後
旧約聖書の最初の方(創世記)を読んでいると、不思議がいっぱい。
まず、神が人間を創ったという話では、明らかに神は2度人間を創っていると思われる記述に出会う。
まず、最初は『神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。』とあり、その後の記述で『主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。・・・人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。』
一見、旧約聖書の話は神はまず、アダムを造り、その後にそのあばら骨から女(エバ)を造ったように理解されているが、本当は2つの話をくっつけたものと考えられる。
●神は神の形に似せて人間の男女を造った・・・これが1つの話。
●神はまず土からアダムを造った・・・・・・・これがもう一つの話。
神が人間を造ったという話が、多分、複数あったのであろうと思われるが、その中からストーリーの似た2つの話をつなぎ合わせたのだろうと思われる。
よく読むと、旧約聖書の話は全体的に一貫性のない不思議な点が沢山あって、例えば、普通、エデンの園では人間は働かないと思われているが、『人がそこを耕し、守るようにされた。』となっており、「耕す」→「働くという行為」が記述されていたりする。
創世記では、一神教のはずが、”我々”と表現している箇所がみられるのも面白い。
「主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』」(蛇の誘惑)
「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。『・・・我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』」(バベルの塔)
まぁ、これらを捉えて、おかしいじゃないかというのは簡単だが、逆にこの部分をミステリアスな部分として考えるほうが面白い。
無論、神は自分に似せて人間を創ったなどということはなく、象徴的な表現として考えないと随分おかしなことになる。残念ながら、神は人間のような姿形はしていない。
しかし、創世記をよく読んでみると、非常に面白い部分もある。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。こうして、人の一生は120年になった。」
この部分は霊が神からきたもであること、人間の肉体的限界が概ね120年であることがわかる。
医学的にも人間の肉体は最大120歳位が限度だと言われるので、この点は奇妙な一致が見られる。
このように、旧約聖書の創世記は奇妙な部分が沢山あって、旧約聖書探検隊を組織して、探検すると面白い冒険ができること請け合いである。
暇な人は一度、旧約聖書の冒険にいってみないかい?
私は最近忙しいので、今回、少しだけ探検してみようと思う。
では、また、明日か明後日に冒険談をお話するとしょう。では、
旧約聖書の最初の方(創世記)を読んでいると、不思議がいっぱい。
まず、神が人間を創ったという話では、明らかに神は2度人間を創っていると思われる記述に出会う。
まず、最初は『神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。』とあり、その後の記述で『主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。・・・人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。』
一見、旧約聖書の話は神はまず、アダムを造り、その後にそのあばら骨から女(エバ)を造ったように理解されているが、本当は2つの話をくっつけたものと考えられる。
●神は神の形に似せて人間の男女を造った・・・これが1つの話。
●神はまず土からアダムを造った・・・・・・・これがもう一つの話。
神が人間を造ったという話が、多分、複数あったのであろうと思われるが、その中からストーリーの似た2つの話をつなぎ合わせたのだろうと思われる。
よく読むと、旧約聖書の話は全体的に一貫性のない不思議な点が沢山あって、例えば、普通、エデンの園では人間は働かないと思われているが、『人がそこを耕し、守るようにされた。』となっており、「耕す」→「働くという行為」が記述されていたりする。
創世記では、一神教のはずが、”我々”と表現している箇所がみられるのも面白い。
「主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』」(蛇の誘惑)
「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。『・・・我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』」(バベルの塔)
まぁ、これらを捉えて、おかしいじゃないかというのは簡単だが、逆にこの部分をミステリアスな部分として考えるほうが面白い。
無論、神は自分に似せて人間を創ったなどということはなく、象徴的な表現として考えないと随分おかしなことになる。残念ながら、神は人間のような姿形はしていない。
しかし、創世記をよく読んでみると、非常に面白い部分もある。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。こうして、人の一生は120年になった。」
この部分は霊が神からきたもであること、人間の肉体的限界が概ね120年であることがわかる。
医学的にも人間の肉体は最大120歳位が限度だと言われるので、この点は奇妙な一致が見られる。
このように、旧約聖書の創世記は奇妙な部分が沢山あって、旧約聖書探検隊を組織して、探検すると面白い冒険ができること請け合いである。
暇な人は一度、旧約聖書の冒険にいってみないかい?
私は最近忙しいので、今回、少しだけ探検してみようと思う。
では、また、明日か明後日に冒険談をお話するとしょう。では、
この部分は、エドガーケーシーのリーディングで、エジプトの初期の時代に動物の肉体に入った人々が肉と苦闘する話がでており、これと符合するように思いますのでTBさせて下さい。