「平和(peace)」が強調された絵
これは共にマルコ4:39にある新約聖書の言葉である。日本語の訳は原語に正確で、英語(欽定訳)も正しく読めば間違っていない。しかし、普通peace という語が与える印象から、英語圏では日本語訳とは異なった印象を持って人々に好まれ、用いられているようである。
問題は、末日聖徒イエス・キリスト教会の機関誌「リアホナ」3月号の記事(pp. 4,5) のタイトルに「静まれ、黙れ」とあるのに対し、内容が信仰により心を安らかに持ち、静かで穏やかでいることの大切さを説いているので、読者が違和感をいだいたことから持ちあがった。冒頭の「静まれ、黙れ」は口調がきつく強すぎて、続く本文と調和しない、というわけである。
これは欽定訳の Peace が、 hold (keep) one’s peace 「黙っている、沈黙を守る」に見られる時の意味で、一語で「黙っていよ」と言う意味なのである。他の現代訳では、”Silence!”(REB), “Quiet!”(NIV), “Hush now!”(Phillips) などとなっていて、邦訳と変わらない。(邦訳は「静まれ」[口語訳]の部分、新共同訳「黙れ」、文語訳「黙(もだ)せ」となっている。)
なお、原語のギリシャ語では、σιώπα, πεφίμωσο. で Be quiet, be muzzled (口輪をはめられて物が言えなくされる)という意味である。欽定訳のpeace は正しく取れば間違っていないが、「平和・平安」の意味がずっと一般的であるため、そちらの意味でこの聖句を受けとめる伝統が生じたのである。
例えば、インターネット上のanswers.yahoo.comでベストアンサーに選ばれた答えは、「peaceful でありstill であるということは、理解を越えた偉大な存在を信じて得られる境地で、それによって人が遭遇する問題や境遇に耐えることができる」とあった。原語の意味や文脈を超越して、英語圏の現代人が到達している聖句の解釈なのである。
それ自体尊重し得ることであり、敷衍的にその受けとめ方もできなければならない。しかし、他の訳との乖離は欽定訳の訳語から生じたもので、解説抜きでは記事の趣旨を他の言語に移しにくいケースである。翻訳者は、カッコつき解説か註で、読者が感じると思われる不自然さを取り除くことも守備範囲に入っていると心得なければならない。
註 REB=Revised English Bible, NIV=New International Version
参考
本ブログの記事
2006.1.18 二つの創世物語 - 欽定訳の誤訳
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たいがいは日本語の方が本来の意味と乖離して損をするのですが、今回は日本語の方が原語に近かったとは知りませんでした。
be muzzledが制御されることを意味し、ベストアンサーの回答が、「理解を越えた偉大な存在を信じて得られる境地で、それによって人が遭遇する問題や境遇に耐えることができる」であるなら、「粛」という便利な日本語の漢字があります。 畏れ静まるという意味とstillの状態を兼ねています。
「静まれ、黙れ」は、恐らくイメージ的に言えば裁判官がよく使う「静粛になれ!」というのが本来のニュアンスだったのでしょう。 原語に近くPeaceの訳からも遠くない。
しかしそれでは読者に聖書の一節を思い出させることは出来ないというジレンマがあったものと思われます。
「粛」という漢字を用いて、例えば「静粛(に)」などの表現でつなぐ(カッコつきで解説を添える)ことができたかもしれないですね。
ありがとうございました。
それはでも殆ど狭義の英語イメージで、英語圏でも多分業界用語位に狭い通用度合いじゃないかなって感じですね。