虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

モーセとは誰だったのか?(おまけ)

2008-11-10 15:00:46 | 宗教
本格的”冬”まであと一歩。雪は積もってませんが、毎日さむ~いですねー。

”モーセ”シリーズが終わりヤレヤレといったところですが、モーセの頃のことについては色々と書き残したことが沢山あります。
例えば、アテンの神と聖書の神とはイメージが全然違います。
アテンの神はよくわかりませんが、どちらかといえば”平和の神・愛の神”です。
一方、聖書の神=イスラエルの神は”戦争の神・妬む神・焼き尽くす神”という感じです。おどろおどろしい絶対神です。
この大きな違いは、何故生じたのでしょう?
私が読んだ本のなかでは、この問いに答えている人はいませんでした。

出エジプトの史実は、多分、首都であったアケトアテンからアテン神の信者全体を移住(=追放する)させることであったのだろうと思います。
また、伝染病の患者も一緒に追放できるというメリットがあったのでしょう。
その移住作戦は、混乱していたパレスチナ地方を再統一(再支配)する事業でもありました。そして、そこにお払い箱としたアテン神の信者を殖民させて、エジプトの盾とするという二重の意味があったようです。

移住作戦は、当初、思うようにうまくいきませんでした。創世記を除くモーセ4書には、40年間の放浪(荒れ野の旅)が書かれています。
どうもこれは史実ではなく、カデッシュというミディアンの地にエジブトをでてからすぐに到着し、そこに約40年間住んでいたのが事実らしいです。

この40年間というのは、トゥトアンクアメン~ラムセスⅠ世の統治時代までが、約40年となります。
トゥトアンクアメンの多分1年目に、アテン信徒をエジプトから連れ出し、40年後のラムセス1世、セティⅠ世の頃、漸く、パレスチナの北部に入植可能となったのではないでしょうか。

さて、アテン信者達が過ごしたカデッシュという地は、ミディアンという地方でモーセがエジプトから逃げた場所でもあります。そこはエジプト側からシャスの地として知られ、そこで信仰されていた神が聖書神なのです。
ミディアンに仮移住したアテン信徒は、ミディアンの地元神と融合するとともに、エジプト側からの影響(=アメン神)も加わり、奇妙な神になったのだと思います。アメン神の影響は、「アーメンと言わなければならない」と旧約聖書申命記27-15~26の通りです。
今でも、キリスト教では、”アーメン”と言いますね。エジプトのアメン神を讃えているわけです。

アテン信徒の移住には、当然、エジプト軍が護衛兼逃亡防止でついていったことでしょう。エジプト軍はアメン神側ですから、ある程度の妥協が必要となります。そこで首謀者であるアドネ・アイは”アーメン”というアメン神を讃える言葉を賛同詞として唱えるよう命令したのだろうと予想されます。
それが申命記に残ったのだと考えられます。

また、神の概念については、ミディアン在住中にアテン神の中身は地元神に吸収され、新たな神概念が創造されたのだと考えられます。
ですから、平和の神・愛の神で、かつ偶像崇拝を排除する一神教と戦争の神・ねたむ神である神が一緒になり、戦争の神・ねたむ神・熱情の神であり偶像崇拝を排除する神=一神教へ変身したのでしょう。
エジプトのような強大国で平和を唱えることができても、辺境の一地方に住む人々が平和や愛を唱えても現実的にどうにもならないことは明らかです。
ですが、アテン教の名残りは、聖書に残っています。

「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ記 19-18)

よく知られた言葉ですね。所々にアテン教の理念が残されているのです。

紀元前7世紀頃から、モーセ五書は書物化され始めたようですが、その頃、ゾロアスター教の影響も受けたようです。光と闇の戦いや救世主の発想が取り入れられたといわれています。

モーセのことを調べ始めると、様々な側面からのアプローチが必要になり、簡単にまとめることは無理でしょう。
言い伝えにその時代時代の理念を付加しながら、かつ、言い伝えの言葉を残しながらモーセ五書は作り上げられたようです。そのため、所々に奇妙な逸話が残っていたりします。

私が書いたことも、無論、正しいとは言えません。
できれば、その時代に飛んでいって、見てみたいものですね。

では、また、お会いしましょう(寝るには早すぎるかw)




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アテン神 (葉音)
2009-01-21 10:19:41
はじめまして。

歴史に興味はあるものの、いろいろ調べていくと、調べれば調べるほど、その流れには様々な流れが入り込んでいますよね。
一刀斎さんの書かれたアテン神については、けっこう面白く拝見させていただきました。
現在のイスラエルとパレスチナの状況。なんとかならないものなのかなと見ているのですが、信仰する神の違いというのは、その民族に大きな影響を及ぼしてしまうのでしょうか・・・・・。

こちらのブログは独特な見解を書かれておられるので、興味を惹かれました。また、お邪魔させていただくかも知れませんが、そのときはよろしくお願いします。
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遅ればせながら、コメントありがとう御座います。 (拝 一刀斎)
2009-03-28 04:58:33
葉音さま、コメントありがとう御座います。
コメントが来ていることに気づいてはいたのですが、何とご返事したらよいか思い浮かばず、ズルズルと日がたってしまいました。失礼致しました。
いつでもお寄り下さいませ。大歓迎で御座います。
さて、イスラエルの件ですが、私も大変気にしている事件です。新約聖書にもあるように、ハルマゲドンの地がイスラエルであることは明らかですから、かの地で起きている戦争は非常に危ないものを感じさせます。イスラエルはアメリカが支援している(正確にはさせられている)国なので、日本と無縁ではありません。にも関わらず、地理的に遠いこともあって日本人にとってほとんど他人事ですね。困ったものです。
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