桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 13

2018-05-10 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

高松港界隈の散策もひと通り終わったところで、高松観光、最後のスポットへ。



玉藻公園。
高松城跡に整備された公園です。



高松城・西門。
高松城跡には天守閣は無いのですが、入園料は200円と手頃な感じなので、入ってみます。

なお、上の2枚の写真、撮ったのは初日の夕方。
このときは、公園内に入るつもりはなかったのですが、せっかくだと思ったので。

こちらは窓口で入園料を払い、手渡しでパンフレットをもらいました。



栗林公園ほど大規模ではありませんが、こちらもツツジが綺麗でした。



鞘橋。
二の丸から本丸へ続く唯一の動線となっていて、攻め込まれたときはこの橋を落として本丸を守るしくみになっていたそうです。

現在の鞘橋は、老朽化により1971年に解体修理されたもの。
さらに、2011年には、天守台石垣の復元に伴い、本丸側の一部が解体修理されています。



鞘橋内部を、西門のある二の丸跡から本丸跡へ。



逆に、本丸跡から二の丸跡へは、こんな感じ。



本丸側の、鞘橋入口。



鞘橋から、西方を望む。
お濠の向こうに、ことでん・高松築港駅のホームが見えます。



お濠に、魚が泳いでいました。

高松城のお濠は、瀬戸内海と水門で繋がっています。
なので、城のお濠に、真鯛が泳いでいたりする、とのことです。

‥‥ということは、この魚って、もしかして、鯛?



反対側の東方は、こんな感じ。



少し、角度を変えて。



本丸跡の天守台(展望デッキ)から、西方を望む。



こちらは北東方。
お濠の向こうには、披雲閣庭園が広がっています。



天守台については、もともと築城された当時の原型が再現されています。
天守台に向かう石段も、段差や幅が不揃いだったりするので、下りるときは特に注意が必要です。



本丸跡、天守台を下りたところも、藤の花が咲いていました。
余談ですが、藤の色、私が一番好きな色だったりします。

再び二の丸に戻り、水門を通って東側へ。
水門の近くには、城舟体験や鯛へのエサやりが体験できる場所があります。



先ほど、天守台から見えていた披雲閣庭園に、やってきました。



披雲閣の建物に、白いツツジが映えます。
中央に聳え立つ松は、昭和天皇のお手植松。



白い花の中に、ピンクがちょびっと混じっています。



こちらは、一面ピンク。



川っぽくなっていますが、水は流れていません。



園内は、ご覧のような飛び石が敷き詰められています。



ちっちゃな辛夷の木を発見。
これからの成長が楽しみです。

"こぶしファクトリー"も、いろいろあったけど、これからも頑張っていってほしい。
‥‥うん。



小さな石橋の上を歩きます。
下を通る川には、水は流れていません。

枯山水‥‥じゃない。
枯川です。

披雲閣を出て、公園の北側へ。



渡櫓。

櫓の中央に、縦の線が見えます。
高松城が生駒家から松平家に引き継がれた際に、継ぎ足されたといわれています。

どちら側がもともとあった石垣で、どちら側が継ぎ足された石垣なのかは分かりませんが。



渡櫓から続く、水手御門。



そこからさらに、月見櫓へと繋がっています。



月見櫓を、別の角度から。



塀の向こうは、瀬戸内海。
かつては、もっと海岸線が近かったものと思われます。

ここから先は行き止まりなので、先ほどの披雲閣庭園を抜け、お濠の脇の道へ。



お濠の向こうに、鞘橋。



披雲閣は、こちらが表側。

明治維新後に老朽化のため取り壊されていましたが、1917年に再建されました。
2012年には、国の重要文化財に指定されています。


現在は、部屋の一部を予約制で貸し出されているようです。



日本一を誇る高松の松盆栽。

松は、盆栽程度が一番いいかも知れません。
個人の家に大きな松があると、とにかく手入れが大変なので。



外側が薄いピンク、内側が濃いピンクの花をつけた、ツツジ。



桜御門跡。
披雲閣の方から出てきてから、振り返って撮影したものです。

こちらも、修復工事が行われていました。



松の馬場。



恐らく、ここで集合写真を撮るのでしょう。



西門から入ったので、帰りは東門(大手門)から出ることにします。



東門を出たところから、艮(うしとら)櫓を撮影。

本当は公園内から撮りたかったのですが、艮櫓へと続く階段のところで、おっちゃんが座って何かやっていたので、外から撮りました。
‥‥他人の姿は、できるだけ写真に収めたくない。

東門は高松駅とは反対側になるので、いったん西門の方へ戻らなければなりません。
なので、南側をぐるりと回ります。

ことでんの踏切を渡り、瀬戸大橋通りへ。



ことでんの線路。
瀬戸大橋通りとお濠に挟まれているのが分かります。



高松築港行きの電車が、やってきました。



列車は、そのまま高松築港へ。
お濠に沿って走るので、この先、線路はかなり急なカーブを描いています。

瀬戸大橋通りをしばらく進み、中央通りとの交差点で右折。
そこから少し歩いていると、踏切の警報機の音が鳴り始めた。



ほんの5分ほど前に高松築港へ向けて走った電車が、早くも折り返してゆきました。
一応、ここは踏切ですが、踏切を渡った先はすぐに行き止まりとなっており、なぜこんなところに踏切が?という感じでした。



中央通り沿いの緑地帯を北に進むと、高松築港駅のホームが見えてきます。

高松築港駅を通り過ぎ、サンポート高松玉藻交差点から、水城通りを東進。



水城通りを挟み、月見櫓を撮影。



報時鐘。

松平家の初代藩主・松平頼重公が、城下の人々に時を知らせるために設けた鐘楼です。
明治維新後、高松市庁舎にサイレンが設置される1928年まで使われていた、とのこと。

もともとは高松城の西南方、外濠土手に設置された報時鐘ですが、その後、数度の移転を経て、1980年に現在の水城通り沿い、高松城址の北側に設置されました。



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