ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

シドニー行:総督官邸跡地に建つシドニー博物館

2019年01月04日 | オーストラリア:シドニー

2017年5月のシドニー旅行記も16本目となりました。
リアルでは20ヵ月遅れの話も、いよいよ3日目です。



=============



3日目の朝はココからスタート

バヒスタ・カフェ231
エリザベス・ストリートの231番地


目の前は緑豊かなハイドパークという立地



実はココ、到着した当日にも立ち寄っていて

コーヒーも


種類が豊富だった食事も



どちらも美味しかったので



再訪しました

で、全く同じものを頼んでいる私(笑)
朝からシーザーでスタートできるのが嬉しいポイント


なんとも可愛い

ディオールの店


女子力上がりそう

でも、今の私に必要なのは
生・命・力


ぶらぶら街歩きをしながらやってきたのは

シドニー博物館
初代サウスウェールズ州総督官邸跡地に建っています。


1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着し、
着任したフィリップ初代総督が官邸としてこの地を選択。



官邸は増改築を繰り返しながら57年間使用されたそうです。



当時の間取りと



今でもそれが示された前庭



総督はシドニーの先住民族ガディガルと友好関係を築き、
紛争を回避し、食糧を確保しようとするものの上手くいかず、



あろうことか密使を送り込み、ガディガルの民を誘拐してきました。

こういうところが武官なんだろうか?


1789年に最初に誘拐されたアラバノオは天然痘で亡くなり、
2回目に誘拐してきたのはベネロングとコルビーの2人でした。


戦士だったコルビーは鉄の足輪をつけたまま数週間で脱出し、
ベネロングはその後5ヵ月間、囚われの身としてでありながら、
相互の理解と友好を深めるために、大切にされたといいます。

(※ベネロング)


ベネロングは総督と親しくなり、流暢な英語を身に着け、
総督と夕食のテーブルにつくこともあったそうですが、
誘拐から5ヵ月後には、コルビーを追って脱出しました。


誘拐から1年もしない1790年に総督はベネロングとコルビーから
招待を受けて出かけていきます。


クジラが供され、贈り物を交換し、友好的な会話の最中に、
総督は突然、長老に槍で肩を突かれてしまいます。
民を誘拐し、土地を搾取し、木を切り倒した侵略者への
仕返しだったとみられています。


肩を突かれた後の総督とベネロングの再会の場面
前のカヌーがベネロング、後ろが奥さん。

先住民の掟では仕返し後、許しと和解が成立するそうです。


その後、エオラ・ネーションのガディガル人との交流が始まり、
ベネロングと総督は一段と親密になり、ベネロングは総督に頼んで
シドニー湾の小島にレンガの小さな家を建ててもらいました。


その跡地に建つのが今のオペラハウスなんだそうな

小島は埋め立てで岬となり、ベネロング・ポイントと称され、
その名を永遠に残すことになりました。
(※オペラハウスのレストランの名前でもあるし


1792年には帰任する総督とともにベネロングも渡英し、
イギリスに2年滞在して帰国しました。こうして
ベネロングはヨーロッパから戻った最初の先住民となりました。 



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢見:2019年初夢クリスマスの舟 | トップ | シドニー行:200年を以上を歩... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

オーストラリア:シドニー」カテゴリの最新記事