また、インドへも行ったと他の書物で述べている。

霊能書の一致した意見とみてよく、12歳以降にインド、エジプト方面へ行ったことは確かなのであろう。

霊能書以外の残存する古代の書物では、『大祭司カヤパの書簡-イエスはなぜ有罪とされるに至ったか』(カヤパはイエスを裁判にかけ、有罪とした本人である)にエジプトの件が述べられている。引用しよう。

「ナザレのイエスは、ラビ・ヨシュアの指導のもと、エジプトで二年を過ごし、異教のどのような魔術学派でも教えられなかったほどのものを学び、魔術を完璧に修得したのであります。」

こうして敵対者の書簡にも明らかなように、外国で修行したというこたは確かであり、ケーシーのリーディングは信憑性があると判断してよいだろう。

ケーシーは具体的に、インド、ペルシャ、エジプトの順に上げ、ペルシャからエジプトへいく前に父ヨセフの死のためナザレへ帰還し、その後にエジプトへ行ったとしている。

インドでの修行は3年、ペルシャが1年、エジプトは分からないがカヤパによれば2年であるから、都合6年の歳月を外国で過ごしたということになるだろう。

ケーシーはペルシャ→インド→エジプトとしている場合もあるらしいが、道程からすると、<ナザレ→ペルシャ→インド→ペルシャ→ナザレ→エジプト>となるはずで、この辺の道程がリーディングに混乱をもたらせているのだろう。

12歳の後半から出発し、13歳から15歳までインド滞在、次に16歳にはペルシャで1年過ごし、その後、父の訃報を聞きナザレに帰ったのであろう。

とすると、17歳から18歳にかけてエジプト修行となり、ケーシーのリーディングは若干おかしい。何故なら、16歳にエジプトで、秘儀伝授者になったとしているからである。

このズレが何故生じているかは分からない。少なくとも、ケーシーのリーディングで時間的なズレがあり、間違っていることは確かだ。
私は、歴史文書の期間を算定にいれて、18歳頃に秘儀伝授者になったと推定したい。

ところで、イエスの修行に関しては、エッセネ派内グループの指導者であったジュディーという女性が教育・バックアップを勤めたようである。
ただ、私の感としては、ジュディーという名前は英語読みであるような気がする。

イエスがインドで修行した内容は、「体力及び精神力をつけるための身体浄化」というからヨガだろうと思う。
ペルシャでは、『肉体・精神・霊の「諸力の統一」に焦点を置いて修行』したそうだ。
そして、エジプトでは「エジプトの神殿、つまりピラミッドの中で秘儀伝授者(イニシェート)になった」とされる。
この点についても、M.ドーリルが同じことを言ってるので、事実だと思われる。ケーシーとドーリルには何のつながりは見られないので、霊能力者二人が同じ見解であることを重視したい。

さて、18歳くらいまでのイエスの行動は、概ね明らかになったが、その後、イエスが宣教を本格的に開始した30歳ころまでの行動についてはケーシーも明らかにしていない。

先にみた大祭司カヤパの書簡によると、「彼(イエス)は、医者としてパレスチナに戻ると、・・・自らヨハネのもとに出向き」としているので、多分、故郷ですごしていたのだろうと推測される。
また、ガマリエルの書簡(「イエスの父母へのインタビュー」)でも、イエスの母であるマリアが40歳から45歳頃(ガマリエルの推測だが)のイエスの行動について聞いている。
マリアが16歳~17歳で出産したとすると、イエスは23歳から29歳くらいであり、イエスの行動について証言しているわけだから、地元にいたことになる。
イエスは、「祈りと黙想に長いこと費やし」「完璧な禁欲生活を送っています。」とマリアが答えていること、以前、祭司であったマッサリアという人のところへよく出かけていたこと(癒し=病気治療をまだしてない時期)、ベタニアのマリアとマルコの家をよく訪れていたことなどの証言をみると、地元で祈りと瞑想、そして宣教の準備をしていたのだろう。
ガマリエルの書簡のなかで、ベタニアのマリアの話で、「彼(イエス)は、今から26年前にベツレヘムで処女から生まれたその人なのです。」という証言があるから、ここでもエジプト帰還後は地元にいたことがわかる。この証言では26歳である。

このように、イエスが人間として生まれた以上、例え<神の一人子>であろうと地上における一定の再修業は必要なのであり、そうすることによって<最終的な霊の完成>をみることが明らかになる。
つまり、地上は魂の試練の場であり、人間である以上、再度、一からやり直さなければならないという法則があるように思う。
こうした観点からみると、バプテスマのヨハネ(イエスの従兄弟)との関係も明瞭に理解できるようになるはずである。

では、また次回。



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