2023年3月のタスマニア2日目
世界遺産ポートアーサー史跡
広く、たくさんの施設があり
流刑施設の中でも貴重な場所
病院を出て緩やかな丘をさら
に下っていくと、敷地の外れ
の目立たない場所に意外なほ
ど大きな建物がありました。
これはかつての地方自治体役
場で1895年の森林火災の後
に建て替えられたものです。
当初の建物は1868年に完成し
た「精神病院」でした。他の
建物と比べても立派で、当局
の力の入れようが判ります。
収容されていたのは刑務所や
他の流刑施設から送られて来
た人々で、当時は患者ではな
く「狂人」と呼ばれました。
立派な専門病棟の開設は、静
かで快適で清潔な環境の中、
優しい治療や軽い運動を通じ
て治療を進めるという当時の
新しい治療法の一環でした。
1876年には100人の収容が可
能だったにもかかわらず、入
所者は18人でうち17人は傷病
兵でした。精神疾患の患者は
1人だけだったということか?
1874年に施設を訪れた作家が
危険なためグルグル巻きにさ
れた半裸の患者を目撃してい
ます。ピーター・ムーニーと
いう男性は独房の中を確認し
ようと、看守がドアののぞき
穴からのぞくと、指を出して
目を繰り抜こうとする、とし
て恐れられていたそうです。
理想と現実。新しい治療法と
古い対応が、医療関係者とは
限らない軍人の看守によって
同時進行していたようです。
建物は1889年に政府が役場と
して地方自治体に移管しまし
たが6年後に森林火災で焼失
再建された現在の塔の時計は
刑務所の建物にあったものを
移し替えたものだそう。今も
正確に時を刻んでいました。
ポートアーサーの広大な敷地
にはあちこちに標識があり、
それを見つつ散策していまし
たが、アサイラム(asylum)と
いう表示が気になりました。
現在の英語でこの単語を見聞
するのは、まず「亡命」のこ
とでしょう。ほとんどが政治
亡命で、難民の収容施設もア
サイラムです。刑罰として送
り込まれる囚人と自由を求め
てやってくる難民は真反対の
立場。中国語訳でも「保護施
設」という曖昧なものです。
建物の前に立ち、解説を読ん
で初めて、アサイラムがもう
1つ意味する「精神病院」、
患者を「狂人」と呼んでいた
感覚からすれば「狂人病棟」
だったことに気づきました。
流刑者が受刑者ではなく「囚
人」だったのと同じ感覚か。
アサイラムカフェ
遅い時間で閉まっていました。