虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

密教の本を読んで感じたこと

2005-09-17 20:47:47 | 宗教


 2日前に「密教は神々をも救う」(高野山真言宗大僧正 織田隆弘)と「秘密の庫を開く[密教経典]理趣教」(高野山大学学長 松長有慶)という2冊の本を借りてきた。

 「密教は神々をも救う」は基本的にペケ。

 何故だめかというと、他宗教の教義を掘り下げることなく、宗教に取り込まれた人間集団・社会の歴史によって、他宗教を批判、否定していることが、第一点。

 もう一点は、自ら立脚する宗教(正純密教)を唯一正しいものとして、自ら批判した宗教と同じ穴に落ち込んでいることに<気づいていない>ためである。

 普通、こういうのを「目糞、鼻糞を笑う」と例えられる。

 密教の高僧にしてこの程度のレベルでは、宗教の先は暗いと言っていいだろうな。

 この大僧正がいうには、仏は「全知全能の創造神を否定し、霊魂の永久存在を否定し、霊魂に代わる業不滅の実相を照見した」のだそうだ。

 「心は人類誕生以前から宇宙の要素の生命の営みとしてあることを発見したのが仏教であります。脳に限らず人間は諸細胞に至るまで、あるべき宇宙法則(生命の営み)によるものです。」

 はて? 「業」って何だろう? 因縁かな? 平たく言えば、因果関係ということなんだろうな。

 唯物論的立場では、人間が死ねばその人の因果関係は消滅するはずだ。それとも、親の因果が子に報うのかな?

 もし、死後の世界が想定されないならば、「業」なるものはどのように連続性と普遍性を保つのであろうか?

 素人の頭でも疑問に思うことを明らかに出来ないでは、先が思いやられる。

 業については、次のように説明している。

1.現世生存中に報(むく)いが現れるもの―順現報受。
2.転生した世に受ける業果―順次生受。
3.第3回目の生以後で受ける業果―順後次受。

 以前にも述べたが、転生するには何らかの媒介なくして、業なるものを抱えて転生は不可能である。それは物理的な肉体以外のものであり、普通、それを霊とか魂などといっている。

 この大僧正は霊魂不滅を否定しているのであるから、はて?何が転生するんだろう?

 まぁ、大僧正であるからそんなことはご存知で、「業ということをあえて霊魂と表現するのであれば、これは仏教も霊魂論であります」と認めている。

 では、何故、霊魂を否定したかというと、「他の国の宗教におきましては、霊魂といっても業識ということまで知らないで、肉体の中に霊というものが別に存在しているのである、それが死後に霊界にあって神の側にいるとか・・・そういうことを詮索しても意味がない。一番大切なのは、この業が最高の精神に達する涅槃に入ることで、・・・言葉は霊魂論であっても、内容が全く違う。まことに高尚高度の仏陀の説であります。」となる訳。

 結局、何が言いたいのかといえば、霊魂(=業)はあるんだが、人間~霊魂を通じて最高の精神に達するまで修行し、涅槃(ニルバーナ)の境地に入り、迷いの業をなくすことが大切なのだということらしい。

 で、どうなるの?

 「そのために、我々はひたすら煩悩を断ち、真知を開発して悟りを得ること、功徳を積んで最も良き上界の世界に転生することの他にないのです。」

 フムフム、要するに、良い行いをして天国に行くということだな。

 途中の方法論は違うようだが、向かうべき方向は同じだから、一神教と教えていることは同じではないかな?

 「上界の世界」とは何だろう? 密教だから大日如来のいる世界かなぁ~。

 「仏教の場合は、無神論に立っておりまして、超自然の奇跡ということは求めない。・・・自然は縁起の働きによって様々のものを生む。これを自然(じねん)という・・・密教におきましては、植物、鉱物にも心があることを説きます。・・・
仏教の哲理では、生命は識(霊と前文で書いてある)として永続して輪廻する心があることを教えています。・・・しかし、本来の生命というものは永遠にあるものであり、全体とともに生きていくのです。」
 「密教の生命観こそ生命の本流・・・宇宙生命のために生まれたのが、この真言密教であり、・・・本当の人間の終わりというものは、本来の親である大生命に帰ることだと教えているのが密教であります。」

 フムフム、なるほど。真言密教とは一神教と全く同じなんだな。大僧正殿は一神教について全くと言っていいほど無知であるな。

 キリスト教の"神”の概念を研究すると、”宇宙生命”に立ち返り、それが創造神であることが分かるからである。

 しかも、神=宇宙生命に帰ることが人間=霊の生きる使命だとは知らないようだ。

 長くなりそう・・・。

 結論を急ごう。結局、この大僧正殿は一神教に対して無知であるため、神の概念について知らず、天に唾を吐いているに過ぎないことがわかる。

 神を否定して、神(宇宙生命)に至るという自己撞着に陥っている。仏教用語でいうと無明なのだから、修行が足りんわい!

 大僧正さん、出直してきなさい。本書く暇があったら、修行せんかい!

 ということで、もう1冊は読んでる途中だから、そのうちに報告。では、サイナラ

 



 

 

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