桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 3

2018-04-30 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

岡山 1245 -【瀬戸大橋線】- 1306 茶屋町



岡山から乗ってきた児島行きの電車は、4番のりばに到着。
4番のりばはおもに瀬戸大橋線の電車が発着するため、駅名標にも瀬戸大橋線のラインカラーである青が採用されています。

また、ジョイフルトレイン"La Malle de Bois(マルド・ボァ)"(フランス語で「木製の旅行鞄」という意味)
を運行している関係か、のりば案内には英語表記のほかフランス語表記もあります。



一方、こちらは4番のりばの反対側、3番のりばの駅名標。
こちらは宇野みなと線ののりばとなっているため、宇野みなと線のラインカラーである水色が採用されています。

宇野方面へ向かう宇野みなと線と、児島・四国方面へ向かう瀬戸大橋線は、茶屋町駅から分かれていきます。
つまり、茶屋町駅は、路線の正式名称でいえば、宇野線の中間(ちゅうかん)駅であるとともに、本四備讃線の起点駅でもあります。

ただし、岡山・茶屋町間では日中、基本的に児島方面へ向かう瀬戸大橋線の電車がメインで運行されていて、宇野方面へ向かうには茶屋町駅で乗り換える必要があります。
一方、本四備讃線の起点駅ではあるもののの、茶屋町を起終点とする児島・四国方面の電車はなく、すべてが瀬戸大橋線として岡山まで乗り入れています。
なので、線路の正式名称上では、岡山から茶屋町を経て宇野までの区間が宇野線で、茶屋町から分岐した本四備讃線が児島を経て宇多津までを結んでいますが、運転系統上は、岡山から茶屋町を経て児島・四国方面に結ぶ瀬戸大橋線がメインで、宇野線(宇野みなと線)の茶屋町・宇野間が支線、という感じです。

以上、前回に引き続き、どうでもいい薀蓄、でした。

さて、本来、茶屋町では別の電車にすぐ乗り換える予定だったのですが、この時点で入線していた電車、そこそこ乗客が多そうだったので、その次の電車を待つことに。
そのときの状況によって変更を利かせられるように、旅の計画を立てる段階で、あらかじめ時間に余裕を持たせるようにしています。

そんな訳で、茶屋町駅で二度めの途中下車。



茶屋町駅西口。

茶屋町駅は1988(昭和63)年、瀬戸大橋開通(本四備讃線開業)に合わせて高架化されました。
茶屋町の中心部へは、こちらから。



東口。
こちらは駅舎を出たらすぐに道路を挟んで住宅街、という感じでした。

茶屋町駅は倉敷市にありますが、倉敷駅に電車で向かうときは、いったん岡山駅まで出て、そこで乗り換えることになります。
ただし、茶屋町駅から倉敷駅までの直線距離は意外と近く、美観地区はさらにその手前にあるので、例えば宇野方面から美観地区へ向かうときは、茶屋町駅で降りて
バスやタクシーなどを使った方が断然早いです。



干拓三百年の記念碑。
茶屋町一帯はもともと海で、江戸時代に行われた干拓事業によって陸地となりました。



茶屋町の鬼。



駅西口にある、児島湾干拓についての案内地図。

児島半島はもともと"児島(吉備児島)"というひとつの島で、吉備の穴海と呼ばれる浅海で隔てられていましたが、奈良時代に始まったとされる干拓事業が進められる中で、江戸時代に陸続きとなり、児島半島や児島湾が形成されました。
その後、干拓事業はさらに進み、1959年には締切堤防が完成、児島湾の奥部が人造湖・児島湖となりました。

なお、本四備讃線の開通に伴い快速電車が停車するようになり、岡山駅と快速で20分足らずで結ばれるようになったことから、駅周辺ではは急速に宅地化が進んでいます。



ようこそ茶屋町駅へ。



右上に描かれているのは、JR西日本・岡山支社のゆるキャラ、"くまなく・たびにゃん"。



茶屋町駅の改札口。



4番のりばに、高松行きのマリンライナー35号が入線してきました。
しかし、ここでは、これには乗りません。

岡山駅では"どうせ帰りに撮るから"なんて言いながら、結局ここで電車の写真だけ撮るという。



3番のりばに入線してきた、国鉄213系電車
こちらに乗り、先へ進みます。



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