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モルモン書平成版について

2023-05-27 23:10:16 | モルモン教関連

 モルモン書が昭和訳(佐藤龍猪が明治訳を改訂したもの)から平成訳に改訂された経緯を箇条書きで、私沼野治郎が関与した範囲で記します。

 

 改訂作業の時期・・1991年~1995年(平成3年~7年) 

 改訂の所管部署・・1991年東京管理本部 翻訳課、1992年以降米教会本部翻訳部 

  1991年当時、東京の管理本部長は北村正隆で聖典改訂プロジェクトマネージャーを兼務した。このプロジェクトは米国の教会本部翻訳部の管轄下にあった。

 校閲者の協力・・東京の翻訳課が作成した改訂訳原稿を三名の教会員が校閲する形でこのプロジェクトに協力した。無償奉仕ベースで校閲者(content reviewer)はいずれも大学で教職に携わる人たちであった。モルモン書は沼野治郎が校閲を担当し、教義と聖約(高価な真珠を含む)を担当する人、日本語の面で全般的に目を通す人の三人であった。

 改訂委員会の会議・・1991年に三回(4月, 8月, 12月)校閲委員会が東京渋谷で開かれた。

 

 改訂の方針・・1981年版英語の聖典に準拠すること、正確でなかった箇所の修正、自然な日本語の表現にする、などが目的とされた。中でも使用されている日本聖書協会の聖書(1955年口語訳)と用語上符合させる、という一項が含まれていた。

   用語上の擦り合わせ例 (カッコ内は昭和訳): 

    エバ(イブ)、メルキゼデク(メルケゼデク)、ベニヤミン(ベンジャミン)、

エリヤ(エライジャ)、ラバン(レーバン)、ヤレド(ジェレド)など

And it came to pass は訳出しない。behold も訳出不要な場合は訳さない。

magnify 「務めを尊んで大いなるものとする」(召しを全力を尽くして遂行する - - 教義と聖約84:33昭和訳)この語は新約聖書では「務めを光栄とする」ローマ11:13と訳されている。  

   

 以上、平成に行なわれた末日聖典の翻訳改訂に参画した一人として、関わった範囲で記録を短くまとめここに掲載しました。交換された書簡、提出した校閲ノート、会議録などを基にしています。



[翻訳改訂に携わったことにたいする謝辞の書簡。オークス、ホランド、アイリング長老の署名が見える。]

参照 関連した記事 当ブログ 2019.03.23日付け
モルモン書翻訳改訂(1995年) に際し聖書の原語を参照した例 - NJWindow(J) (goo.ne.jp)


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205 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (佐久間智樹)
2023-05-28 01:25:35
沼野様がモルモン書平成版翻訳の「中の人」だったとは。
このような記事を書いてくださり恐縮です。
やはり時間のかかる作業だったのですね。
また翻訳の難しさが垣間見えた気がします。



そもそも人の言語は不完全なもの、人によって違った理解が
あったりすることを考慮すれば、読む人の能力だけに
頼った理解では、複数の人の間での理解の一致に至ることは
難しいと思います。

しかしこの不完全さは、個人に対する聖霊の訪れによって
補われているように思います。それこそが聖霊が等しく
人に遣わされている一つの理由であるように思います。

天父が「人をかたより見ない御方」という前提があれば、
真理を求めているある人には聖霊を遣わして真理を告げるが、
真理を求めている別の人には聖霊を遣わして真理を告げることは
しない、という扱いがなされることは無いように思います。
差があるとすれば、個人のかたくなさ柔和さとタイミングでしょうか。



インスティテュート冬期講座でモルモン書の翻訳は
どなたによって行われたのかという質問に答えてくださら
なかった方は、日本の教会の内部事情を多く知っておられる
からこそ、質問しました。

個人名を挙げなくとも、「管理本部の翻訳課で作成した原稿を
特に専門的な知識を持つ識者である会員数人が推敲した」
と言ってくださればよいのに、そのときははぐらかされて
しまいました。

改訂当時の状況と、その後の最新の改訂の時期から言って、
何かおかしな方に話が進んで改訂に至ったのか、と想像していました。
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本当はもっと (NJ)
2023-05-28 08:43:59
日本聖書協会では聖書改訂の過程を詳しく公表しながら作業を進めています。「聖書翻訳 研究」という刊行物を出したり(1970年代)、「ソウワー」(種播く人)と言う広報誌を出したりして(現在)。

末日聖徒イエス・キリスト教会ももっと公けの性格の情報は公開してよいと思います。昔は聖徒の道に佐藤龍猪による改訂の次第や内容が掲載されていました。

私の他の校閲者ふたりは、潟沼誠二、高木信二兄弟でした。高木兄弟が教義と聖約・高価な真珠を担当し、潟沼兄弟が日本語の面でBofM, D&C/PofGP の訳文を点検されました。翻訳課の改訂原稿作成は黄木信(王木信)氏でした。

(コメント欄はグーグル検索にかからないので、人名をこちらに記しました。)

暫くは上の情報は,そっと読んだ方の心に留めて頂ければと希望致します。
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カッコ内の読み (NJ)
2023-05-28 08:47:15
下から3行目カッコ内は「おうきまこと」です。
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平成版は実質最初の口語訳 (オムナイ)
2023-05-28 19:10:39
>平成に行なわれた末日聖典の翻訳改訂に参画した一人として、関わった範囲で記録を短くまとめここに掲載しました。

貴重な投稿を読めて感謝です。

>暫くは上の情報は,そっと読んだ方の心に留めて頂ければと希望致します。

承知いたしました。

明治のモルモン経(文語体)を読むと、夏目漱石が紹介した生田長江(ゲーテ詩集などを翻訳)さんが
実質翻訳したというだけあって朗々として素晴らしい。

昭和のモルモン経はそれを下敷きにして口語にしたものという印象を受けました。

実質平成版が最初の口語訳ですかね。

>用語上の擦り合わせ例 (カッコ内は昭和訳): 

>エバ(イブ)

明治訳ではエバ

>ベニヤミン(ベンジャミン)

明治訳ではベンジャミン
同時期の文語訳聖書ではベニヤミン

人名の翻訳も様々な思索が見られて興味深いですね。
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聖餐の祈り(モロナイ書4,5章) (たまWEB)
2023-05-29 09:08:49
御霊を受けられるよう、 御霊が共にあるよう、 この違いの意義は?? 何か意図が??

①英文 「that they may (always) have his Spirit to be with them」(主の御霊が彼らと共に(いつも)ありますように といった訳に・・

②佐藤龍猪訳では、“御子の御霊が(常に)一同と共にましますよう・・

③現行(96年の改訳以降) ・・ “御子の御霊を受けられるように・・

“御霊を受けられるように”だと、状態的には、各個人が別々に、独立した状態でその都度その都度受けれるといった感じ・・ 
英文だと、“御霊”が聖餐受ける人たちと共にあるよう、つないでいるよう?!慰め主としての伴侶の働きがあるよう?・・みたいな・・
“to be with them” が“受ける”では消えてしまっている・・

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K/T/N (Unknown)
2023-05-29 12:26:16
Nさんは良く知ってる人ですが、Tさんはちょこっと話したぐらいで、kさんはうわさで聞いたぐらいですね。

直感的に言うと、まずまずの人選じゃないですか?

Kさんは知りませんが、他の二人は、客観的に対応が出来る人かと思います。

良い悪い両方の意味で大人の対応が出来る人。



別件

>御霊を受けられるよう、 御霊が共にあるよう、 この違いの意義は?? 何か意図が??

モロナイ書2章2節との関連ですか??

バプテスマの時に「聖霊を授ける」ので、聖餐の時も「聖霊を受ける」になるのかと??

ほんま、知らんけど・・・。
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なるほ~~ モロナイ2 (たまWEB)
2023-05-29 13:15:34
「1 キリストが御自分の選ばれた12人の弟子たちに手を置かれたとき、彼らに言われた御言葉は次のとおりである。
2 キリストは彼らの名を呼んで言われた。「わたしの名によって熱烈に祈って父に請い願いなさい。あなたがたはこのように行った後に、あなたがたが手を置く者に聖霊を授ける力を持つであろう。わたしの名によって聖霊を授けなさい。わたしの使徒たちはこのように行うからである。」
3 キリストは初めてその御姿を現されたとき、彼らにこれらの御言葉を語られた。群衆はこれを聞かず、弟子たちだけがこれを聞いた。そして、彼らが手を置いたすべての者に聖霊が降られた。


授けることと受けることは対になってるんでしょう・・

で、教会員としての聖霊への理解は、バプテスマ・確認時での、“受ける”から、その後は、聖餐式という更新時での、“共にいますように”へと変わっていくというのが正解かなぁぁ・・
返信する
Re;聖餐の祈り(モロナイ書4,5章) (オムナイ)
2023-05-29 14:04:13
>聖餐の祈り(モロナイ書4,5章) (たまWEB)

>御霊を受けられるよう、 御霊が共にあるよう、 この違いの意義は?? 何か意図が??

色々、興味深い。

モロナイ4:3

O God, the Eternal Father, we ask thee in the name of thy Son, Jesus Christ, to bless and sanctify this bread to the souls of all those who partake of it; that they may eat in remembrance of the body of thy Son, and witness unto thee, O God, the Eternal Father, that they are willing to take upon them the name of thy Son, and always remember him, and keep his commandments which he hath given them, that they may always have his eSpirit to be with them. Amen.

(平成訳)
「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの御み名によってあなたに願ねがい求もとめます。
このパンを頂ただくすべての人々が,御子の体の記念にこれを頂けるように,
また,進んで御子の御名を受うけ,いつも御子を覚え,御子が与えてくださった戒めを守ることを,永遠の父なる神よ,あなたに証明して,
いつも御子の御霊を受うけられるように,このパンを祝福ふくし,聖めてください。アーメン。」

(DeepL)
永遠の父なる神よ、御子イエス・キリストの御名において、このパンを口にするすべての者の魂を祝福し、
聖別してくださいますようお願いいたします。
彼らが御子の体を思い起こしながら食べ、御子の名を身にまとい、常に御子を思い起こし、
御子が彼らに与えた戒めを守り、その霊が常に彼らとともにあるようにしたいと望んでいることを永遠の父なる神よ、
あなたに証します。アーメン。

(Google)
おお、永遠の父なる神よ、私たちはあなたの御子イエス・キリストの御名において、
このパンを食べるすべての人々の魂にこのパンを祝福し、神聖なものとしてくださるようお願いします。
それは、彼らがあなたの御子の体を思い出して食事をし、
永遠の父なる神よ、彼らが喜んであなたの御子の御名を受け入れ、常に御子のことを覚えていて、御子の戒めを守ることをあなたに証しするためです。
彼らが常に神のスピリットを持ち続けることができるように、神は彼らに与えたのです。アーメン。

(昭和訳)
「永遠の父なる神よ、われら御子イエス・キリストの御名によりて願いたてまつる。
ここにこのパンをいただくすべての人々が、御子のからだの記念にこれをいただくよう、
また喜びて御子の御名を受け、御子を常に忘れず、またその下したまえる誡めを守ることを
永遠の父なる神の御前に証明し、かくして御子の「みたま」常に一同と共にましますよう、このパンを祝いきよめたまえ。アーメン」と。

(明治訳)
“永遠の天父なる神よ、我等御子イエス・キリストの御名に託て願ひ奉つらくは、
凡て此パンを與り⻝ふ人々が御子の體の記念に之を⻝ふことを得るやう、
又常に御子の御靈を己等と共に在らしめん爲、御子の御名を甘じ受けて常に御子を記念し、
其下し給ひし誡戒を守るを爾に誓約することを得るやう、此パンを彼等の心の爲に祝ひ淨め給はんことを、アメン』と。”
---
AI翻訳中々ですね。
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聖餐の祈りを一行ずつ見てみると、理解の仕方が変わります (オムナイ)
2023-05-29 17:56:11
>教会員としての聖霊への理解は、バプテスマ・確認時での、“受ける”から、その後は、聖餐式という更新時での、“共にいますように”へと変わっていくというのが正解かなぁぁ・・

ldslivingのサイトに関連記事ありました。

https://www.ldsliving.com/john-bytheway-a-line-by-line-look-at-the-sacrament-prayers-that-will-change-how-you-understand-them/s/86834

モロナイが聖餐の祈りを版に刻んだことは、聖餐が彼らの崇拝の一部ではなく、必須の部分であったことの証です。

モロナイが霊感を受けて聖餐の祈りを取り入れたことは、私たちにそれぞれの祈りをより詳しく調べ、それぞれのフレーズの深さと意味を探す機会を与えてくれます。

主にとって何が最も重要かを考えるとき、私たちは主が私たちに繰り返すよう求められたことについて深く考えるかもしれません。

わたしたちはバプテスマを受けるのは一度だけですが,バプテスマの聖約への再誓約は毎週聖餐を通して行われます。
・・・
モロナイが記録したこれらの祈りの中で、それほど重要で時代を超越したものは何でしょうか?

「おお神よ、永遠の父よ。」何か面白いことを聞きたいですか?キング・ジェームス聖書の中で「永遠の父」という言葉が何回出てくると思いますか? ゼロ。一度もありません。・・・

現代の私たち一人一人にとって、そして彼の時代のモロナイ個人にとって、私たちの孤独感は、常に私たちとともにいるという神の約束によって答えられます。
おそらくモロナイは、沖縄のニール・A・マクスウェル長老のように、自分自身に聖餐を授け、約束された主との交わりを感じたのでしょう。・・・
ーーーー
アルマ書ではゾーラム人の決まり文句の祈りを批判的に書いてる部分がありますが、ここでは「決まり文句の祈り」が出てきます。

逆に重要さが増すのでしょうか?
儀式における「決まり文句」はアロン神権に関連があるのに。。

アロンな儀式では一言一句正確に言わなければならない。
メルキゼデクな祈りや儀式では御霊に促されるままな言葉で行われますね。
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なるほ~~ 機械翻訳で見えてきたぁぁ・・ (たまWEB)
2023-05-30 06:43:19
より、英文忠実的かもの、たまWEBふう訳は・・

パン
おお、神よ、永遠の父よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに、このパンを頂くすべての人々のために、これを祝福し、聖めてくださるよう願い求めます。すなわち、御子の体の記念にこれを頂いて、おお、神よ、永遠の父よ、あなたの証人となれますように、また、進んで御子の御名を受け、いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守り、いつも御子の御霊が共にましますように、アーメン。


永遠の父なる神よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに、この水を頂くすべての人々のために、これを祝福し、聖めてくださるよう願い求めます。すなわち、この人々のために流された御子の血の記念にこれを頂いて、おお、神よ、永遠の父よ、あなたの証人となれますように、また、いつも御子を覚え、御子の御霊が共にましますように、アーメン。

この証人となる、神の証し人になるというのは、モーサヤ18章にみえるだにゃ・・これが日本語聖餐の祈りに欠落というのは、至極残念というか誤訳というか欠陥というか・・

「08 そして、アルマは言った。「見よ、ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、
09 また、悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望み、また神に贖われ、第1の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得られるように、いつでも、どのようなことについても、どのような所にいても、死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。
10 まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば、主からますます豊かに御霊を注いでいただけるように、主に仕えて主の戒めを守るという聖約を主と交わした証拠として、主の御名によってバプテスマを受けるのに何の差し支えがあろうか。」
11 人々はこの言葉を聞くと手をたたいて喜び、「それこそわたしたちが心から望んでいることです」と叫んだ。
」モーサヤ18

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