ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ6回目・フレーザー島行:国王陛下の白船

2021年05月01日 | オーストラリア:フレーザーコースト
2018年9月のフレーザー島の
島内観光は、道なき道を行く
ような場所も多々ありました。


海岸は平らで真っすぐに走れる
からか、みんな高速道路並みに
飛ばす飛ばす(笑)

バスも飛ばしてたな


車線も信号も制限速度もない場所。

思いっきり走れて爽快そう


タイヤ痕がそれを物語る



みんなが集まる観光のハイライト




見えてきたのは巨大な錆びた鉄の塊



ダイビングをしていた頃、海底の
沈船は何回か見ましたが、これほど
大きな座礁船は初めて見ました。

マヘノ


NZ史上にその名を残す歴史の証人



マヘノは1875年にNZのダニーデン
で創業したユニオン蒸気汽船が所有
していた客船で、1905年にスコット
ランドで建造され、オーストラリア
との間で客船として活躍しました。

当時としては斬新なデザインが人気
を博し、航海も1日短縮して4日に。
(※模型はホテルのレストランにて)


ユニオンは第一次世界大戦まで世界
屈指の海運会社で詳しくはココで。


しかし、1915年の第一次大戦中に
イギリスはトルコでの戦局の打破に
無謀なガリポリ上陸作戦を決行し、
その犠牲者はNZ兵2,700人、オース
トラリア兵8,700人、英兵2万1千人、
という途方もない数になりました。


NZにとり建国以来最悪の事態で、
今に至ってもそれは変わりません。



(※ガリポリに関してはあちこちに
書き散らしていますが、ご興味が
あれば、コチラからどうぞ)


1915年に当時の政府はマヘノと
姉妹船マラマを本格的な病院船に
造り変え、2艘は大勢の傷病兵を
トルコのガリポリからギリシャに
送り、その色からホワイトシップ
(白船)とも呼ばれていました。

(※当時の絵はがき)


2艘は終戦までに延べ4万7000人
の傷病兵を移送し、HMNZHS
(His Majesty's New Zealand
Hospital Ship)、直訳すれば
「国王陛下のNZ病院船」という
最高の尊称が贈られました。



戦後は再び客船に造り変えられ、
NZとオーストラリア間の客船や
貨物船として利用されました。


しかし、マヘノはその役目を終え
1935年3月に最後の航海を終えた
後、6月にはメルボルンからなんと
日本の大阪に向けて出航しました。


長くなるので、つづく。
(※まぁ、旅行記なので毎回
「つづく」なんですけどね~)



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