広島・長崎では原爆をピカ、ピカドンと言う 言葉には「立ち位置」が大切
8月30日、ジュニアオーケストラ演奏の余韻が残る中、詩人のアーサー・ビナード氏による「“広告”と“文学”とどっちが好き?」と題しての講演がありました。
前段は自らの日本への関心のスタートがウルトラマンのシュワッチという言葉で、大学4年の頃にコルゲート大学日本語教室に通い、1990年日本へ来た。日本に来て、言語とは何かを考えるようになったが、それはアメリカではsunny side up〈太陽〉と呼んでいた玉子焼きが、日本で目玉焼き(eye ball)で、本当にびっくり。そば店では狐、狸が出てくるんで、こんなものまで食べるのかと驚きましたが、卵が載っている月見そばは情景が浮かんで素晴らしいと思いました。母国で卵が太陽、日本で卵が月、それが言語となって伝わっている。言葉は違っていても、より深いところで共通しているところがあると思いました。
アメリカでは、1947年にwar(戦争)長官からdefense(国防)長官に名称を変更している。日本も今、米国が辿ったことを再現しつつある。それは戦争を集団的自衛権と言い換えている安倍政権だ。「広告」の技術の共通の感を受ける。「広告」を見抜く力らが必要だ。広島・長崎では原爆をピカ〈爆心地で〉、ピカドン(少し離れたところで爆風を受けた)と言う。これは放射線や熱線や爆風で被害を受けた人の立ち位置の言葉だ。言葉には感覚でない立位置が組み込まれている。
続いて、恒例の児童書の贈呈が行われ、実行委員会副実行委員長の馬場公彦岩波書店編集部長から須坂市子ども読書研究会へ目録が渡されました。
10月、3年続いた災被災地岩手県山田町へ、岩波書店から購入の児童書の贈呈をします。
最後は、会場から質問票を基に、信濃毎日新聞井上裕子文化部長がビナードさんに質問する対談が行われました。「国民の政治無関心について」は、選挙も、誰に入れればいいのか、どうやったらいいのかわからないだからだ。「憲法擁護について」は、憲法はただの文章ではない、概念だ。国の規制。だからこれが崩れればなくなったも同じだ。日常で憲法を使うことが必要だ。などなど。
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