見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

「大勢」の危うさ~まぼろしの出雲王国

2024-05-29 20:01:42 | 古代のこと

出雲の古代史を学んでいくと、定説や「大勢」の大きな壁を感じることがよくあります。
それは、記紀以前の文献がほぼ消去され、専門家と言われる人たちも、作られた歴史という認識を持ちながらも記紀の中に真実の歴史の糸口を探る努力を余儀なくされていることや、記紀が作っている大和中心主義から抜け出せないからかもしれません。

今読み終わった山崎謙著「まぼろしの出雲王国」、出雲の歴史をさらっと撫でている感じで、学ぶものがないなあという印象でしたが、最後に来てやはり最後まで読んでよかった!
特に、三角縁神獣鏡に関する見方、日本海を介した交流国家像、地域王権、古墳に対する考え方など、今まであまり出会わなかった見方にガッテン!

「大勢」の危うさ
そして、「おわりに」では「大勢」というものの危うさと、歴史を考える視点、見る眼の大切さを再確認させていただきました。

荒神谷遺跡が出現する前は、出雲は考古学的には見るべきものはなく、神話だけが突出した世界であるという見方が大勢だった。
出雲大社境内遺跡から三本柱が出土する前は、「金輪御造営指図」は虚構だという見方が大勢だった。
旧石器時代に至っては、日本にないというのが考古学会の大勢どころか、定説であった。
縄文時代には農耕がないという見方も、かつては大勢だった。
縄文時代は狩猟採集の生活で、定住しないというのが縄文時代の大勢であり、定説であった。三内丸山遺跡のように千年にもわたって定住した遺跡が見つかるなど、想像もできなかった。
このように「大勢」というのは、学説を説明する時、何の根拠にもならないのである。

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