見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

農業女子の小さな夢が叶わないって?

2020-09-02 22:19:43 | 幸せに生きる

政治って、人の幸せをどう考えているのでしょうね?

先日、Iターンで半農半Ⅹ・自給的農業を夢見て農業研修をしている農業女子が、売りに出ている本庄地区の古民家を求めようとしたけれど、農地法の関係で敷地についている僅かな畑がネックとなり、購入を断念しました。
今の農政は、大規模化を目指していて農地の集約化を進めようとしています。
そのため、僕が新庄で購入した場所にも隣接して農地がありますが、農業者ではないので購入できませんからお借りして耕作しています。

内側から発動する力
内田樹が「街場の文体論」の“言語は道具ではない”との節に、文科省が「英語が使える日本人育成のための行動計画」を2003年に示したものの、それから後も子どもたちの英語力は急坂を転げる如く劣化している、と書いています。
「行動計画」に書いてあるのはほとんど「金の話」、少しだけ「威信」で、英語ができないと金にならない、英語ができないと見下されるというのが基本的英語観。
日本語の運用についても、明治維新以来あった漢字の簡素化との流れが当用漢字導入によって完全に骨抜きにされ、「外へ」という趨向性を傷つけていると。

アメリカの昆虫学エドワード・O・ウィルソンは、学者になるためには生物学だったり、数学だったり様々なスキルを積まないと好きな道に進むことができないという教育制度だけれど、現場主義が最も大切、子どものころから好きなことをとことん極め、必要なものはそれから学べばいいと書いていました。
両者は、人の内から発動してくるものをとことん追求していくことが大切だし、そこにこそ本当の喜びがあるのだと言っていると思います。

若者の夢を叶えられない農政って?
前日続投と言っておき、翌日には退陣を発表した安部さん、“アベノミクス”で一世を風靡したけれど、経済成長こそが人を幸せにするのだと信じていたのでしょうか。
僕は、“アベノミクス”と聞くと悪寒が走るような気持になりました。
経済発展を追い続けていく中では便利は必須なことなんでしょうが、それによって効率の悪い“ヒト”や長年育んできた伝統などが切り捨てられてきました。

かねてから、キャリア~特に農林水産~は現場に出て汗するべきだと思い続けてきましたし、経済を追い続けるから後継者が育たないと思ってきました。
金が頭から離れないでいて“誇り”が持てるはずはないし、そんな大人の後ろ姿を子どもたちが誇らしく思うはずがない。
であるのに、机上でしかものを考えない多くのキャリアは、効率や数字が最も大切、ある県の職員たちはそんな中央派遣の幹部に汲汲としています。

僕には稀有壮大さを秘めているとも思える若者の“ほんの小さな夢”さえ叶えてやれない農政って、一体何なんなのかと思えてなりません。
人の幸せは、効率や数字にあるとでも思っているんでしょうか。

安部後継を喧伝する菅さんが次期首相としての地保を固めているとか、「金の話」が最優先する政治が続くのでしょうか?
何かうすら寒い日本のように思うのは、僕のひがみ根性?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする