虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

モーセとは誰だったのか?(その6)

2008-11-06 12:01:05 | 宗教
少々、不気味なお話。我が家に居座っている子猫、というよりもう充分大きくなりましたが、そのうちで一番先に馴れた♂猫がいます。頭も良いほうですが、少々勝手なところもある猫です。
いつも私が横になっていると、足元で寝ているのですが、ある日、ふと顔を上げて、中空をじーっと見つめていました。何かを目で追っているのです。
突然、起き上がると威嚇するような格好で、その中空にいる(?)何ものかを見つめました。
私には何も見えていないのですが、彼には見えるようです。
更に、彼は寝床から降りて、その見えないものを追い続けました。構えた格好で、目だけを動かし、わずかづつ移動する-彼の目の動きをみるとそう見える-ものを追い続けていました。
最後はテーブルをすり抜けて消えたようです。テーブルまで進み、そこで座ったまま壁の向こうを不思議そうに見つめていましたから。
猫の中にも<そういう能力>をもったのがいるんだと、初めて気づきました。
この世には色々な発見があるのですねw。

さて、いよいよラストに近づきました。私が予想したモーセに迫りたいと思います。

(2)アテン信仰はいつから始まったのか?

今回の記事を書くためにエジプト関係、メソポタミア関係の本を読みました。初めて知る内容が多く、メモを大量にとったのでメモの中身を何度も見なければわけがわからないということになっていました。
以前、アテン神についてはよくわからないと書きましたが、メモがありました。
大体、こういうことのようです。

①アメンヘテプⅡ世(BC1427~1393頃)
この治世時代、カルナクにいるアメン神官団の横暴さが目に余るようになってきた。
 
②トトメスⅣ世(BC1394~1384頃)
この治世の時代になって、太陽神アテンが王宮で熱心に信仰されるようになった。
トトメスⅣ世のスカラベには「アテン神の名のもとでアジア諸国を支配することができた」と記され、アテン神が独立して崇拝の対象となっていた。
この時期から太陽神信仰の聖地ヘリオポリス神官団との結びつきが強くなり、カルナクのアメン神官団を牽制(けんせい)するものであった。

③アメンヘテプⅢ世(BC1384~1346頃)
この時代になるとカルナクのアメン神官団との対立が深刻化し、ファラオは政策的にアメン神官団の影響が及ばないように、伝統に反する行動にでた。即ち、アメンヘテプⅢ世は平民の女性ティイと結婚、アメン神との関係を断ち切った。
ティイは地方都市アクミームの官史イウヤとチュウヤの娘で、その兄妹が”アイ”である。
アメンヘテプⅢ世は表向きアメン神を無視せず、カルナクの大神殿やルクソールの神殿を建て、アメン神と妥協する姿勢を示している。

④アクエンアテン(BC1358~1340)*即位時名:アメンヘテプⅣ世
アクエンアテンの治世6年目に新首都アケトアテンが完成、治世8年目にテーベから首都機能を移転した。
また、アメン神とその妻ムト女神を排斥、アメン神官団とも完全に決別し、多分、迫害したと思われる。
反対に、ヘリオポリスの神官団を新都市アケトアテンへ向かい入れただろうと思われる。

(3)モーセとは誰だったのか?

これまでに旧約聖書の出エジプト記は、アテン教と深い関わりがあることを明らかにしてきました。しかし、私が読んだ本の中で、モーセが誰であるかを検討している本は一冊しかありませんでした。
つまり、モーセはモーセだというわけです。
さて、その一冊は『出エジプト記の秘密』(メソド・サバ/ロジェ・サバ)で、著者は元ユダヤ教徒で、ヒエログリフの研究者でもあります。
この著書はヒエログリフ(エジプトの絵文字です)とヘブライ語のつながり(=ヒエログリフからヘブライ語ができたと主張)とヘブライ語の聖書をアラム語に翻訳したBC1世紀頃の聖書を比較検討して、モーセ五書の内容を解き明かしています。
ヘブライ語の神=アドネ・アイだということはアラム語聖書の解読からえた答えです。
また、モーセ、アロンが誰であるかも検討しています。
この著書によると、モーセはラムセスⅠ世、アロンがホルエムヘブだと言っています。
言語による緻密な分析と歴史の比較によっており、極めて論理的なので、つい納得してしまいそうなのですが、疑問が残ります。
この二人は一貫して軍人であり、アテン教をトコトン憎んでいたはずです。
神とされる君主アイは、トゥトアンクアメンの墓を自分の墓にしてしまいますが、徹底的に破壊され、アイのカルトーシュは削られているそうです。
誰がやったのか。多分、ホルエムヘブかラムセスⅠ世でしょう。
歴代の王名表からアテン神を信仰に絡んだ4人のファラオを抹消したのも、この2名のファラオだと推定されるので、アテン教徒をエジプトから導き出したとするには無理があります。

では、モーセとアロンの候補はだれか?
後代のエジプト神官であるマネトが、言い伝えによってその姿を暗示しています。
「人々を指導し掟を授けた神官は、ヘリオポリス生まれで、その名をオサルシフと言った。この民のもとに来たとき、彼は名を変えモーセと呼ばれるようになった」

ギリシャ人のアピオーンという人も、
「古代エジプトの人々について、私が聞いたところでは、モーセはヘリオポリス出身で、自分は父祖の慣習に従う義務があると考え(=高級神官は世襲性であった)・・云々」
と書いているそうです。

言い伝えとはいえ、モーセはヘリオポリスの神官の子供だったこと、ヘリオポリスは太陽神アテン神の聖地だったことがわかります。

さて、アクエンアテンの時代に戻りましょう。
アクエンアテンの治世に作成された碑文によると、ヘリオポリスの神官の位に「最も偉大な預言者」というのがあり、アマルナ=アケトアテンでこの位についていたのが”メラリーⅡ世”と呼ばれる神官であったことがわかっています。
もう一人、第二神官としてパネヘシという神官がアケトアテンにいました。

この二人の官位を示してみましょう。

①メラリーⅡ世
 ●王の右の扇持ち
 ●アテンの高級神官
 ●最も偉大な預言者
 ●王の宰相
 ●世襲大公
 ●王に知られし者

②パネヘシ
 ●二国の主の第二神官 *二国とは上下エジプトのこと。
 ●アテンの穀倉長
 ●アテンの畜牛長
 ●王の北の宰相
 ●王の知己
 
通常、エジプトでは<神=ファラオ>という関係でしたから、神であるファラオが直接、下々の人々に話しかけるということはなかったはずです。
<神=ファラオ>→高級神官に伝達→次の神官に伝達→下々の官史・軍人等々。
こんな感じでしょうか。
とすると、この二人のアテン教高級神官が最もモーセとアロンに近い存在であると言えます。

メラリーⅡ世は預言者であり、大公ですから王族だった可能性があります。聖書のモーセにピッタリといって良いでしょう。

パネヘシは財産に絡む位についています。聖書にはアロンが人々に推されて金の子牛を作る場面があります。金やさまざまな材料を集めるのはアロンの役割とされています。この点、パネヘシの位(穀倉長・畜牛長)に近いイメージがあります。

また、この二人はアクエンアテンの死後、パタリと歴史から姿を消し、自らの墓にも遺体は残されていないのです。

まして、アテン教徒をかっての首都であるアケトアテンから導き出すには、<神=アイ>の命令であっても、それを人々に伝える=以前から伝えていた=神官でなければならないはずです。

軍人であるホルエムヘブやラメセスⅠ世ではできない仕事だと思うわけです。

このように推論すると、<メラリーⅡ世=モーセ>、<パネヘシ=アロン>とするのが論理的に妥当だと思うのです。

しかも、エジプトの古い言い伝えとも合致します。

以上、長々とモーセを探るお話を書きました。
私の答えが正しいかどうか、何ともいえません。
私が調べた中では、この二人しか、その該当者はいないということです。

では、また、お会いしましょう。








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