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官邸と東電、緊迫の3・15 内閣広報だった下村氏記録

2014年06月12日 | 原発

官邸と東電、緊迫の3・15 内閣広報だった下村氏記録

木村英昭、堀内京子

2014年6月12日05時38分

 東京電力福島第一原発の事故時に内閣官房審議官(広報担当)だった元TBSアナウンサーの下村健一氏が朝日新聞の取材に応じ、首相官邸と東電首脳のやりとりを克明に記録した大学ノートを開示した。そこからは当事者意識に欠ける東電幹部たちの姿が見えてくる。福島で最も高い濃度の放射性物質が飛散した2011年3月15日朝、東京にある東電本店がどう動いたのかを解明する歴史的資料だ。

■6時7分 東電本社へ移動

 この朝は、菅直人首 相が東電本店に乗り込んだ重大局面だった。東電がのちに公開したテレビ会議録では音声が消えており、居合わせた人々の記憶に基づく証言で断片的にしか語ら れてこなかった場面だ。ジャーナリストの目線で事故対応の裏側をその場で記録した「下村ノート」をもとに再現する――。

 「東電が撤退すると言っている。総理が東電本社に行きます」。3月15日未明、首相官邸で仮眠していた下村氏はそんな電話で起こされた。すぐに防災服に着替え、先に東電本店に向かった菅首相を車で追いかけた。内閣の広報担当に着任して4冊目、原発事故を記録したものとしては1冊目となるノートを携えて。

 《6時7分 東電本社へ移動》(下村ノートから)

 東電の対策本部がある本店2階に駆け上がると、「総理執務室の誰か」が真っ青な顔で、菅首相が東電幹部たちにぶった演説の内容を耳打ちした。下村氏はその場でノートに書きとめた。

 《現場撤退は絶対ない。日本の東半分を核廃棄物にするわけにいかない!》

 《社長以下責任負う 60才以上ここで死ぬ覚悟》

 下村氏は菅首相らとともに対策本部と廊下を挟んだ向かいにある小部屋に移った。そこには東電本店と福島第一、福島第二、福島オフサイトセンターなど6カ所を同時につなぐテレビ会議システムが動いていた。

 下村氏は驚愕(きょうがく)した。つい先ほどまでいた官邸には東電から情報がなかなか届かず、菅首相らはいらだっていた。ところが、東電本店には現場からリアルタイムで情報が入っていたのだ。下村氏はノートの欄外に6分割されたモニター画面を描写した。

 「それまで、海外とやりとりしているような遠い感じだった。本店にも情報がないなら仕方ないと思っていたが、情報は届いてたんじゃないか、なんで本店からこんなに近い官邸まで情報が届かないんだというのが衝撃でした」(木村英昭、堀内京子)

     ◇

 しもむら・けんいち。1960年生まれ。慶大特別招聘(しょうへい)教授。元TBSアナウンサーでオウム真理教による松本サリン事件などを取材。2010年から2年間、内閣官房審議官(広報担当)を務める。著書に「マスコミは何を伝えないか」など。



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